【SPECIAL INTERVIEW】80年代ソウルを語る Vol.1 ー 林剛
好評発売中のブルース&ソウル・レコーズNo.169 特集「ホイットニー・ヒューストン映画公開記念─80年代ソウルの基礎知識」。ホイットニー・ヒューストンを中心に、80年代のソウル/R&Bを振り返る大特集です。
電子楽器の登場による使用機材の変化やCDの登場によって、音楽業界が大きな転換期を迎え、ビルボード・チャートでそれまで「ソウル」と表現されていた音楽は、「ブラック」という呼称に変わっていった80年代。60年代、70年代が黄金時代とされたソウル・ミュージックの世界において、80年代に登場したソウル/R&Bはどう捉えられてきたのでしょうか。
今回は、本特集を組むにあたりご協力をいただいた御三方に、リアルタイムの体験話から、今改めて振り返って見えてくるものまで、80年代ソウルの魅力をお聞きしました。本記事と、本誌No.169が「80年代ソウル」を再考するきっかけになれば幸いです。
まず1人目は、本誌で「サンズ・オブ・ソウル」を好評連載中の音楽ライター林剛さんです。
―――林さんはいつ頃からソウル/R&Bを聴き始めたのでしょうか。
林:僕はまさにMTV世代なのですが、マイケル・ジャクソンの『スリラー』が発売された12歳から本格的に洋楽を聴き始めました。その時はマイケルも「ソウル・ミュージック」だという感覚はなく、あくまでポップ・スターのひとりという感じで。「黒人らしさ」を初めて感じたのは、84年に登場したシャーデーでしたね。
当時は、イギリスのアーティストが全米チャートを席巻している、いわゆる「第2次ブリティッシュ・インヴェンジョン」と呼ばれる時代で、大好きだったワム!やカルチャー・クラブがソウルのカヴァーやオマージュを取り入れていました。そこからモータウンやフィラデルフィア・ソウルといった言葉を覚え、山下達郎さんのNHK-FMのラジオ「サウンドストリート」を聴いたり、雑誌『ブラック・ミュージック・リヴュー(bmr)』に出会うんです。そうして古いソウルを聴きつつ、「ニュー・ジャック・スウィング」をはじめとする現行R&Bやヒップホップにのめり込んでいきましたね。
―――そこから掘り下げていく上で印象的なアーティストはいますか。
林:80年代後半にテンプテーションズやテディ・ペンダーグラスらベテラン勢の新作や過去作、そしてGUYをはじめとするニュー・ジャック・スウィングを聴いて、本格的にソウル/R&Bを意識し始めました。
その頃、今でいうサブスク解禁と同じような感覚で、旧譜がどんどん「CD化」されていきました。ダニー・ハサウェイの国内初のCD化シリーズをバイトしたお金で一気に揃えたり、Pヴァインのスウィート・ソウル系の再発やコンピ、スタックスのボックス・セット、90年代ヒップホップのネタになっていた古いソウルやファンク、ジャズのレコードまで、いわゆる「黒人大衆音楽」と呼ばれるものは手当たり次第買っていました。
就職活動もせずに、鈴木啓志さんの『US Black Disk Guide』を片手にレコード屋に行き、そこで知り合った10歳上のディスコ世代の人に連れられてソウル・バーや白金のクラブ「ダンステリア」に行って、60~70年代の曲やダンス・ステップを覚えたり…生活の全てがソウル/R&Bでしたね。今とあまり変わらないのですが……(笑)。
―――80年代当時にホイットニー・ヒューストンやマイケル・ジャクソンにはどんな印象を持ちましたか。
林:マイケル・ジャクソン、ホイットニー・ヒューストン、そしてプリンスの3人はソウル・ミュージックの入り口になった人たちですが、彼らをソウル/R&Bとして自分の中で位置付けるようになったのは、90年代に入ってからだと思います。
