【SPECIAL INTERVIEW】80年代ソウルを語る Vol.3 ー山内善雄
好評発売中のブルース&ソウル・レコーズNo.169 特集「ホイットニー・ヒューストン映画公開記念─80年代ソウルの基礎知識」。今号はホイットニー・ヒューストンを中心に、80年代のソウル/R&Bを振り返る大特集です。
音楽業界が大きな転換期を迎えた80年代に登場したソウル/R&Bは、どう捉えられてきたのでしょうか。本特集を組むにあたりご協力をいただいた御三方とともに、80年代ソウルの魅力を振り返る連続企画「80年代ソウルを語る」の第3回のゲストは、2022年にスタートしたユニバーサル・ミュージックの再発企画「Throwback Soul ソウル/ファンク 定番・裏名盤・入手困難盤」の編成を務めるユニバーサル・ミュージックの山内善雄さん。
既にシリーズ第1弾の「70年代〜打ち込み前夜編」、第2弾「打ち込み導入〜ニュー・ジャック・スウィング前夜編」が発売中、3月29日には第3弾として「ニュー・ジャック・スウィング / ヒップホップ・ソウル・エラ〜ネオ・ソウル前夜編 Vol.1」が発売されます。シリーズには本誌にも登場した「80年代ソウル」の関連タイトルも多くラインナップされており、ソウル・ファン注目の再発シリーズです。ぜひ、本誌No.169と合わせて、80年代ソウルの魅力にぜひ触れてください。
―――まずは山内さんのソウル/ R&Bとの出会いを聞かせてください。
山内:高校生の頃から本格的に聴き始めました。当時はブレイク・ダンスの音楽や映画が流行っていました。ジャクソン5やロバータ・フラック、スティーヴィー・ワンダーのような、チャートでヒットしたソウル・ミュージックには小・中学生の頃から触れてはいたのですが、NHK-FMの深夜番組「クロスオーバーイレブン」が、ほぼノーMCでダンス・ミュージックの12インチを流していて、それをきっかけにどんどんソウル/R&Bなどブラック・ミュージックに入り込んでいきました。ホイットニーがデビューしたのは1985年、ぼくが高校3年のときです。
高校までは名古屋にいたのですが、名古屋にはソウル専門の新譜レコード屋はありませんでした。近所のレンタル・レコード屋で2〜300円で借りてたくさん聞くか、レコード店で3000円出してレコード1枚買うか……とにかく多く聞ける方を選びました(笑)。自転車で15分ぐらいのところにレンタル・レコード屋さんがあったので、通い詰めていましたね。
―――音楽に夢中になり始めたときは、とにかくいっぱい聞きたいという気持ちが強いですよね。昨今はサブスクが流行して、音楽の聴き方も大きく変わりました。山内さんのような音楽との出会い方はなかなかないかもしれませんね。
山内:今は音楽を聞ける環境が整っていますが、検索機能をうまく扱えないと本当に求める音楽とは出会えないのではないでしょうか。例えば、ボカロものを聞いている10代が海外のヴェイパーウェイヴ・シーンをサブスクで知ることはほとんどないはずです。自分で調べて、音楽のつながりや影響を知り始めると、いろんなフィールドが見えてきますが、サブスク内では音楽と音楽の接点はうまく作りきれていない気がします。
―――雑誌を作っている身としては、ソウルやブルースにどうやってたどり着くのかは非常に気になっていて。そういった意味で映画の影響は大きいので、ホイットニーの映画には期待しているんですよね。
山内:ぼくも劇場に足を運びましたが、女性のお客さんも多かったですね。ホイットニーということもあって、クイーンの映画『ボヘミアン・ラプソディ』よりも多かったのではないでしょうか。
ただ、どうしても途中でホロホロっとなってしまいました……。No.169で林剛さんも記事にされていましたが、同胞から“Whitey(ホワイティ)”と呼ばれたり、ラジオMCから辛辣なことを言われている場面あたりは、見てて悔しくなってしまいましたね。
