卒業、そして始まり。
新型コロナウイルスの影響で、学校の卒業式や入学式、会社の入社式を中止するところが相次いでいる。
私の通う大学も、例に漏れず卒業式と入学式の中止が決定した。まあ、学生だけで2000人以上も集まるのだから、賢明な判断である。
学生たちはそれぞれ学科ごとに教室に集まり、教授から学位記を授与される。それで、終わり。
実は私、今回の卒業式を結構楽しみにしていた。
というのも、学科の総代に選ばれていたからだ。
(自慢のように聞こえていたらごめんなさい。でも、本当に嬉しいのです)
小さい頃から何をするにも「中の中」。特別何かが飛び抜けて出来るわけではないが、全く出来ないというわけでもない。ずっと「その他大勢」のうちの一人だった。
そんな私は、何かを表彰されている人に強い憧れを抱いていた。
すごいな~
かっこいいな~
私も何か「特別」になりたい・・
いつしか、自分の価値を「誰かからの評価」に委ねるようになっていた。
とにかく高い評価をもらうことにのみこだわり、課題は提出する数分前まで手直しをし、もちろん作業スピードは遅く、完璧を求めるあまり、そのストレスも尋常ではなかった。
けれど、それが全て悪いことかと言えば、そうでもなかったのかもしれない。
いくら他者からの評価のためとは言え、こうして満足のいく成績を修められたことは、自分の自信にも繋がった。
ただ、取り組む動機として、他者評価ではなく、素直に「自己を高めるため」であったなら、もっと違う精神状態で課題に向き合うことができただろうし、総代に選ばれた時の気持ちもまたひと味違ったものになっただろう。
そっちの方の気持ちも味わってみたいが、外部からの動機付けによって努力をしてきた私自身を認めてあげたいと思う。
心をすり減らした分、きっともっと強い心ができあがってるよ・・って。
よく頑張ったね。お疲れさま・・って。
これが君の望んでいたことでしょ?自分の力で叶えられたね・・って。
今日、私は大きな満足感と少しの自信を携え、四年間の学びを正式に修了した。
これからは自分で自分を評価し、認めてあげられるようにならないと。
これまでのように周りから決定される「成績」だとか、「賞」だとかに縛られていたら、今度こそ本格的に心が壊れてしまいそうな気がする。
まずはしっかり「自分」が納得のいく仕事をする。
その結果、周りから高く評価してもらえたらラッキーだ・・くらいの気持ちで。そうなるまではかなりの時間を要するだろうから。
学校だけでなく、これまでの自分を卒業し、新たなスタートをきりたい。
ひとまず、今日はこれだけ言わせてほしい。
卒業おめでとう、私。
これから進む道に幸あれっ!