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徒然ならない話 #3 narratage

「きっと君は、この先、誰と一緒にいてもその人のことを思い出すだろう。だったら、君といるのが自分でもいいと思ったんだ」
島本理生『ナラタージュ』(角川文庫)6pより引用


あなたは、この先どんなことがあっても
一生忘れることもできず、ずっと頭の中に残ったまま、
あなたの心を締め付けるような存在に出会ったことがあるだろうか?
そしてもしもそんな存在に出会ってしまったら、
あなたはこの先の人生を正気を保ったまま生き続けられるだろうか?

いつか忘れられる、塗り替える人が現れる、
そうかもしれない。
でももし、現れなかったら、超えることがなかったら?

その底知れぬ不安と孤独、自分を保つことも難しくなるほどの感情。

残念ながら僕は出会ってしまった。


その事実に悲嘆し、この先の長すぎる人生を思っては塞ぎ込んでいた僕を文字と言葉の海に招き入れ、ある種の悟りと覚悟を与えてくれた小説がある。
恋愛小説の名手として知られる島本理生の『ナラタージュ』だ。
数年前に松本潤・有村架純の共演で実写映画化されたことも有名だろう。

この物語において、恩師・葉山への恋は主人公・泉をひたすら縛り続け、残り続ける記憶とさらに積み重なる現在の物語によって彼女は深い深いところに立ち尽くしている。葉山もまた、自身の逃れられない罪と過去から逃れるために泉の好意に甘え、救いを求めていた。お互いがお互いを思いながらも、そのベクトルは絶妙に重ならない方向に向き続け、いつまでも結びつくことのない二人の願いはかえってお互いへの感情を強めていった。

泉にとって葉山は救いであり、拠り所であり、安らぎであり、許しであった。
世の誰とも分かりあうことのないであろう彼女の思いは、もはや葉山に愛され、葉山を愛し、葉山と共にあるという次元を超えてしまった。あまたの傷と罪を抱え最後にひとつになった二人は、しかしそれでいて結ばれてはおらず、最後まで平行線でもなく混じり合うこともない二本線のまま、お互いの思いの全容を知った。
決して自分の線と重なることのない葉山を許すために、泉は葉山に義務を求めた。泉を壊し、遠く離れたところへ連れ出し、見捨てることを。
しかし彼はそれをしなかったし、できなかった。
泉と葉山は、もはや今までのように近くにある重ならない二本線として存在することは無くなった。それぞれが全く異なる次元の一本線となり、二度とお互いを認識することすらなくなる選択肢を選んだ。

泉はその後再び恋に落ち、結婚することになる。
しかし物語の終盤、泉は仕事の同僚に紹介されたカメラマンと会話する。
そのカメラマンは、もはや別世界の存在となった葉山の知り合いだった。

泉はこぼれ落ちる涙を止められなかった。

「これからもずっと同じ痛みをくり返し、その苦しさと引き換えに帰ることができるのだろう。あの薄暗かった雨の廊下に。そして私はふたたび彼に出会うのだ。何度でも。」
島本理生『ナラタージュ』(角川文庫)411pより引用


先日僕自身もまた、泉にとっての葉山と似たような存在を永久に失うことを決め、そして失った。
その人はもはや僕の人生から離脱し、二度と交わることのない別世界の住人として隔絶された時間を過ごしている。

僕にとってその人は、救いようのない僕の救いであったし、心を安らげ全てを受け入れる大らかさに触れることのできる拠り所だった。
その人と自分の線が重なることがないのならば、どうしようもないと同じ場所に留まり蹲る僕を壊して二度と動かなくしてもらうほかないとも考えた。
結局、僕はその人に壊されることなくそのまま生きている。
その人は葉山と同じように、僕を壊す選択肢を提示されても、選択しなかった。
僕を壊さずに、だがしかし二度とお互いに干渉することもない線のままであり続けることを選んだ。
その人は僕を深い谷から引きずり上げ、背中を押したのと同時に、世界から跡形もなく消え去ったし、僕は壊されることなく自我を保ったまま、ポッカリと穴が空いた今を生きなくてはならなくなった。

その人は、いつか必ず「僕の元に戻ってくる」と僕に告げて去った。

今となってはその一言のみがこの不安定で綱渡りな余生を過ごす命綱であり、僕にその一言を疑うことは許されない。それをしてしまえば最後、僕を保つ最後の壁が消え失せ、ついに僕は二度と這い上がることのない奈落に自ら飛び込むことを選ぶだろう。


泉は葉山と隔絶されてのち、添い遂げる相手を見つけた。泉はそれを葉山に約束こそできなかったが成し遂げた。
その一方で僕は、この一人きりの様相を保ち続けるかも知れない可能性をあまり恐れていない。泉のように葉山ではない誰かと人生を共にする決断をすることができないかもしれないし、しないかもしれない。
なぜなら僕には残された言葉があるからだ。
たった一言が僕を守り保つ最大の存在となり、今も僕を支えている。それさえあれば、孤独と付き合っていけるという底知れぬ自信がある。


しかし言葉は呪いでもある。
放たれたが最後、受けた者を縛り続ける。

僕は一生、あの人からもらった言葉の力と危うさとの間で苦しまなくてはならない。
その度に僕は、自分を蝕み蓄積される痛みを通してあの人と出会う。

そう考えると、泉が物語を終えた後どれほどの地獄に身を投じたのかが感じられて恐ろしくてたまらなくなった。
と同時に、何度でも僕はあの人に会えるのだという喜びと期待が湧き上がり、僕は歪な希望で心が満たされるのを感じた。
今はそれで良しとしようと思った。


きっと僕は、この先、誰と一緒にいても思い出すだろう。
僕は普通じゃなくなってしまったのか?もう僕にはわからない。

『ナラタージュ』は僕を変えてしまった。


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