BTS V、友達でも恋人でもない…【FRI(END)S】の、丁度良い関係
どえらくシンプルなバッキング。レトロっぽいベースが動いているだけ、レトロっぽいパーカッションがトトトンと入るだけ。
いつものVくんからすると、少しエモーショナルな歌い方。そこにもう一つ、違った発声で歌うVくんの声がユニゾンで重ねられているので、少し不思議な倍音が鳴るダブリングになっている。その響きでもって、さらに倍、倍、とコーラスが厚くなっていって、最後は、まるで賛歌みたいな。
丁度良い…。今、わたしに丁度良い…。ダウナーで、単に落ち着くテンポ、ではない。重く、苦しい感情でもない。親密で甘くムーディーな訳でもない。少し、テンションのある、エネルギーを込めた、力強い、ユニティ、大きな愛、「友達」、「恋人」の概念をすっとばして、その先にある、魂の重なるところで繋がるような…。
それが、音楽だけを聴いた時の感想だった。
V ‘FRI(END)S’ Official MV
こんにちは。パクチーです。
3月16日、BTSのVくんによる、兵役中の置き土産が公開されました。【FRI(END)S】。今、このVくんがいない、歌って、カメラの前でアクトして、自宅でご飯を食べるVくんがいないということが、信じられない…。
MVで登場するのは、Vくん以外の全ての人に恋人がいて、常時いちゃこらしている世界。これはVくんが作った世界だろうか?そうだと想像すると、Vくんの内面の世界のハッピーさと、ユニークさ、それを捉えるユーモアに、くすっと笑ってしてしまう。
次に、Vくんが特定の人を愛して、自分以外の全てのパートナー同士が諍いあっている世界。恋人がいるVくんは幸福そうで、家具も増え、家の中が他人の色で色づいている。しかし不思議と目が座っている。
1つ目の世界で、スーツを着て車に轢かれてしまうVくんは、口から血を流しながら無表情で、咽せるところだけが妙にリアルだ。
そして2つ目の世界で再び車に轢かれてしまうと、その体は動かないながら、芯から幸せそうにVくんは微笑んでいる。
最後にENDの文字と一緒に出てくるVくんは、メタ視点で、カメラに向かって微笑んで、「面白いでしょ?」と言ってるかのような雰囲気。作品全体に「フィクションです」というギフトラッピングをして、彼のスマイルはその上に乗せられたメッセージカードのような。
ここで初めて歌詞を見て。
最初は、友達関係にある人に、欲情しちゃってしょうがない話かと思った。
「'09」。Vくんはデビュー前で14歳。何があったのか、何かあったのか…。分からない、しかし、大切な、生涯残る感情を感じた、そういう彼の中の金字塔的年号、としてみる。
ここと、この続きが、後でリフレインで繰り返されるのだけど。不思議と…この歌詞は曲中で2回目に聴くと、歌詞の意味が変わって聞こえる。ここでは、冒頭の歌詞に続くストーリーとして、シンプルに、2009年以来忘れ難い、自分の近しい存在。そして、友情以上の存在に宛てた、吐露として受け取ってみる。
…これは、もしかしてすごく複雑な歌詞なんだろうか?
ここで、「告白」というか、決意、がありますよね。これまでだって大切していた関係なのだが、今までのように保つことに耐えられない、「END」の決意。
ここで、風向きというか、展開が変わるんですよ。切ない気持ちが、ここまでの昂りが、本当に短いセンテンスで、すっと温度が、引かれてしまう。そして、沸騰したような熱さじゃなくて、もっと落ち着いて、広い場所へ、声が、変化していく。
よく見ると、時制が現在なのと過去なのと、注目してみると、2009年は過去の話じゃなくて、2009年に2人が触れた大きな感情、それはかけがえのない価値のあるもので、それを携えた、これからの未来の話なのか、と思えてくる。
ここの力強さは、具体的な誰かに宛てたようでもあり、ファンへの気持ちだと言ってそのまま通じる。肉感がある、具体的な、かつ、誰へ対してでも通用する、彼が掴んだ普遍的な愛情。
人の感情が分からない、自分の感情が分からない、あるいは、仮に分かっていても、Vくんの職業のように、自分の思う通りを、他の都合で押し曲げなければならない場合、ぐっちゃんぐっちゃんになる感情を、言葉で紐解いてもどうしようもなくて、ただ、「愛」の感情が分かる、ワンネスの愛、生きとし生けるものへの愛、それなら分かる、という状態だけが、唯一の救いになる。ということがある。
Vくんが持つかもしれない、個々への愛、個人的な愛、個人的な性愛、個人的に応えたい愛、について、そのどれもが、関係として「不適切」になる場合、最後にはその相手の人に対して、「わたしも、あなたも、大きなひとつのものから繋がって存在している、等しく完全に肯定されている」という次元に至って、初めて、自分を苛む、全てのネガティブな感情から救われる。救われる上に、どこにも嘘のない、ただポジティブな状態で接することが出来る。
この、彼の持つ…「慈愛」…よりも、もうちょっと生々しい、目を見て、話をして、体が触れ合うことのある距離感の人物に対して感じるような、「友愛」寄りの愛おしさ、を、一段高めた、その高さで感じるものを、嘘なく、彼が、自分のものにした。その体感。彼が掴んだもの。
その、強くて、新しい、新鮮なエネルギーが入ってるのが、ぶわわ〜〜っと溢れてくるような楽曲だった。友人というだけでも、恋人でもいられない彼が見つけた、新しい、人と人との、丁度、良くいられる関係。
わたしにとっては、今、それがまさに「丁度良い」。彼が提示してくれた高さが、普遍的な強さを持った愛が、とても心地が良い。今、一番聴きたかった。力強くて、新鮮で、若々しくて、本質的な愛。
…と、翻訳って不思議だよね。こういう邦訳をしている人はいないかもしれないし、文法的にも合っているのか、本当に、まじで確証はないんだが…こんな気分でパクチーは受け取りました。
聴いている時より、MVを見ている時より、翻訳している時が一番感情移入して、涙がぽろぽろ出る。特定の誰かを愛せないまま終わる「V」という人の人生はこの上なくバッドエンドなんだけど、特定の誰かを愛して、その人以外のものが目に入らない「V」くんの人生も、同じくバッドエンドだと。そういう自分を愛して、世界を愛して生きる…それが唯一ある、生存のルートだ…。MVの最後にVくんがふたりいて、そのことにやっぱりくすりと笑んでしまう、彼らしいユーモアなんだけど、
結局、他人を愛することと、自愛と、「相手も自分の一部である」という感覚が、どれも大切で、どれも同じところにたどり着く、それは決して不幸な心情じゃない。彼の描いたエンディングはそんくらい意味の深いものであるように思えるし、
あるいは、「そんなんじゃないよ」と、軽く息を吹いて熟考を払ってくれる、そんな笑みのようにも感じるし。
それでは、また!
追記:
うぅうぅううつくスぃいいいいいい〜〜〜〜〜〜!!!!!