マイケルは、当時中学の英語の授業で〈スリラー〉のMVを見てレポートを出すなんてこともあって、ある種マイケルに洗脳されていた気もします(笑)。ホイットニーは1stアルバム『そよ風の贈りもの(原題:Whitney Houston)』を日本盤で手にしましたが、〈すべてをあなたに〉の歌唱に魅せられ、自分はこういう情感あふれる歌が好きなんだな、と気付きました。マイケルもホイットニーも、とにかくヴォーカリストとして圧巻の2人だと思います。自分は、ソウル/R&Bは歌があってこそだと思っているのは、彼らの歌を聴いてきたことが大きいと思います。
―――そんな林さんが青春時代を過ごした「80年代ソウル」は、現在どのように評価されているのでしょうか。
林:日本では「80年代は冬の時代」なんて言われるくらい、ソウル・ミュージックの中でもほとんど評価されてこなかった時代ですよね。タワーレコードがリリースした80年代以降のブラコン(注:ブラック・コンテンポラリー)のコンピ『Midnight Love - SMOOTH R&B ESSENTIALS』や、昨年ユニバーサル・ミュージックから発売された「Throwback Soul」シリーズ、そして今回のホイットニーの伝記映画などの話題が続いて、ようやく広く評価されるきっかけが来ているのかと感じています。
元々2010年代前半に起こったブギー・ブームで再評価されたのも80年代の曲が多いですし、今巷で話題になっているシティ・ポップも、多くが80年代ソウル/R&B、ブラコンのサウンドを参照元としている音楽なんですよね。60年代、70年代のソウルを聞いてきた音楽ファンからは「こんな人間的じゃない音は認めない」なんてくらい嫌悪感を示されてきた80年代の打ち込み主流のサウンドが、ようやく「いいじゃん」って思われる時代になったのかと思います。
―――音楽ファンの間で、体に染みついたものと違うサウンドが出てきた時、それは違うよねって反応がどうしても出てきてしまうんですよね。
林:でも、これは結局繰り返しなんです。90年代後半にティンバランドが作り出した俗にチキチキ・サウンドと呼ばれるシンコペイテッドなトラックや、今のトラップ・ビートのR&Bにも同じことが言えるんですよね。新しいサウンドが出てくるたび、最初は受け付けないと反応する層が、年代に応じて変わっているだけなのかなと思います。今、ティンバランドが手掛けた曲を改めて聞くと、20年近く前にあれほど異端扱いされたサウンドが、もの凄くオーセンティックなものに聞こえるんですよ。80年代に打ち込みの音が主流になり始めた時も「打ち込みvs人力演奏」というような議論もありましたが、使っている機材や音色が違うだけで、60年代・70年代と本質は何にも変わっていないと思うんです。
――1970年代中盤のディスコの大ブームの時にも、機械的で人間性がない、商業主義に走ったサウンドだって議論もありましたからね。
林:今でこそTR-808(注:ローランド社から1980年に発売されたリズム・マシーン)が注目されるようになりましたけど、開発者の菊本忠男さんも「最初の評判は本当に悪かった」と言っていたくらいで。でも、黒人ミュージシャンは新しいものを好む傾向があるので、新しい機材や技術には飛びつくんですよね。常に新しいもの、未知のものを追いかけていくのが、ブラック・ミュージックなんですよ。
―――80年代ソウルの再評価が遅れた理由はどこにあるのでしょう。
林:理由の一つに、90年代に70年代のソウルやファンクを新しい視点で捉え直したフリーソウルやレアグルーヴのブームがあると思います。90年代からすると、80年代の音は近過去で、少し前に体験したサウンドだった。当時はそれらがトゥーマッチというか古臭く感じられて、逆に70年代のカーティスやマーヴィンのようなニュー・ソウル系の曲、生音メインのソウルが新鮮に響いて再評価されたんだと思います。ルーサー・ヴァンドロスやフレディ・ジャクソンのようにスーツを着て歌うイメージのシンガーよりも、ニット帽を被って鍵盤に向き合うようなシンガー/ソングライターが評価された時代。今も日本ではその傾向が強いですけどね。
