若き人が静かに生きるには

正義感というものは、厄介だ
日常の生活に少し不満があり、それが蓄積した若い人は正義感中毒に陥りやすい
そんな人は、身内の事はぞんざいにするのに
なぜか他人のこと、社会、世界の課題に
やたら熱心に取り組み悩む
その正義感は、誰のため?
私は清らかで強くて聡明な人だという装飾品?あなたは、誰かの役にたたないといけないのか?あなたは役立たずのあなたのままで、なぜいけない?

正義について、考えるのは自由だ、確かに
だが実行できる人はほとんどいない
ちょっとした工夫、ズルさをわきまえた人じゃないと【実行】はできない
理想主義者の運動家は二元論が好きで、どちらかの意見だけを吠えたてる。
なぜって?そうすれば、仲間ができる。
仲間との連帯感は格別
ロマンに溢れたサークル活動だ
仲良し会を重ねて内輪で盛り上がり
そのうち目的がわからなくなる
反対の意見の人は見えないし声も上げないので、自分たちこそ社会をリードしている成熟した世論の持ち主だと感じて、【みんな】で気持ちよくなる。
そのうち、酔いすぎたリーダーがオレオレと吠えるのでそれに対してちょっとした不信感がたまって、ややこしいことになる。
それが悲しい若いリーダーは吠えて、それを利用してきた大人は同情し、いいね!を押すだろう。
いいね、いいね!
無責任ないいね!は楽チンだ。指先で済む。

恍惚とした正義感に満ちた若人を利用する大人は、指先だけの作業でやり過ごす。
ずるい。
できないことを託す前に、なぜできないのか考えよう。大人として。
若い人は簡単に正義に酔うものだ。自分の身辺を犠牲にして。しかしその後、老いた時の責任を見てくれる他人は、いるだろうか。
心ある人こそ、心配する。

静かに生きる若者は、確実に自分の生活の地盤を固めてる。デモなどの運動をしない若者は、何も考えていないわけではない。案外誠実に、確実に生きている。成熟していないわけじゃない。現実世界の枠をわきまえて、社会とのほどよい距離感を知っているのだ。

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