今更キミスイを初読して感受性が爆発した24歳のおじさん

中高を男子校で過ごし、その殆どの期間を異性に一切触れずにいた僕にとって、青春というものは100%ライトノベルの世界にありました。
共学で育ったであろう多くの方々には理解出来ないと思いますが、当時の僕の脳内には全く誇張なしでホルン(楽器ですね)とゲームとラノベのことしかなかったんですね。よく考えたらラノベと一般小説の比率は7:3くらいだったかもしれません。全く誇張なしという言葉は誤りでした。此処でお詫び申し上げます。

それはともかく、ここまで言うだけあってそれなりの数を読んでいたわけですが、「半分の月がのぼる空」という作品にはとりわけ傾倒しました。
黒髪ロングガターという性癖を持っていた僕にとって(ここまで書いてて思ったんですが、一体このノートは何なんでしょう?徒らに自分のキモさを曝け出しているだけな気がしますが、生憎僕は恥という感情をあまり持ち合わせていないためこの調子で続けさせてもらいます)この作品の主人公はどストライクだったわけですが、それだけじゃなく、夏目先生の昔の話や、浜松時代の話(未読だから訳わからんという方へ。読んでください)にも心を掻き乱されましたね。お世辞にも明るい話とは言えない作品ではありましたが、「ハッピーエンド」(と僕は思ってます)と言える結末に着地したことが、読破した後の僕の心にどこか安堵感を与えていました。 この体験は僕の中でもかなりの比重を占めていて、「その手は何かを掴むためにあるんだ」って言葉は今でもそうだよな〜って思い続けてますし、これは因果関係は不明ですが、僕が5年以上崇拝し続けている推しの一般人女性は計ったように病弱な黒髪ロングです。一体このノートは何なんだ?という疑念が僕自身本格化してきたところで、本題に入りたいと思います。

はい。キミスイ。実は敬遠してました。なんか設定がありがちじゃね?とか、タイトルが俺妹系列じゃね?みたいな感じで(個人的にこういう作品のタイトル及び作風は「俺妹」以前と以後に分けられると思っているのですが、その話はまた機会があれば)。
ただそれとは全く別に、最近ミスチルのhimawariが個人的にヘビロテ曲だったため、折角だから原作も読んでみるかあと。
ここで偉大なのはkindleです。僕がキモいラノベオタクだった時代は、何か読みたいのがあっても本屋で探すなりAmazonで注文するなりでどうしてもインターバルを置くことになり、それが億劫で別に読まなくていいか…みたいなことになるのも少なくありませんでした。
それが今やkindleでワンタッチ!!しかも360円!!!!マジですか?
日課の通勤天鳳を絞りカスのような3着で終えた僕は即刻携帯の画面をスワイプし始めました。
うっ…これは…性癖にどストライクすぎる…
多弁な彼女と内省的ながらもユーモラスな僕との会話、どこか西尾維新を彷彿とさせる(言ってませんでしたが僕は西尾維新のキモいオタクです)台詞の回し、僕は弊社の最寄駅が近づいているのも忘れて読み耽ってしまいました。
当然そのまま最後までというわけにはいかず、退勤まで1日ソワソワしながら仕事をすることになったのですが、普段よりテンションが高く機嫌も良かったので、周りの人には何かいいことあったのかもしれないとか、漸く心を開いてくれたみたいに思われてたかもしれません。うう、ごめんな、こんなことが理由で。

しかし読み終えると一転、僕の心はボロボロでした。結末が悲しいとか、主人公の後日談での姿に感動したとか、ありきたりなことを言う気はありません。言いたいことは二つ。
まず思ったのは、史実の通り急にその人生が絶たれるのと、あと半年の余命を時には楽しみながら、時には死を恐れながら過ごすのとでは、どっちが良かったんだろう?ってことです。
そんなん後者に決まってるだろ!って人は想像力が足りません。生憎僕は経験がないので分かりませんが、あと半年しか生きられないと分かっていながら過ごす日々というのは、実際結構辛いものなんじゃないでしょうか。
すごく楽しいことをしてたり、嬉しいことがあっても、どっかでフッと「半年後には…」ってなってしまうと、正負の符号がまるっきり入れ替わるようにすごく悲しくなってしまうような気がします。対して史実の死に方を、まあ詳しい描写がないのでここでは仮に即死だったとすると、やっと退院や〜みたいなウキウキ気分のまま一瞬でばったりてのはそれはそれでどうなのかな?とも思います。別にどっちが正解と主張する気はないんですが、案外この問いは難しいかもしれません。

じゃあもう一つはなんだい?と思われてるそこの方。ハッキリ言って、嫌気が差したんですよ。こんなことを考えてる僕自身に。
読み終えて一番最初に出たのが、そのまま半年間の線路に乗って死んでいくのとばったり殺されたのどっちが良かったかは難しいところだな〜って感想なのは明らかに普通じゃありません。
そう、僕もあの主人公と同じく、他人と関わる気がない、他人が非常にどうでもいい、孤独な人間なんですね。この歳にもなって。
でもあの主人公は変わったんだと思います。その姿が後日談で書かれていますし。正直羨ましいとも思います。
僕はダメです。気付くのが遅すぎました。
それこそキモいラノベオタクだった中高生の時代に読んでれば多少は違ったかもしれませんが、今ごろになって僕がそうなる可能性はゼロでしょう。
僕は他人がどうでもいいどころか、自分さえどうでもいいというところまで達してしまいました。死にたいと思っているのも、自分も他人もどうでもいいからです。どうでもいいと思っている事のために、人生の大半と言える辛い時間を耐え続けることはできません。
もしかしたら、未だに僕が病弱キャラに惹かれるのもそれが理由かもしれませんね。彼ら彼女らはみんな生命が限られているからこそ、生きたいとどこかで願っていて、真逆の僕はいつ終われるかわからない生命に嫌気が差していて、どっかでぴゃっと終われないかなあと考えています。自分に全くないものを持っているからこそ、ずうっと惹かれ続けているのかなあと思いました。

そんな感じのことがさっきからずうっと頭の中を駆け巡っていて、大変なのでこのノートを書いてみました。そう、キミスイを読了したのはついさっきだったんですね。
僕自身のタイムリミットまで10カ月を切ってるこの寒い日に、こんな文章を書いてみました。
とりあえず何かの間違いで、僕の推しである一般人女性にこのゴミノートが見つからないことを祈るばかりです。

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