音楽のリバイバルは20年周期って言われるくらいで、ざっくりですが、90年代だったら70年代、2000年代だったら80年代、2010年代は90年代の曲が再評価されていると感じます。
―――そういった意味で、2000年には80年代リバイバルの潮目があったのでしょうか。
林:はい。ティンバランドやクランク(注:ヒップ・ホップのサブジャンル)のパイオニア的なリル・ジョンなど、80年代的なフィーリングのある音を鳴らす人たちが増えて、2000年代のアメリカではちょっとした80年代ブームが起こっています。
個人的には、2001年公開のマライア・キャリー主演の映画『グリッター きらめきの向こうに』がそれを決定づけていたと思っています。映画は酷評されましたが、マライアが歌うこのサントラが本当に素晴らしくて。80年代のR&Bシーンを代表するジャム&ルイスもプロデューサーとして参加していますし、シェレールのカバーを歌ったり、キャミオの曲をサンプリングしたりしています。今聴いても、80’sオマージュ作品の最高峰だと思います。これで遂に80年代のソウルが再評価される!と思った矢先、リリース日の9月11日にあのテロが起きて、それどころではなくなってしまった。あれがなければ、それ以降の音楽シーンも違っていたかもしれない。
―――80年代の10年間でサウンドが大きく変化しています。当時は1年に1枚くらいの早いペースでアルバムをリリースするアーティストも多く、アルバムを順に追っていくとサウンドの変化もよく分かりました。84、85年になると、アルバムの中で極端にポップ曲が入っていたり、全体的にポップス寄りになる。とりわけメジャー・レーベルに所属していたアーティストはポップ・チャートでの成功が求められていました。
林:そのポップ化し始めた時に、ちょうどデビューしたのがホイットニー・ヒューストンでした。82年の終わりにマイケル・ジャクスンの『スリラー』、84年にプリンスの『パープル・レイン』が発表されて、後から思うと、ソウルのアーティストがポップ・フィールドで人気を集める時代が始まっていたんですね。そして85年にホイットニーの1stアルバム『そよ風の贈りもの(原題:Whitney Houston)』がリリースされます。
今回、編集の井村さんの編集後記に「ホイットニー・ヒューストンはMTVで知って、洋楽ヒットの一部としか見ておらず、“黒人音楽”と認識もなく」と書かれていましたが、まさにその通りで、当時は多くの人にとってホイットニーのイメージもそうだったと思うんです。マイケル、プリンス、ホイットニーは80年代を象徴する黒人アーティストですが、特にソウル/R&Bとしては聴かれていなかった。だけど、現在ではディアンジェロの音楽にプリンスのエッセンスを見出したり、ザ・ウィークエンドの音楽にマイケル的なフィーリングを感じ取ったり、プリンスやマイケルこそがR&Bの元祖的な見られ方もしています。間違ってはいませんが、当時はそんな感覚はなかった気がします。
―――80年代のビルボード・チャートでもブラック・コンテンポラリーとかブラック・アルバムという表記になり、「ソウル」という言葉で一括りにできない状況が生まれていました。「60年代・70年代」と「80年代」の間には断絶があるように感じてしまいますね。
林:やっぱり「80年代」っていうだけで、見られ方が全然違いますよ。機材の進歩で打ち込み主流のサウンドになってきたことで、ある意味「ソウルが一番ソウルっぽくなかった時代」とされてきた。そこに断絶を感じる人も多いと思いますが、僕としては全て繋がっているんです。
―――誌面では、マイケル、プリンスをはじめ、80年代を代表する10組のアーティストを「80sソウル・グレイツ」として選出しています。そこに挙げているフレディ・ジャクスンやギャップ・バンドの作品を聞いていると、林さんが仰るように、楽器や機材が変わっただけで、60年代、70年代と変わらずにブラック・ミュージックが続いているなっていうのが分かるんですよね。
