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私と彼のこと(66)-塩川豊子さん④-

最後にもう一つ言いたいことは、現在の中学生の非行とかつっぱりの問題で、今、また体罰が出はじめているということは、大変なことだと思います。どんなことがあっても子どもに体罰を加えるということは、人間不信になることです。体罰を加えてありがたいなんていうことは、まずないわけで、とても恐いことだと思うんです。そういうことをやられる先生方が、これはみんな、幼児期の躾が悪いからなんだというふうにおっしゃりったりしますが、まちがっています。
鉄は熱いうちに打てというから、子どもも小さいうちにひっぱたいてでも何してでも躾て言うことを聞かせなきゃだめだ、という、そういう“しつけ論”をいう方もありますけれども、それは、今までお話しましたことから言って全く違う考え方で、人間は鉄ではありませんから、そんなことを決してみなさんお考えにならないで欲しいと思います。
しつけるということは、稲の苗が、つまり子どもが、将来すくすく、のびのび育つように、丁度良い時期に必要な環境を整えてあげて、しつける、田植えをすることなのです。
(私の大地保育/塩川豊子/大地教育出版)
※版権者の許可を得て引用しています。

私は幸い両親から体罰を受けずに育った。
しかし、私が中高生の頃は、まだ学校の、特に運動部の活動中には当たり前のように体罰を受けた。
残念なことに私は、そこにそれほどの理不尽さも疑問も感じずに通り過ぎてしまった。

私が子どもたち(長男A・次男H・長女T)を育てる頃には、「体罰に教育的な効果は無く、むしろ逆効果だし、人権侵害である」という常識を学び直すことができていた。
本当に幸運だったと思う。

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でも、私の心の奥底には「体罰は躾の一環」という、かつての間違った常識が染み付いてる。
そこから目をそらさず、自戒と自律を忘れないようにしたい。

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