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研修講師未経験で独立して、30代でも年間100日以上の登壇依頼をいただけるまで【プロフィール前編】

こんにちは。LX(Learner Experience)デザイナーの柳瀬です。

 今回は、私のプロフィールを書いてみようと思います。書いていたら、かなり長くなってしまったので、2回に渡ってお届けします。(読んでくれる心優しい人はいるんだろうか。笑)

前編「研修講師未経験から独立して、年間100日以上の登壇依頼をいただくまで」
後編「法人化し、LXデザイナーとして複数のプロジェクトを推進する現在まで」

です。

まず私の人生を一言で言うと、

自分の夢の実現方法を探究し、一歩ずつ着実に自分の足で進んできた人生

でした。

まず私の第一章は、何気なく始めた野球との出会いから始まります。

第一章:どうしたら自分はプロ野球選手になれるか?

 まず第一章の問いは「どうしたら自分はプロ野球選手になれるのか?」でした。

 小5でイチローさんの活躍を見て、本格的にプロ野球選手を目指そうと決意します。ですが、残念ながら、私の周囲に野球を専門で教えられる人はいません。そこで私がしたことは、自分で野球を研究することでした。

 中学の時は野球の技術本を読み、高校になるとスポーツ科学の専門書を読んでいました。愛読書は「初動負荷理論による野球トレーニング革命」「雑誌コーチング・クリニック」「大リーグのメンタルトレーニング」でしたし、トレーニングのセミナーを受講しに岐阜から京都まで行ったこともありました。

 でも、やはり独学では限界。もっと高いレベルで野球をしなくては絶対にプロになれない。そう思い、大学では、スポーツ科学を学びながらプロを目指せる環境を求めて、筑波大学体育専門学群に入学しました。

 結果は大正解。まさに私にとっては最高の環境でした。ここでの1年間は、これまでの5年間分以上の上達に匹敵するもの。まさに僕にとっては精神と時の部屋でしたね。本当に劇的にうまくなりました。

 この経験で「成長は環境が大事」という考えに至りました。

 ただ本題とは関係ないので詳細は割愛しますが、大学1年の秋頃、プロ野球選手になれる人のレベルの高さに衝撃を受け、絶対に自分はプロ野球選手になれない、と悟ります。

 そこで僕の人生の第一章は幕を閉じました。

第二章:どうしたら自分は起業家になれるか?

 次なる目標は、意外とすぐに見つかります。それは起業家でした。そのきっかけになったのがDeNA創業者の南場さん。当時DeNAはまだ社員数100名前後のベンチャー企業だったかと思いますが、あるイベントで南場さんのプレゼンを聞いて「このバイタリティ溢れる女性かっこいい!」とひとめで惹きつけられました。

 その後から、私の第二章「どうしたら自分は起業家になれるか?」が始まります。それまでは野球と勉強を黙々とやっていただけですし、親が商売をやっていたというわけでもないので「会社をつくるって何?」「仕事って何?」というレベルでした。まさにゼロからのスタート。プロ野球選手を目指したときと同じように、また探究しながら進みます。

 大学時代には、スタバでのバイト、NPOへの参画、球団経営の勉強、ベンチャー企業でのインターン、他学部の世界経済のゼミの勉強などなど、自分の好奇心に従い、とりあえず動き続けてみました。

 社会人になってからは「起業家輩出機関」と呼ばれていた経営コンサルティング会社、自分の好きを追究したスポーツマーケティング会社と2社経験し、仕事やビジネススキルについての理解を深めていきました。その間、もちろんたくさん学びました。ビジネス書籍をたくさん読みつつ、ビジネススクールにも通いました。

 そして、ついに2013年に独立することになります。

 ですが、独立前後で最も感じたことは「何のために独立するんだっけ?」ということです。(←バカですよね。こんなことを今更考えるなんて。)起業家になることが目的だったので、明確な目的があるわけではありませんでした。独立直後、ある方に「何がやりたいの?」と聞かれて、「SNSマーケティングとかですかね。」という全く信念も思いもない答えを返していて、呆れられてしまったことを今でも覚えています。