林:80年代って、実は70年代以上にディープなシンガーが出てきていた時代なんですよ。70年代はニュー・ソウルの影響もあってメロウな歌い手が増えましたが、80年代のシンガーは熱唱系のディープなシンガーが多い。そしてオーティスを含めたスタックスなどの60年代サザン・ソウルのカバーも案外多いんです。スウィート・ソウルやドゥーワップの再評価もありました。そういった意味でも、80年代も音色が変わっただけで、しっかりソウルの伝統を受け継いでいたんです。
僕の中では、81~82年にはまだ70年代の残り香があって、83年からガラッと変わる。そこから「ニュー・ジャック・スウィング」が流行り始める88年くらいまでが、典型的な「80年代ソウル」の時代だって印象がありますね。89年に入ると、今度は90年代の雰囲気も出てきますから。
80年代は、今回の誌面でもいろんなアーティストが取り上げられているように、ベテランから新人までが入り交じって発展していった時代でしたね。
―――誌面でもあえて、ボビー・ブランドなどのベテラン勢も意識して紹介しました。
林:今回、僕は「80sソウル・グレイツ」のコーナーでギャップ・バンドとメイズについて書かせてもらいました。70年代から活躍していたベテラン勢がちゃんと紹介されていることでBSRの誌面らしいなと思う一方、やっぱり僕の中では83年以降に出てきたアーティストこそ「80年代」の感覚が強いんです。だから、編集長! ニュー・エディションが80年代の10組に入っていないってどういうことですかー!!!(笑)
―――申し訳ございません!(笑)
林:ニュー・エディションについては、言いたいことがたくさんあります(笑)。
ギャップ・バンドもメイズも80年代にヒットを飛ばしましたが、彼らは70年代にスタイルが出来上がってヒットが80年代に出たというイメージで。そう考えると、80年代らしいサウンドやイメージで新しい時代を見せてくれたニュー・エディションとザ・タイムこそ、10組に入れてほしかった。
ニュー・エディションがいかにすごかったかというと、メンバーのボビー・ブラウン、ラルフ・トレスヴァントの2人はソロとして、リッキー・ベル、マイケル・ビヴィンス、ロニー・デヴォーの3人が「ベル・ビヴ・デヴォー」として、メンバー全員が80年代後半から90年代前半にかけてデビューする。しかも彼らを発掘したのは後にニュー・キッズ・オン・ザ・ブロックも手掛けるモーリス・スター、そしてデビュー作でサウンド・プロデュースに関わっていたのはTR-808を広めたひとりであるアーサー・ベイカー。つまり、彼らはデビュー時から80年代らしいエレクトロなサウンドを纏っていたんです。デビュー後も86年にドゥーワップ回顧のカヴァー・アルバム『アンダー・ザ・ブルー・ムーン』を出したり、88年の『ハート・ブレイク』ではジャネット・ジャクソンやSOSバンドを当てたジャム&ルイスとタッグを組む。結果的に「80年代」の音楽を全て詰め込んでいたグループだった。
―――確かに、そうですね。
林:今でもアメリカでは圧倒的なアイドルとして地位を確立していますし、後のキッズ/ティーンネイジャー・グループへの影響も計り知れないですね。
そして、メンバーの中で1番目立っていたボビー・ブラウンが、ホイットニー・ヒューストンと結婚する。映画でも描かれていましたけど、ホイットニーも同じ時代のR&Bのメインストリームの象徴としてボビーが気になっていたんでしょうね。そういったゴシップも含めて、彼らは「80年代ソウル」を象徴していると思います。もしホイットニー以外で表紙に選ぶアーティストを選ぶのであれば、僕はニュー・エディションをあげます!(笑)
―――彼らの影響は大きいですね。80年代ソウルに興味があるけど何から聞いたらいいかわからない人に、ニュー・エディションのどのアルバムをおすすめしますか。
