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歳を取るのが怖い牡丹たん

本日牡丹たんはめでたく(?)25歳の誕生日を迎えることとなりました。

この記事では25の誕生日で死ぬかもみたいなことを書きましたが、とりあえず現状そんなつもりはありません。
noteを読んでくれたり、リアルでも良くして下さる方々のおかげと言う他ないです。いつもありがとうございます。

一方で、年齢を重ねてしまうことへの恐れというものが日々深まっていることも事実です。

僕が何を恐れているか、というのは概ね↑の通りです。
牡丹たんは怒りや憎しみを抱えやすいタイプの人間であるという自覚は大いにあって、歳を取るにつれて頭が固くなったりすることも手伝ってもともとネジくれた人間性が更におかしくなってしまうのではないか、というのが心配なんですよ。

12歳くらいの僕や15歳くらいの僕が最新の僕を見て、許してくれるような存在でありたいとずっと考えているわけですが、歳を重ねれば重ねるほどそれが難しくなっていくのではないかな?と思っています。
段々と新しいことや最新の価値観が受け入れられなくなっていって(今だって本当にできているか怪しいもんですが)、抱えた怨嗟に精神が歪み、所謂老害的な、怪物のような人間になってしまうのではないかと思うと歳を取るのは本当に恐ろしいです。

ネットリアル問わず、40〜50代以上の色んな人たちや、自分の親なんかを見てると、こうはなりたくないなあとしばしば思わされてしまいます。
世間一般では彼らの方がマトモで牡丹たんが異常者ということになるのでしょうが、それならそれで僕は異常者のままで良いと最近は考えられるようになりました。
少し前までは、頭のおかしい人間であることから抜け出したいけれど最早その手段はないので死ぬしかない、的に思っていたのでこれはちょっとした変化かもしれませんね。

とは言え、僕が悪い意味で本当におかしくなってしまった時、そのまま無様な姿を晒すことのないよう何らかの形で自己の劣化に気付ける手段を設けておく必要性は感じています。
気付きさえすれば、そこで何とか劣化を抑えようと努力するなり諦めて死ぬなりを選択することができます。でもそれに気付くことができなければ、色々な人に迷惑をかけながら迷惑な人間として迷惑な余生を送るだけです。そこに価値はありません。

とりあえず、なんとか25歳までの「宿題」を形に出来た以上、今後の課題として自身の老化にどう抗うかというのを考えていこうと思っています。
しかしまあなんと言うか、少し前まで25の誕生日までに死なないといけないと思っていたのが、そんな先のことを考えられるような精神状態になっているというのは、自分でも意外な感じですね。
こんな風に意外だったり思い通りだったりしながら、大切なものは変わらずにこれからの人生を送っていけたらいいな〜と、今は思える様になりました。

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