備忘録 22-07-03
愛は憎しみの始め、徳は怨みの本(もと)なり
――愛者憎之始也、徳者怨之本也
『管子』
「愛は憎しみの始め」――そのへんの流行歌の文句にでもありそうな言葉だが、実は今から二千数百年もまえにまとめられた『管子』にあることばである。こういう人間関係の機微は、昔も今もまったく変わっていないのかもしれない。
ではなぜ愛が憎しみの始めになり、徳が怨みの本になるのか。『管子』によれば、報いられることを期待するからだという。つまり欲がからむからである。
たとえば親子の情愛である。始めは純粋な愛情から出発しても、だんだん親の期待が芽生え、子供の思惑がからんでくると、せっかくの愛情も憎しみに変わりかねない。徳にしても、本来は自分のためのものである。そのへんを錯覚すると、これまた怨みの本になりかねない。
『管子』は、このことばを挙げたあとで、『ただ賢者は然(しか)らず』という一句をつけ加えている。願わくは、そうありたいものだ。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
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