 そこで必死に考えます。

 その時に湧いてきた問いは「なぜ自分はこの程度なんだろうか?」でした。

 これまで遊ぶ時間もかなり削って、野球・勉強・仕事に打ち込む日々。どこへ行ってもそれなりの成果は出し続けていました。でも、優秀な人はもっと活躍しているし、新卒時代の同期はもう起業家として活躍している。しかも、自分が成し遂げたいことも曖昧な状態。

この差はなんなんだろう、と。

 そこで生まれた問いが「どんな教育、どんな経験、どんな環境が人を最も効果的に成長させてくれるんだろう?」でした。シンプルに言い換えると、「どうしたら人の可能性を最大化できるだろうか?」という問いが生まれます。

 ここで、ただ起業を目指した第二章が幕を降り、第三章へ移ります。

第三章「どうしたら人の可能性を最大化できるか?」

 「やはり、これからは人材育成であり、教育だ!」と思うものの、もう独立してしまい、これまで教育も研修もやったことがありません。強いていえば、スポーツマーケティング会社で、サプリメントの営業の一貫として、栄養講習会を数多くこなしたことくらいです。

 ですが、思わぬ出会いがあります。独立後迷走していた際に、新卒時代の先輩に相談した際、紹介してくださった「体験型の新入社員研修」でした。それは、たった3日の研修。ですが、その3日で劇的に人が変わる瞬間を目撃しました。衝撃を受けました。こんな研修があるんだ、と。。

 それから、体験型の研修に虜になります。直感的に「これをずっとやっていたい。」と思いました。そんな状態をつくるためにどうすればいいのか。ここから、また探究の日々が始まります。

 一方で、はじめたばかりですから、当然私に研修の依頼はほとんどありません。はじめは年間6日(つまり2社)くらいでした。そのため、時間はたっぷりあったので、とにかくスキルを磨くべく様々なことを学び始めます。

 コーチング、ファシリテーション、発達心理学、認知科学、チームビルディング、組織開発、ゲーミフィケーションなどの科学や、モンテッソーリ、レッジョエミリア、国際バカロレア、PBL、アクティブラーニング、体験学習などの教育理論について幅広く学んでいきました。

 その中でも、最もお気に入りは、ハーバード大学教育大学院のロバート・キーガン教授の書籍「なぜ人と組織は変われないのか?」でした。なんとなく手に取った本でしたが、研修で感覚的にやっていることが理論として体系化されていました。

 書籍では物足りず、著者が来日してセミナーをはじめて行う際には、すぐに受講することを決めました。とっても刺激的で面白いワークショップでした。

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 学ぶに従って、企業研修の仕事は徐々に増えていったものの、それでも時間はたっぷりあります。そこで、野球チームのチームコンサルティングにも取り組みました。最も多いときで、高校・大学合わせて3チームのサポートをしていました。

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 そんな仕事をし、ブログをちょっとだけ書いていると、内容を面白がってくださり、雑誌の記事の依頼もありました。

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 それが、神奈川県の教育委員会での研修や、JOCでの研修につながります。

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 最初の4年は、体験をキーワードに、小学生〜社会人まで様々な年代の教育研修に携わり、教育プログラムを作ったり、ファシリテーションをしたり、記事を書いたりすることで、研修ノウハウを構築していきました。

 とりあえずがむしゃらに勉強し、ひたすらやりたいことを一生懸命に取り組んでみただけでも、色々と仕事の依頼をいただくことはできました。もっと本気で取り組んでいけば、スポーツ教育の分野で勝負できたかもしれません。

 ですが、どうしても頭にあったのは、元々話が上手なタイプではないということ。もちろん努力することで人並みにはなれます。ただプロ野球選手との圧倒的な能力差を突きつけられたように、何にでもなれるわけではありません。だから、人材育成には携わりたいけれど、この先プロとして勝負していくためにはどのポジションで勝負すべきなのか。必死に模索しました。 

 その結果、ついに辿り着きます。それがアセスメントでした。アセスメントとは、管理職登用の際に外部機関として「受講者が管理職として適任か」を客観的な目で評価を行うという仕事です。具体的には、講師でありながら、体験学習の中での人の行動を徹底的に観察し、分析し、その結果、その人の行動パターンを見出し、本質的な強みと課題を発見する、というものでした。

