わが社のコロナ対応
你好我好(ニーハオ ウォーハオ)という会社を始めて10年目になる。2011年の10月28日に台湾で設立登記された。
正規式名称は、你好我好有限公司
本や雑誌、テレビ・ラジオ、音楽交流などを通じて
日本と台湾のつながりを促し、両方が楽しくなることを目標として、你(あなた)好(Good)我(私)好(Good)という名前になった。
英語名は、BLUETREEPRESS LIMITED COMPANY
青木由香の事務所も兼ねる会社。
名前にちなんで、BLUE(青)TREE(木)PRESSとつけた。
今は社員は4名。バイトが2名の小さい小さい会社だが、台湾と日本、相互がバランスよくお付き合いできるように意識している。
文化事業を通し、様々な方向で人の繋がりを作る事ができる会社を目指している。
3.11震災以降、日本と台湾間では各分野で急速な発展を遂げた。
ワーキングホリデーの相互導⼊や、⽇台民間投資協定、⽇台産業協力架け橋プロジェクトなど、経済協力体制の進展に加え、⽻⽥ー松⼭空港直⾏便の就航。オープンスカイ協定による地⽅便の就航などで、都市型の観光に加え、地方への誘客ニーズも⾼まっていった。
⾸都圏空港以外の空港でも、そこを中継地として旅客、貨物を載せ、第三国へ輸送することについても⾃由化が可能に。
台湾から⽇本を訪問する旅客数は、2012年には156万⼈を記録し、LCCの就航により、更に⽇本各地と台湾の関係が活発になった。
2011年4月から、毎週1時間放送されるJapan FM Networkのラジオ番組『樂樂台湾』のリサーチと収録が始まった。
この年、FRaU 2011年8月號の台湾特集『感謝台湾』は大盛況を呼び、以後、拍車をかけて日本誌のコーディネートや講演会が増えていった。
メディアのお仕事は、書き手でおしゃべりな、神様の稼働がほとんど。僕はスケジュールと条件を捌く係をやっていた。
当初、僕の部門のお仕事はほとんどなく、神様にTLIという語学学校に強制的に入れられた。お仕事をしてるフリしながら、ㄅㄆㄇㄈを勉強していた。
音楽以外にも沖縄のことをやりたかったので、Simple market沖繩海洋祭というイベントを、沖縄県台北事務所・観光会議局と実施した。
沖繩の原材料を会場に常設されてるベーグル屋と、外の出店店舗にアレンジしてもらい、貿易センター向かいにある、四四南村でSimple maarketと連動する形で開催した。会場では、棋子とDingdong Lee に沖縄を旅してもらって、旅行写真と日記を展示してもらった。
2011年当時、青木由香が良く行く、茶人の家があった。
そこに行くと、とてもお世話になっていた、頼やーりんから、台湾のプロモーター友善的狗の沈光遠さんを紹介された。
そして、台東 東海岸音楽祭(2011.8月)に、Sansanarの出演が決まった。
数万人規模の屋外舞台、張 惠妹(アーメイ)の出演の一つ前が沖縄組の出番。沖縄の新人でまだ台湾で知名度がなく、僕にとってもとても大きなチャンスだった。だけど、基本経費は出るが、他条件は厳しいものだった。
経費を捻出するために、みるく情報の金城ちゃんさんに、琉球リカちゃんの人形を送ってもらい。それを物販で売って補填しようとした。
Sansanarの舞台演出終了前に、会場エリアは大雨が降り、物販テントに大勢の人が押しかけ、雨宿りの場所になった。
結局、物販ブースの販売は、りかちゃん人形2個に終わった。買ってくれたのは、物販で雇ったバイト君の親だった。
そして、翌週、バイト君からは釈迦頭フルーツ1箱が送られてきた。
ライブの反応は、おかげさまではとても良かった。
そんなこんなで始まった会社。。
ラジオ番組は毎週休まず、台湾の音楽も日本に紹介したいという目標を持ち、雑誌の他に、音楽家やプロダクションの日本へ向けての紹介を積極的に行なった。最近は、政府とも連携し、観光や文化紹介なども行なっている。
日本各地方に足を運び、台湾に向けて現地の情報をメディアやイベントや裏方の活動を通じて、少しづつ発信してきた。
この時期、⽇本各地から桃園空港への18都市23路路線が就航していた。
台湾桃園空港から台北市内へMRT路線⼯事がも進み、数年で更に市内からのアクセスが良くなっていった。