ぼくもレコードマンという立場で仕事をしていて、もちろん同胞に届ける大事さもわかりますが、楽曲は人種を超えていけるものだと思っています。ホイットニーのプロデューサーのクライヴ・デイヴィスは、70年代にロックやポップスの大物アーティストを担当してきた人なので、アフリカン・アメリカンのフィールドを超えていくことを意識していたと思うんですよね。 だから、ホイットニーにマイケル・マッサーの楽曲を引っ張ってきたり、彼女の声質や特性を、当時の空気感で映えるような演出を考えていたと思います。
でも、デビュー曲の"You Give Good Love〈そよ風の贈りもの〉は同胞にも受けそうなスロー・バラードでした。あれを最初にラジオで聞いた時、なんでこの曲がアメリカで 大ヒットしているのかって一瞬びっくりしましたが、そこから続くシングルを聞いていくと、スターにするべくこういう演出をしてきたんだなっていうのが理解できますね。
ホイットニー・ヒューストン "You Give Good Love〈そよ風の贈りもの〉のMV
マイケル・ジャクソンもそうでしたが、こうした周りの辛辣な反応もある意味宿命だったのかもしれません。マイケルの『スリラー』は、エディ・ヴァン・ヘイレンやスティーヴ・ルカサーを客演に迎えたロック寄りのアプローチでしたが、ホイットニーはもっとソウル・ミュージック寄りだった。クライヴ・デイヴィスはレコードマンとして、そこから人種を超えていける楽曲をホイットニーに歌わせることで、ポップとソウル・ミュージックの掛け渡しをしてくれたと思います。彼女がいなければ、マライア・キャリーも出てこれなかったわけですから。
―――山内さんのホイットニーのお気に入りの楽曲を教えてください。
山内:所謂メロウネス目線からすると、2ndアルバム『Whitney』に収録されたマンハッタンズのカヴァー “Just the Lonely Talking Again”ですね。個人的にはこういう楽曲をもっとやってほしいと思っていたのですが、それが実現したのが95年の映画『ため息つかせて』サントラ収録の“Exhale(Shoop Shoop)”でした。それまでのヒットがあまりにも大きすぎて、ちょっと時間がかかってしまいましたね。
―――林さんや森田さんとの話でも出たのですが、80年代の半ば以降、R&B系アーティストはヒット・チャートを狙ったポップ寄りの楽曲を多く発表する流れがありましたからね。
山内:チャートを分析してみると、その傾向の最たる年が86年だったと思います。86年のR&Bシングルの1位は バリエーション豊かで、クロスオーバー・ヒットしている曲が多い印象があります。87年リリースのホイットニーの2ndも、マイケルやプリンスが作った流れを汲んだ作風になるのは当然で、アイズリー・ブラザーズやマンハッタンズのカヴァーも収録されたクライヴ・デイヴィスらしい気配りこそあれど、当時のニューヨークのナイトクラブで主流のダンスミュージックが"R&B"とされなく、同胞からは叩かれてしまうわけですが、同年リリースのジャネット・ジャクソンの『Control』も近いところがあったと思います。
―――ジャネットの "When I Think Of You"〈あなたを想うとき〉や "Nasty"も、当時は大ヒットしたポップスとして聞いていましたが、一通りブラック・ミュージックの歴史を追ってから『Control』聞き直すと、改めてすごいアルバムだと思います。
山内:当時の感覚としても、ホイットニーと同じようにジャンルを超えていた作品でしたよね。2023年の耳でジャネットの全作品から1作選んでくださいと言われたら『Control』を選ぶんじゃないかな。これを今のマスタリング技術で、よりエッジのあるサウンドに仕立てたら面白いと思っていて。プリンスをも超えるビビッドなサウンドを、実験的にジャネットでやったのは英断だったと思います。
ジャネット・ジャクソンの"When I Think Of You"〈あなたを想うとき〉のMV
―――その通りですね。ものすごく同意します!
