乃木坂らしさ:Twitterトレンド(2/23)

23日のTwitterトレンド、乃木坂らしさ。乃木坂46の29枚目シングルの発表後から表現の是非を巡ってTwitterで波紋を呼んだ。

Twitterのホームに誰かがいいねしたツイートが多く流れてきて面白く拝見したが感情的な意見も多く、幾つかの反論もあまり建設的でなかった。そもそも定義が曖昧なことも一因だろう。そこで今一度情報を整理したい。

そもそも乃木坂らしいとはどういう意味なのだろうか。
インターネット辞書によると「らしさ」という言葉の解説は次の通りだ。

1 《接尾語「らしい」の語幹に、接尾語「さ」の付いた語》名詞や形容動詞の語幹に付いて、そのものの特徴がよく出ていることを表す。「自分―」「子供―」「確か―」

2 《単独で用いて》その人や物事の特徴。「―を発揮する」

上記のようにこの語は、物や人が持つ特徴を表現したいときに用いる語だ。

例えば、小さな子を「子供らしい」と表現する場合、子供の持つ特徴が見られることを示唆する。無邪気さや純粋さ、愛くるしさなどが該当するだろうか。もし否定的な意味で用いるなら、落ち着きのなさや聞き分けのなさを指すかもしれない。

言葉を再定義すると「らしさ」とはある対象に対して抱く世間的あるいは個人的なイメージということだ。

つまり「乃木坂らしさ」とはファンの多くが乃木坂46や曲に対して抱く特徴やイメージを指している。個人の印象だが、素朴、清楚、笑顔といったものだろうか。一方で怒りや冷たさを連想させるようなものはイメージは相容れないかもしれない。メンバーによってもその定義は様々だ。つまり言葉の表現としては存在するものの、その定義は人によって異なっている。

さて、この言葉には落とし穴が存在する。

らし‐さ (接尾語「らしい」の語幹に、さらに接尾語「さ」の付いたもの) 名詞や形容動詞語幹などに付き、そのものにふさわしい様子をしていること、まさにそのものであると判断される程度、などの意の名詞をつくる。 「男らしさ」「学生らしさ」「確からしさ」など。

この説明が示すように、それはあるものに「ふさわしい」というニュアンスを与えることがある。

「〇〇らしい」とは多くの人の共通認識ではあるものの、一方でそれに該当しないものを「相応しくない」と捉える人がいるということだ。この曲は自分の思う乃木坂らしさではない=相応しくないという思考だ。

しかしそれは一概に正しいことなのだろうか。先の例の子供の特徴について考えてみよう。「子供らしく」ないことは全て相応しくない特徴なのだろうか。そうではないだろう。「子供らしくない」に含まれる特徴も逆説的にプラスなイメージを生むことができる。落ち着きや理解力があることは評価されるべき特徴だ。同様に「乃木坂らしくない」という言葉はマイナスに聞こえるが、それが全て相応しくないとする根拠とはならない。一定の評価を受けるべきものもあるということだ。

そのように感じることについては、個人の好みが大きく関係している。子供とはこうあってほしいという願いと同様に、グループにはこうあってほしいという願いはあって然るべきであり、それは個人の自由だろう。大きな変化や挑戦が受け入れられない気持ちも理解できる。曲調や表現の好き嫌いもあって良い。とはいえ、自分の期待との乖離を、当事者たちを否定する根拠とするのは早計だ。

今回の「乃木坂らしくない」という評価は曲の持つイメージ、表現方法がこれまで大きく違い、ファンにとって異質と映ったことを意味している。それは個々の受け取り方なので否定するべきではないと思う。とはいえ、これまでも様々なジャンルの楽曲があり、様々な個性のメンバーが登場してきた。受け入れられにくく感じたものもあっただろう。しかし時と共にそれらも「乃木坂らしさ」の一面を作り上げてきた。であるなら今回の変化もそうであると信じたい。

