孤独とどう向き合うべきか
孤独とどう向き合うべきか、考えている。
20代までは、孤独に押しつぶされるなんて感覚はそうそうなかった。
一人で誕生日を過ごしたり、一人でクリスマスを過ごしたりした時くらいだ。大部分の人が、一度はあるんじゃないだろうか。
孤独に押しつぶされそうになる感覚を覚えたのは、30才を過ぎてからだ。
結婚して単身赴任をした時。子供と会えない日々。
少し発想を変えて、結婚していなかったら、子供がそもそもいなかったら、味わうことがなかったとも言える。
ということは、孤独だと感じるのは、本来なら孤独ではない状態にもかかわらず、そうではない事実を辛く思う心から来ている。
ヘンリー・デイヴィッド・ソローの「森の生活」のように、孤独を愛し、その自分を受け入れていれば、苦しみは生まれない。(読んでないけど)
僕もソローも、一人であるという物質的には変わらない。なのに、一方はその事実に押し潰され、一方はそれを愛する。
この違いはなんだろう。
孤独を愛するということは、何かを捨てているからできることだ。完全なる一人と化し、その自分を認知して当たり前だと思う。
一方、僕が孤独に押しつぶされる時は「一人の状態」を異常だと思っているからだ。結婚したら隣に妻がいる、子供が生まれたら朝起きたらそこにいる。
我ながら、まあ、そりゃ辛いだろ、と自分に対して思う。
「先払いの法則」というのがあるらしい。今日テレビで元アナウンサーが言っていた言葉だ。
よくわからなくて、ググってみたが、どうやらお金のスピリチュアルらしい。
人生には先払いの法則が働いています。
得たいものは、先に払わなければ得られないのです。
よくわからない。元アナウンサー曰く、「先に何かを捨てて、代わりに何かを得る」為らしい。例えば、タバコとか、お酒とか。
例えば、これを孤独に置き換えてみる。
孤独とは、「人間関係を捨てて(または得られずに)一人になること」だ。その捨てた代わりに、必ず何か得るものがある。
これはわかる。何かを捨てたら、何かを得るのはわかる。
一体なんだろう。少なくとも、金銭的な果実ではなさそうだ。
同じような孤独にいる人の気持ちを理解し、いつか力になれる素質だろうか。
「孤独ではなくなった時の幸福感」ではないと思う。そんな作用反作用のようなシンプルなものじゃない。
「孤独に耐える力?」「孤独を受け入れるしなやかな強さ?」
うーん、わからない。これは宿題だな。
せっかく「先払いの法則」などという見る人からみたら胡散臭い言葉をいれたのだ。ついでに、不思議なことも書いてみよう。
どんな人にも、どんな仕事をしていても、仕事をしていなくても、「使命」というものがあるらしい。
母親の場合は、「愛を教えるため」らしい。
一方、私は「夢を与える」使命があるらしい。
よーわからん。けれど、基本的に、人から言われた時に理屈ではなく腑に落ちる感覚を覚えた言葉は信じることにしている。
その為の今かな。