山内:No.169誌面の『Control』レビューでは、僕はあえて “スロウの美点はもっと語られていい”と書いているんですが、このサウンドは衝撃的でしたし、最近のサウンドと並べて聞いてみても勝つ音なのではないかと思います。同じ年にヒットした作品が、Run-D.M.C.の『レイジング・ヘル』。この頃のRun-D.M.C.のエレクトロの色が残るビートは、ジャネットとも割と近いものがあって。クロスオーバー・ヒットする曲はインパクトあるなと思いながら聞いていましたね。
―――この頃はヒップホップも大流行していましたね。
山内:と言いながら、当時一番ハマっていたのは86年発表のアニタ・ベイカー『Rapture』でした。同年代のエレクトロ・サウンド、ではないアプローチはものすごく新鮮で。低い声域を活かした華のあるヴォーカルで、“Same Ole Love”や“Watch Your Step”を筆頭に外れ曲がないので、ライフタイム・ナンバーワン・アルバムに挙げたいくらいよく聞いてきました。フュージョン的なアップナンバーもある中でしっかりスローも聞けて、トータル・コンセプトでよくこの内容にまとめ上げたなと。
―――これは名盤として名高いですよね。山内さんの中では、これに出会って音楽の聞き方の幅が変わった作品ということですね。
山内:ソウル・ミュージックへの触れ方が変わって、70年代ソウルにもより目が行くようになりました。歌えるシンガーの、ミュージシャンシップ、シンガーとしてのパフォーマンス、楽曲が渾然一体となった作品を求めるようになったのは、アニタから大きく変わっていった気がしています。
―――ここからは山内さんが担当されている「Throwback Soul」シリーズの話をお聞きします。山内さんは全てのラインナップの選盤を担当されているのでしょうか。
山内:そうですね、基本的にぼくが担当しています。これまでもレーベル単位や「ディスコ」「フリーソウル」、60年代、70年代という企画はあったのですが、年代をテーマで跨いだリイシューは意外となかった。各シリーズごとに「打ち込み導入前」や「ニュー・ジャック・スウィング前夜」といったテーマを決めて、ブギー以降〜ニュー・ジャック・スウィングまでを繋ぐことを軸にしました。特に70年代ソウルでは、本国よりイギリスで人気のあった作品(ダイアナ・ロス、ラヴ・アンリミテッド、スウィート・チャールズ)、日本でリリース当時評価の高くなかった作品(ナタリー・コール初期など)を紹介したかったほか、未CD化作品やサブスク未配信作品など、これまであまり日本でリイシューされてこなかったタイトルも選んでいきました。
―――反響はいかがですか。
山内:「Vol.1 70年代〜打ち込み前夜編」でいうと、マーヴィン・ゲイの『ホワッツ・ゴーイング・オン: オリジナル・デトロイト・ミックス』は反響がよかったですね。単独CD化はこれまでに海外でもされていなくて、トピック的にも目玉の1枚でした。『ホワッツ・ゴーイング・オン』は、ローリングストーン誌「歴代最高のアルバム500」2020年改訂版の中で1位になったことや、昨今のブラック・ライブズ・マターの動きの中で、また見直されているアルバムなので、やはり強かった。
―――ラインナップの中でも、大物タイトルは強いのでしょうか。
山内:そうですね、他にもアクティヴ・フォース、フューチャー・フライトも反響が良かったタイトルです。ぼく個人としては映画『メイキング・オブ・モータウン』や『サマー・オブ・ソウル』の影響もあって、デイヴィッド・ラフィンは、このタイミングで日本盤にしていろんな人に触れて欲しくて。他にも出したいタイトルがいくつもあったんですが、どうしてもリイシューできなかったものも多かったんですよね。
デイヴィッド・ラフィンの"You Can Come Right Back To Me"
「Vol.2 打ち込み導入〜ニュー・ジャック・スウィング前夜編」だと、エル・デバージの反響が良かったです。彼はサンプリングのネタとして人気が高いのかと思いきや、AORリスナーやシティ・ポップからの再評価など、クロスオーバー的な影響が伺えました。
エル・デバージの "Who's Johnny"のMV
「Throwback Soul」シリーズは税抜1200円で展開していますが、ボーナストラックを5曲〜7曲入れてしまうと、正直採算ギリギリなところもありまして…(苦笑)。だけどリイシューするのであれば、いちばん曲数が多いエディションでするべきだと思っています。海外でのリイシューも全部見比べて、曲数も多くて良いテイクのものを選んでいます。本当はボーナストラックを入れたかったタイトルもあるのですが、オリジナル・アルバム通りの内容でないと再発できない作品もありましたね……。
