備忘録 22-11-17
我を馬と呼ばば、これを馬と謂わん
――呼我馬也、而謂之馬
『荘子』
ある男が老子の評判を聞いて会いに来た。ところが、家中乱雑に散らかっていて、人間の暮らしとも思われない。かれは、さんざん毒づいて帰っていったが、翌日また会いに来て昨日の非礼をわびた。すると老子はこう語ったという。
「きみは知者だの聖人だのといった観念にわずらわされているようだが、わたしはそんなものはとっくに卒業したつもりだ。昨日、もしきみが私を牛だと言ったら、わたしは自分を牛だと認めたろう。馬だと言ったら、やはり馬だと認めたろう(我を馬と呼ばば、これを馬と謂わん)。人がそう言うからには、それなりに根拠があってのことだ。それをいやがって逆らったりすれば、いっそうてひどい目にあうものさ。わたしはいつだって逆らったりはしないよ」
何ものにもとらわれない生き方ということだ。ここまで達観できれば、人生の味わいもまたいちだんと楽しいものになるかもしれない。
以上、「中国古典一日一言」(守屋洋)より
今日も一日顔晴りましょう。