青木由香は以前から、ものづくりやデザインを表現する人を紹介できて、日本と台湾のいいものが販売できる場所が欲しいと考えていた。
2014年に素有ちゃんを出産し、少し落ち着いたので、お店を始めることになった。
2015年4月 你好我好の店舗オープン。
初めて並んだ商品は、川島小鳥の写真集。『川島小鳥眼中的台灣明星』。
台湾での撮影の際、小鳥ちゃんに青木由香がいろんな人をつないでいたので縁があった。写真集だけを壁一面とテーブルに積んで販売。2015年に、木村伊兵衛賞を獲った川島小鳥。未来ちゃんでも注目を集めていたので、写真集発売イベントは、2週間の予定が、3日ともたず売り切れた。
その後、イラストレーターyamuyamuのpop up など展示をワークショップを行ってコラボ商品を作ることになる。
山梨県の「SIWA|紙和」などとも出会い、日本の良いものも紹介できるようになった。
日本からの観光客の増加に伴い、お土産屋さんっぽくなってきて商品構成が増えてきたので、隣の店舗も借りて、ギャラリーとワークショップスペースを始めた。
娘たちも元気に育ってきた。
2020年1月に、事務所と倉庫、店舗スペースを一緒にするということになり、今の場所に物件を借りることになった。
契約した後すぐに、コロナが到来することになる。
台湾では、3月19日から日本人を含むすべての外国人の入国を禁止した。
神様は、すぐにInstgramで店から生中継をして、お店の商品を遠隔で日本の皆様に販売した。メッセージで注文を受け付ける形で。
計画的じゃなかったので、現場は大変だった。段ボールも注文を受けてから、まとめて太原路に買いに行く始末だった。
この人数で捌くには、膨大な量のSHIPPING , PACKING LISTに梱包。これが続くとやばいという話になり、EC販売の環境を急いで整備することになった。
ITマーケティングに強い、近藤弥生子にアドバイスを受けてタスク出しを行い、青木由香が商品構成とキャプションを作成、他スタッフで商品撮影・発送・決済・コンプライアンスなど、開設に向けて基本的な準備を行なった。
僕も、2月29日に台東で予定していたOkinawaNightや、3月7日に予定していたBEGINの台湾公演が中止になり、スタッフ全員でECの立ち上げに集中することになった。
そして、5月5日 15:00に你好我好OnlineStoreがオープンとなった。
早く状況が良くなるよう祈りつつ、二店舗を営業していたのだが、余力を残して次のステップに行けるように、2010年10月、1号店を閉めて、二号店の『你好我好廟口店』のみ営業となった。
店舗の2階は、事務所兼倉庫となり、お店のスタッフは、ECに移行した。
最近は、卸しの依頼を少しづついただけるようになってきた。
まだ、未熟だが貿易の知識もつけながら、台湾の良いものを紹介する活動を行っていきたい。
沖縄では、第2滑走路の開業、国際物流拠点の整備が着々と進んでいる。台湾では、桃園国際空港の第3ターミナルビルは2026年に完成予定。港間の協定も結ばれている。
日本と台湾間の連携が可能で、円滑な発送体制が整えられるようであれば、台湾国内外向けのECにも取り組んでいきたいと思っている。
それまでは、小さくても良い商品を丁寧に、台湾の方々に紹介しながら、ファンを獲得していきたい。
あと、配信設備を購入して、中継できる体制を作っているところ。
小さい現場であれば対応できるようになったので、少しでも音楽家のお手伝いできればと思っている。
今は、止まって物事を考える時間。
昔は、沖縄産の大豆を作った豆腐があったそうな。
100%沖縄産のインディカ米を使った泡盛とかもあったらいいなと。やちむんも一緒に、泡盛本来の楽しみ方を提案できたらいいなぁ。
凹んでないで、耕作放棄地を活用していろんなことに挑戦するのいかが?
耕しながら歌ってるのを記録して、かっこいい音や映像にしていけるといいなあと。
皆様のご健康をお祈りします。
おすすめ商品:
台湾国産有機大豆の豆腐よう
梱包担当:伊禮
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