ボーナストラックの話をしますと、元チェンジのジェームス・ロビンソンは、近年のリイシューで良いボートラが収録されていたので、苦肉の策ではありますが、モダン・ソウルよろしく7インチ・テイクを収録しました。
また、ウーマック&ウーマック『コンシャンス+2』は、近年もDJハーヴィーらがプレイしている "Teardorps"と、フローティング・ポイントが12インチで再発した、フランキー・ナックルズによるリミックスの"M.P.B."を収録しています。この作品は単体だとシンガーソングライター色が強くて808ソウルの文脈には含みづらいのですが、ダンス・クラシックとして今に受け継がれている作品なので、そうしたボーナストラックを加えました。
―――今はサブスクが強いですが、CDに馴染みのない世代にも、こうしたシリーズでCD化されているなら聞いてみようとか、興味はあるけど何を聞いていいか分からない人の参考になるといいですよね。
山内:特に20代ぐらいの子たちがCDパッケージを手にしてくれたら嬉しいですよね。実は配信もリイシューもされてこなかった作品は多くて、そういった作品も多く入れているのもポイントです。
サブスクでいうと、セレクトする際も海外のSpotifyプレイリストは非常に参考にしました。そこで驚いたのは、往年の楽曲もこれまでとは違った切り口で評価されているんです。ぼくらのようなリアルタイムを経験している世代は、自分の中で作品の評価はある程度出来上がっているじゃないですか。アクティブ・フォースはモダンソウルとして人気なように、今では評価のされ方も変わっている。企画を組む際は、感覚を2020年代にアジャストしていくことも意識しました。
―――80年代って、もう30年以上も前ですもんね。当時とは音楽の捉え方も聞き方も大きく変化しています。
山内:今はサンプリングで使われている曲も簡単に調べられるようになりました。音楽体験の変わり方と、サンプリングやカヴァーで脈々と受け継がれている曲は意識しましたね。
―――No.169の80年代ソウル特集と絡めた話になりますが「Throwback Soul」シリーズの中から、山内さんが特にこれを聞いてもらいたいと推すタイトルはありますか。
山内:シリーズとしては「Vol.2 打ち込み導入〜ニュー・ジャック・スウィング前夜編」がその年代にあたりますが、ギャリー・グレン『フィールズ・グッド・トゥ・フィール・グッド』をあげたいですね。彼はアニタ・ベイカーへの楽曲提供も有名なのに、ソウルを聴かない層は、なかなか辿り着かない。ここを気に入ってもらえたら、バート・ロビンソン『ノー・モア・コールド・ナイツ』や、グウィン『グウィン』あたりも楽しんでいただけると思います。
Vol.2では、バイ・オール・ミーンズの2nd『ビヨンド・ア・ドリーム』が個人的にいちばん出したかった作品で。これは89年のリリース以来、33年ぶりの初リイシューです。セルフタイトルの1stアルバムでは、シカゴハウスのオリジネイター、マーシャル・ジェファーソンのリミックスでクラブ・ヒットした 〈サムバディ・セイヴ・ミー〉の印象が個人的には強かったのですが、2ndはそういった目配せなく、スウィング・ビートも濃厚なスロウも楽しめる、外れ曲のない素晴らしい作品ですね。ぼくにとってのバイ・オール・ミーンズはこのアルバムです。
―――バイ・オール・ミーンズのジェイムズ・ヴァーナーやビリー・シェパードは他のアーティストとも繋がりも多く、名前をよく見かけますが、山内さんがアルバムに記されているプロデューサーやアレンジャーの「クレジット」を意識し始めたのはいつ頃でしょうか。
山内:高校時代にレンタル・レコード屋に通っていた時代からクレジットは見るようにしていました。プロデューサーで最初に意識したのはクインシー・ジョーンズだったかと。それからアニタ・ベイカーのプロデューサー、マイケル・J・パウエルを見つけてから本格的に「クレジット聴き」にハマって。コンポーザーやミュージシャンをこぞってチェックして、ギャリー・グレンや、デイヴィッド・ラズリー、ジャム&ルイスにたどり着きましたね。
―――すでに高校時代から「クレジット聴き」を始めていたとは、早いですね! やはりジャム&ルイスに行き着きましたか。
山内:ジャネットの『Control』以降、ジャム&ルイスは更に爆発的に出てきた印象があります。名前で作品を聞いていくと、自分好みの作品が聞けるって分かりました。レコード屋さんでも「この名前がクレジットされていたらとりあえず買っておこう」って(笑)。この経験はニュー・ジャック・スウィングの時代に活きるようになるんです。90年代に入ると、特にプロデューサーなしでは乗り切っていけない時代になっていく。
―――3月と4月に発売となる「Throwback Soul」の「Vol.3 ニュー・ジャック・スウィング / ヒップホップ・ソウル・エラ〜ネオ・ソウル前夜編」は何年までの作品で組んでいるのでしょうか。
