備忘録 22-12-25
憤りを発して食を忘れ、楽しみて以って憂いを忘る
――発憤忘食、楽以忘憂
『論語』
孔子の弟子に子路(しろ)という人物がいる。ある人が、この子路に向かって、「孔子 とはどんな人物ですか」とたずねた。だが、子路は答えられなかった。あとでそのことを知った孔子は、こう語ったという。
「女(なんじ)なんぞ曰(い)わざる。その人となりや、憤りを発して食を忘れ、楽しみてもって憂いを忘れ、老いのまさに至らんとするを知らざるのみ、と」
なぜ答えてくれなかったのかね。時勢を憂えると食事のことも忘れてしまう。楽しみごとに熱中すると心配事もふっとんでしまう。そうして老い先の短いことを忘れている男だ、と。ざっとこんな意味になるかもしれない。
これは、孔子がみずからえがいてみせた自画像である。なんとも言えない味わいがあるではないか。
しいてコメントすると、「憤り」だけではなく「楽しみ」もあるところがいい。われわれも、こういう生き方をしたいものである。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日顔晴りましょう。