奇しくも「らしさ」を定義するのがナンセンスな時代となってきた。「〇〇らしくない」はマイナスのイメージを与えることが多いので「いい意味で」をつけて誤魔化すこともある。もし今後も期待との差が大きくなっていくのであれば、それは自身の期待と少し距離を置くサインなのかもしれない。


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ここから先は雑なあとがきです。別にわざわざnote書くつもりなかったんですがTwitter見ててちょっとモヤモヤしたんで頭の中を出してみました。

新曲について、攻めたなという印象はあります。最初に聞いたときはあまり好みではありませんでしたが、その後ラジオ音源を聴いて少し印象が変わりました。耳に残る曲ですね。ただどちらかと言えば、これまでの表題のような温かい曲や歌詞が好きだったので個人的にはまあまあというところです。

またセンターとバックダンサーという表現についてですが、確かに個々の人気を売る商売でありながら、パフォーマンスにおいてその恩恵が少ないように見えるのは同情します。アルノさんの歌唱力と表現力は際立っていて魅力的です。何がしたいかはっきりした楽曲ですので、上記の表現も言い得て妙ですね。好みでない人の意見もよくわかります。ひとつのチャレンジとしては面白いですがこれらを加味してまで表題でやるべきなのかという疑問は確かに残ったままです。

そして5期生楽曲のタイトルの不安もありますが、これは情報がないので今何かを言うことは時期尚早です。

そして巻き上がってるもう一つの論争についてですが、大きな考えとして途中までまとめていたんですが…

色んな意見の中の一つと思ってもらえばいいんだけど、あるメンバーが在籍中に問題を起こしても真摯な態度やグループへの貢献を見て、結果的にその人の存在を高く評価する人は多いように思う。であるなら看板を背負うことへの理解が浅い加入前の出来事はそれ以上に重要な事だろうか。

もしそうなら看板を負いながら問題を起こしたメンバーこそより認識が甘いと非難されるだろう。でもそうではないのは何故だろう。失敗を反省し、それを取り戻すべく歩む姿勢と結果があったからだ。運営やメンバーの言葉を聞く限り、彼らが見ているのは過去ではなく、これからの歩み方だ。

勿論看板を背負った意味をよく理解した後も軽率な行動をとり続けるならその後の展開は想像に難くない。しかし実際は大人からの期待と多くのファンからの厳しい声を同時にその身に負っている。そのことが如何に重責となるのか想像できるだろうか。

新期生に「らしさ」を求める気持ちもわかるが、在籍中にどのように「らしさ」を得ていくはさらに重要だと思う。言うまでもなくプロとして最低限の資質や態度を求めるという意見も理解できるし間違ってはいない。ただ個人的には大人の決定に従って懸命に歩く彼女の行末を見守ってあげてほしい。

あ、これ以上の発言はやめとくか、ってことになりました。ここから先はもう大人のお仕事です。お祭りやる気もないですし、どういう展開になるのかこちらが考える必要もありません。激しくオコな人たちもいるみたいですけど貴重な休日をそんなことに使うのも勿体ないです。趣味は二つ三つ持っておくと、気分切り替えられておすすめですよ。

46時間TV見てて、与田ちゃんのギターや久保ちゃんのピアノに感動しました。前回の桃ちゃんや生ちゃんの例もそうなんですが、やっぱり必死に努力しないと何かを成し遂げることってできないんですよ。たった2,3週間で楽器を弾こうと思ったらかなり練習しないと難しいと思います。

アイドルは成長物語もコンテンツだと言いますが、じゃあ自分は同じ年月で成長してるのか、と問われると恥ずかしくなります。コロナ禍になってからインテリアになっていたギターをたまに取り出しては練習していましたが、それではなかなか上手くならないよなと彼女たちを見ていて思いました。自分にもう少し努力を課してみて、何年後かにANNに感謝のメールが送れるくらいにギターが上達できるように願います…。


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