山内:95年までです。何故かと言うと、この年にディアンジェロの『ブラウン・シュガー』がリリースされるんです。当時ぼくはバイヤーとしてCDショップで働いていたのですが、サンプル盤を聞いて、これは何かすごいことが起きそうだなと思ったのを覚えています。
D'Angeloの"Brown Sugar"のMV
ニュー・ジャック・スウィングの時代には、今まで綿々と築かれてきたブラック・ミュージックの歴史が若干変わってくる。流行りのビートを取り入れるのはもちろん、髪型や服装、そしてダンスも踊れなきゃいけないという総合芸術で勝負する時代になります。音楽制作のツールもどんどん発達するので、ピアノや弦楽器ではなく、プログラミングの中からコードやメロディーラインが仕上がって、そこにサンプリングも入ってきて……。曲の構成自体も変わってくるんです。
日本のCDマーケットのピークは98年。大ヒットした(多く流通した)ことで中古で出回っている作品も多いので、ド定番作品は外しているものもあります。一方で、ニュー・ジャック・スウィング前夜くらいから、売れない作品がどんどん増えてきたのも事実で。CDフォーマットの光と影でもあります。
―――ブラック・ミュージックが大きく変わっていった時代でしたね。この年代の作品は、当時を知らない世代にはあまり浸透していない印象があります。「Throwback Soul」のように時代やテーマで区切ったリイシュー企画は、時代の流れが掴みやすく、後追い世代、とくにサブスクなどネット上で音源だけ聞いている人には、すごく新鮮に受け止められる企画だと思います。ソウル/R&B、ブラック・ミュージックは歴史を知るとさらに面白みが増す音楽ですから、CDのライナーノーツを読みながら歴史的位置などを知るとさらに作品を楽しめるでしょう。
山内さんはヒット曲としてソウル/R&Bに触れたとおっしゃっていましたが、ポップスやロックと一緒にソウル/R&Bを聞いてきた経験が、音楽の聞き方のプラスになっていると思いますか。
山内:音楽を仕事にするようになってから、そう思うことが増えました。ぼくはカリブ、アフリカ系英国人のアーティストもリリースを担当してきたのですが、彼らもアメリカのR&Bとは距離があって、ソウル・ミュージック観も日本人とやや近い。同じ境遇とまでは言えませんが、やっぱりアフリカン・アメリカンのそれとは違うことが多いです。そこで何が大事になるかと言ったらコンポーズなんですよね。
2000年代に入ってBLUE NOTE OSAKAのようなヴェニューができて、来日したR&Bアーティストのライヴに行くと、例えばスタイリスティックスがボーイズⅡメンの“End of the Road”を歌っていたりと、世代やジャンル違いの曲も自分たちのものとしてカヴァーしていました。彼らは「いい曲だから、自分たちが伝えていくのは当然だよ」と話していて。あと、アリサやルーサーにしてもバカラック=デイヴィッド曲などの名演があったりするわけで。それらからして、彼らが歌いたくて歌うのだから、必要以上に自分たちの聴取傾向のフィルターをかける必要はないって改めて思うようになりました。
―――なるほど。自分の中でこうあるべきだって決めつけてしまうと、それから外れたものに対して拒否反応が出てしまうことがありますよね。
山内:極端な言い方をすると“黒い音楽”って何ですかって聞かれても、今はうまく答えられないかもしれない。
―――そうですね、ブラック・ミュージックもいろんな要素が入っているので、ブラック・ミュージックだけで成立しているとは言い切れないですよね。
山内:ぼくはNo.169ではシャーデーのデビュー・アルバムのリヴューを書きました。リアルタイムではソウル・ミュージックの評価体系からは完全に外の扱いで、所謂カフェ・バーで聞くお洒落な音楽って言われてました。でも、彼女も作品を重ねることによって、アフリカン・アメリカン間で評価がどんどん高まっていく。96年に「ニュー・クラシック・ソウル」の一躍を担う存在としてデビューするマックスウェルも、シャーデーが自分のルーツのひとつと言っているし、彼をプロデュースしたのも、シャーデーを手がけたスチュアート・マシューマンだった。
そういったこともあって、アフリカン・アメリカンが支持しているものを否定はしない方向にいきましたね。
「Throwback Soul ソウル/ファンク 定番・裏名盤・入手困難盤」のシリーズ第3弾「ニュー・ジャック・スウィング / ヒップホップ・ソウル・エラ〜ネオ・ソウル前夜編 Vol.1」は3月29日に発売。詳しくはこちらから。
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