 これまでの人生を振り返っても、人の言動や雰囲気から、その人がどんな人で、いまどのようなことを考えているかを観察から推察することが自然にできていました。良い言葉で言えば、メンタリストのように人を見抜くのが好きでした。

 これは自分の個性にぴったり合う仕事だと直感的に感じ、このアセスメントという仕事に特に力を入れます。それが当たりました。

 結果、アセスメントの世界では、私は最年少でありながら、3年であっという間に、年間100日を超える仕事をいただくことができるようになりました。

成功要因

 前編はここまで。一旦、ここでまとめてみます。なぜ講師未経験の状態からでも講師の仕事を多くいただけるようになったのか。もちろん運の良さもありますが、再現性のあるもので3つに絞ると、

①自分の個性を活かした仕事に集中したから。
②自分の興味関心に従い、人材育成に関して相当学んだから。
③人材育成の科学と実験を、中学の頃から自分の体を使って繰り返すことで、経験に裏付けられた知見を溜めてきたから。

ではないかと思います。これだけでも記事を書けそうですが、それは後々。

人材育成においての強み

後編にいく前に、ここで一旦、私の人材育成においての強みを書いてみる。

3つ挙げると
「人の可能性をあきらめたくないという思いが強いこと」
「人の個性を見つけること」
「できない人の気持ちがわかること」
です。

 ここまで書いてきたように、私は「自分の可能性をひたすら追究してきた人生で、誰よりも自分を信じてきた」人生だったかと思います。時には「お前には無理だ」と言われることもありましたが、そういう言葉には心の中で反発し、なんとか乗り越えてきました。

 だからこそ、「誰の人生だって必ず可能性がある」と信じているので、諦めず、粘り強く人と接することができます。

 2つ目は、人の本質的な強みと課題を見つけるのが得意です。これまで延べ1,000人以上のビジネスリーダーの方々に強みと課題のフィードバックをしてきていると思います。中でも「目から鱗です!」と驚きの言葉を常にいただいていて、そんな芯をくったフィードバックをすることを心がけています。

 そして、最後。できない人の気持ちがわかる。これは最近しみじみ感じています。いつも自分に対して、もっと才能があったらなとか、もっと頭良くなりたかったな、とか思います。

 ですが、言い換えると、

 何一つ天才的にできることがないからこそ、地道にできるようにしてきた過程があり、その経験を語れる

 ことが私の強みだと思っています。別に、伝説の社員でもありません。若い頃から尖っていたわけでもありません。できないことだらけでした。

 ただ、

・学生時代は、勉強をただの点数獲得ゲームにしてしまい、つまらない勉強の仕方をしてしまった失敗があるからこそ、学び方について教えられる。
・野球を通じて指示待ち人間になってしまったからこそ、どうやって主体性を取り戻してきたかを語れる。
・新卒時代は「言われたことを一生懸命やるから誰か指示をくれ。そしたら絶対成果でるのに。」と本気で思っていて、考えることを放棄していた。
・大学時代は本を読めず苦労したけれど、今は年間100冊以上は読めるようになった経験がある。
・野球では本気になれたけど、仕事で本気になれず、10年くらい真剣に悩んだ経験があり、いまではその問題を解決する方法が語れる。
・自分が何をやりたいかわからなくなり迷走した時期を脱して、いまはやりたいことにあふれている。
・人前で話すのが苦手だったけど、人前で話す仕事をできる過程を語れる。
・どちらかというと安全志向で、確実に起業に向いてるタイプではなかった。が、それでも独立・起業できた。

のように、自分で自分の限界を決めず、1つ1つ時間をかけて、全部克服してきた経験があることが私の財産です。

 だからこそ、できない人の気持ちがわかるし、できない難しさがわかる。そして、その乗り越え方を、科学と経験と両面から語ることができる。

 これらの強みが差別化できるポイントかなと思います。

 前編終わり。後編は「研修講師未経験で独立して、LXデザイン会社を目指すまで」。私が様々学んできた育成の理論についても書いていきたいと思います。

後編はこちら。

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