子供とおばちゃんは緊張しない
子供の発表会などを見て感心するのは、その堂々っぷり。
緊張しないの?と訪ねても「きんちょうって、なに?」と。
子供らは、毎日頑張ってきた事をいつもと同じようにこなしている。
そのしなやかさにブラボーと叫びたくなる。
自分も子供の頃はそうだったのかもしれないが、残念ながら私には子供の頃の記憶がほとんどない。
記憶にあるのは、異常なまでに自意識過剰だったということ。
何をするにも人の視線が気になった。あちこちに目があった。人から見える自分以上に自分を良く見せないといけないと、思い込んで焦っていた。
良いことをしないといけない、あるいは、わざと悪いことをしてカッコつけないといけない。あるいは、ばか騒ぎして、変な事をして個性的に演じないといけない。
そうしなければ、自分の価値がない。人から呆れられたり好かれたり嫌われてたり。そんな「関心」を持ってもらわないといけない。これは、誰しもが感じる思春期特有の感覚なのか。
「空気のように存在する」「誰にも見えない生き物」「役立たず」
そんな存在は、ありえなかった。許せなかった。変な存在には、いちいち腹が立った。
しかしどうだろう。今はどうでも良い。
肩の力が抜けた。
そして、格好をつける必要がなくなった。
人から見た自分と、自分にとっての自分は全く別物なのだと、わかった。
なので、その整合性をとったり、その差異に心を病む必要がない。人から好かれたり誉められても、そうなんだなーそう見えてるんだなーと落ち着いて受け入れる事ができるようになった。嫌いな人から嫌われても、それはそれで良くなった。好きな人に嫌われたら、ちょっと距離をおいてみようと思えるようになった。
人にいちいち合わせたり、好かれるために頑張ろうという気持ちがなくなった。
過度な緊張。すべての人に好かれたい、誉められたい人は、必要以上に緊張するものだろう。
自分はこのままでよい。失敗してもいいけど、成功したら嬉しいな、くらいの気持ちの人は緊張しすぎない。
緊張していない人のパフォーマンスは、人を和ませる。結果、楽しんでもらえたり、自分も楽しかったら、十分なのだ。
心に余裕が出来ると、そんな事が見えてくる。