林:全部聞いてもらわないと、ニュー・エディションの80年代っぽさが伝わらないかもしれないんですが(笑)、84年のセカンド・アルバム『ニュー・エディション』はおすすめしたい1枚ですね。もともとはジュニア・タッカーが歌っていた曲ですが〈ミスター・テレフォンマン〉を収録しているアルバムです。あの曲のMVも、80年代だなー!というフィルムの質感がありますし、アルバムも、彼らが“新版”というグループ名に込めたように、80年代における“新しいジャクソン5”として時代を切り開いてくぞっていう意思が感じ取れる象徴的な作品だと思います。〈キャンディ・ガール〉を含むデビュー作と並んで。
―――80年代には打ち込み主流のサウンドの変化や、ポップ・チャートへとクロスオーバーするポップ志向が目立ちましたが、それらとは別のソウル/R&Bの新しい動きもありました。
林:そういったメインストリームに寄っていく動きに対して出てきたのが、アニタ・ベイカーやバイ・オール・ミーンズといったアーティストに代表される、生音のグルーヴ感を強調してソウルの復権を意識したアーティストでした。彼らは、「クワイエット・ストーム」や「レトロ・ヌーヴォー」と呼ばれ、それが本格派といったら語弊がありますが、ホイットニーやマイケルとは違う、主に黒人の中流階級に受けるブラックネスを濃厚に発する音楽を作っていましたね。ソウルの新伝承派などとも言われていたものです。
86年ごろ、R&B全体がポップ志向になることで「ブラックネス」がなくなるんじゃないかという危機感が募り、その動きを評論家のネルソン・ジョージが「レトロ・ヌーヴォー」と提唱したそうなのですが、その元祖がフランキー・ビヴァリー率いるメイズのようなアーティストだったりします。
80年代といえば、マーヴィン・ゲイの〈セクシャル・ヒーリング〉やジャム&ルイスのプロデュース作品でTR-808って話になりがちだけれども、70年代のソウルや黒人が生み出した従来のグルーヴを大切にしながら、ノスタルジアを感じさせつつ新しい感覚で表現したアニタ・ベイカーやバイ・オール・ミーンズのような人たちも外せないと思います。
―――――本日は林さんの80年代のおすすめのアルバムを3枚挙げていただきます。
1.BY ALL MEANS: By All Means(1988年)
バイ・オール・ミーンズは先ほど話したレトロ・ヌーボーの代表的なアーティストとして挙げたい1枚ですね。生楽器と打ち込みでヒューマンなグルーヴを生み出しています。
テディ・ペンダーグラスを彷彿させるジミー・ヴァーナーの野生的なバリトン・ヴォイスも大好きでした。そのジミーと女性ヴォーカルのリン・ロデリックの間に誕生したのがR&Bシンガーのエル・ヴァーナーだったというのも、今思うと凄い話ですよね。
2.JOHNNY GILL: Johnny Gill(1983年)
ジョニー・ギルの1983年のデビュー・アルバム『ジョニー・ギル』も本当に素晴らしい1枚です。サム&デイヴのバラード〈僕のベイビーに何か?〉もカヴァーしていますね。当時彼は17歳くらいですが、60年代のディープなソウル・シンガーを思わせる強くて濃い歌声を持っていて。まだその年齢でメジャー・デビューしているっていうのが、アメリカのR&Bの懐の深さですよね。そうして彼は80年代後期には、ニュー・エディションに加わる。この時にはまだ誰も予想だにしていませんでしたが、そんなストーリーが用意されていることも踏まえて、外せない1枚です。
3.TERRI WELLS: Just Like Dreamin’(1984年)
テリー・ウェルズも素晴らしい1枚です。80年代のプロデューサーというとジャム&ルイス、LA &ベイビーフェイス、チャッキー・ブッカー、キャロウェイ兄弟などが上がりますが、1番忘れてほしくないのがニック・マルティネリなんです。彼は今回の特集では、そんなに名前は触れられていなかったのですが、僕は80年代におけるフィラデルフィアの超最重要人物だと言いたい。このニック・マルティネリがプロデュースを手掛けたのがレジーナ・ベル、フィリス・ハイマン、ミキ・ハワード、テディ・ペンダーグラスといったアメリカのシンガーから、UKのルース・エンズ、52NDストリート、ファイヴ・スター。彼は、フィラデルフィアとロンドンをまたいで音を作っていた人でもあります。
