【眠れない君へ】「発達障害 死刑宣告」で検索した君に送りたい。
こんな遅くまで起きているなんていけないと思いながら、どうにも眠れなくてこのページに来たのかもしれないね。何か悩み事があるのかもしれない。
寂しいのかもしれない。孤独なのかもしれない。何か辛いことがあったのかもしれない。
堂々巡りな考えが頭の中を駆け巡っていて、どうにも思考が止まらないのかもしれない。
そんな時は、誰にどんな言葉をかけられても救われる気がしないね。君のことがわかるのは君だけなんだから。
実はこの世の全ての人が孤独なんだけど、多くの人はそれをごまかしながら生きている。うまい具合に仕事やゲームや恋愛や子育てをしながら、いろんなステージを生きている。たまたま、今の君に悩みのステージが来ているだけなんだ。
僕は死という概念について、ふと考えたことがある。誰にでも訪れる死。
もう一つのほぼ更新していないブログに訪れる人の検索履歴(どんなワードでこのブログにたどり着いたか)を知ることができるのだけれど、「発達障害 死刑宣告」で検索して辿りつく人がいた。今日はそんな人にに送りたい。
この死に対する見方について、この2年で大きく変わったなぁと思うことがある。
きっかけはなんだっただろうか。鬱が一番重い頃、「生きている方が苦しい」という状態があった。生き地獄。この時の衝撃的な体験が、僕の創作意欲にもなっている。
自分の生き地獄の真因を探りたくて、会社を辞めた後に病院を回った。結果的にASD診断が下ったのだけれど、これがまたコンプレックスにつながり人とのコミュニケーションに勇気を持てなくしている。今現在でもそのようだ。
お金を使い切ったら、貧して食えなくなったら死んでしまってもいいかなと思っている。こう書くとネガティヴになるが、死は眠りと一緒で怖いものではない。
死は眠りと同じ。みんな毎日体験してる。天国も地獄もない。
もう一つ、楽になった考え方。
美大に行きたいと話す娘に、母親が「絵だけじゃごはんは食べれませんよ」と言っているのを聞いて、ああ、その時は死ねばいいのだと思った。やりたいと思うことをやって、食えなくなったのならば、その時は死ねばいい。絵の道を諦め、数年後に母親を恨む人生を送るより、よほど清々しいことだと思った。
お金がなくなったら死んでしまおう。でも、僕は死なない予感がしている。生かされる気がする。
(江頭2:50の発言)そうだな、俺なら、死ぬ前にキャッシングして、ラスベガス行って、世界一周して、〇〇して(放送禁止)、やりたいことやりたい放題やって、そしたら300歳くらいになってるよ。
死ぬのは怖くない。でももったいないから、お金使い込んでなくなったら死んでみたらどうかな?一度死んだ気になれば、大抵怖くなくなるもんだよ。サイヤ人みたいなもんだよ。
しばらく休むことで開ける人生があるよ。だから、まずは生き延びよう。
呼吸をして、今日を生きた自分はすごいって、自分で自分をほめてあげよう。
君は生きていけると思うんだ。
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