フィリー・ソウルのブームを巻き起こしたフィラデルフィア・インターナッショナル・レコーズ(PIR)が下火になっていく80年代、なんとか踏ん張れないかとリリースしたのが、この『Just Like Dreamin’'』(84年)でした。ブギー的なダンス・ナンバーもあれば、クワイエット・ストーム的なスウィートな曲もあって、まさに80年代らしさが凝縮された1枚ですね。しかも、先日亡くなったトム・ベルの曲(スピナーズのカヴァー)も入っています。
PIRがレーベルとして下降していた時、入れ替わるようにこのアルバムがフィリー・ワールド・レコーズから出てきた。フィリー・ソウル好きとしては、絶対に聞いておきたいアルバムです。
―――80年代は各地でいろんな新しい動きがあって面白いですよね。なかでもニューヨークで活躍したカシーフらが作る音は、「カシーフ・サウンド/ニューヨーク・サウンド」と言われるくらい80年代を象徴するサウンドのひとつでした。
林:80年代ソウルが一番盛り上がった地域はどこかって言われたら、ニューヨークですよね。ニューヨークっていつの時代も常に音楽ビジネスの中心地だから特筆する必要もないんですが、80年代のソウルにはハッシュ・サウンドに代表される「ニューヨーク・サウンド」というものがあった。いわばニューヨーク・ローカルのサウンドですよね。それが全国的にブームになったのって、実は珍しいことだと思います。
―――83~84年頃にニューヨークから登場したブラック・ミュージックは、今聞いても本当にすばらしいと思います。
林:僕の考えでは、ニューヨークで発展したディスコの文化も大事な要因だと思います。ニューヨークで70年代後半から80年代にスタジオ・クリエイターが登場して、その多くがブラック・コンテンポラリーの作り手となります。
あとはやっぱりラジオ局の発展も見逃せないでしょう。特にNYを代表する「WBLS」はブラック・コンテンポラリーの代名詞みたいなラジオ局ですよね。そういったラジオは、主に都会で暮らす中産階級の黒人に向けたもので、それに見合う曲が作られていた。もちろんニューヨークだけではないですが、そうした曲は、ニューヨークのハーレムなどの黒人居住区で暮らす人たちの生活や風景を想定して書かれていたのかなって思ってしまうんですよね。
―――シンセやリズムマシーンの当時最先端のサウンドは、私たちの想像する当時のニューヨークと重なるんですよね。
林:ホイットニー・ヒューストンもニュージャージー出身で、距離はありますが、川を渡ればニューヨークでしたからね。お母さんのシシーに連れられてニューヨーク産のディスコ作品に参加したり、そういった最先端の文化圏の中にいた人ですからね。
―――80年代はメジャー・レーベルが本当に元気な時代でした。潤沢な資金に裏打ちされて作品のクオリティがとにかく高い。リリース量もすごいですし、良いアルバムがたくさんあって、今回のディスク・ガイドの選盤には非常に頭を悩ませました……(笑)。
林:やっぱり業界全体の勢いと言いますか、80年代の開放的で前向きだった時代も関係していると思います。
―――今回いろんなアルバムを改めて聴き直して、やっぱり「80年代ソウル」は良いなぁとつくづく思いました。地域性やプロデューサーによってもサウンドが違うし、デジタル・サウンドの時代だけど、バンド・サウンドの作品も多い。一言では言い表せない時代です。
林:60年代、70年代のソウルは好きだけど「80年代ソウル」はちょっと……と敬遠していた人も、きっと気に入る作品があると思うんです。だから、今回のガイドを参考に、いろいろ聴いてみると楽しいかもしれません。
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