【伝えておきたいブルースのこと】⑯ブギ・ウギしなけりゃ…
ピアノが生んだ根幹ビート
「スウィングしなけりゃ意味が無い」という曲があるが、黒人音楽の歴史を見ると「ブギ・ウギしなけりゃ……」と言いたくなる時代があった。ブルースと同じく、19世紀の終りに誕生したといわれるブギ・ウギは、ピアノによるダンス音楽として発展した。テキサス州で生まれたという説が有力だ。材木の伐採場で働く黒人労働者たちが多く集まった飯場の娯楽としてピアニストたちが重宝されたという。
ブギ・ウギは1小節に8つのビートがある。そのビートを生み出すピアノのベース・パターンにはいくつものヴァリエーションがあり、「ウォーキング・ベース」と呼ばれるものはギターに置き換えられ、後にロックンロールの礎ともなった。
1923年に録音されたクレイ・カスター(=ジョージ・トーマス)の〈ザ・ロックス〉、同年のレミュエル・フォウラー〈サティスファイド・ブルース〉が、ブギ・ウギのベース・パターンの最初期録音とされている。1920年代には数多くのブギ・ウギ/ブルース・ピアニストが録音され、初めてタイトルに「ブギ・ウギ」と付いたのが、パイン・トップ・スミスの〈パイン・トップス・ブギ・ウギ〉(1928年)だった。
テキサスの音楽一家、トーマス・ファミリーのジョージとハーサル、シカゴのジミー・ヤンシーは大きな影響力を放ったブギ・ウギ・ピアニストであった。
ブギ・ウギは農村地帯のバレルハウス(樽を二つ並べ、そこに板を渡したものをテーブルにしたことから名付けられた)のような安酒場や飯場で熟成され、都市へも進出し、従来のダンス・ミュージックを一掃するほど浸透した。
大きな転換点となったのが、1938年と39年に行なわれた、ニューヨークのカーネギー・ホールでの「フロム・スピリチュアルズ・トゥ・スウィング」コンサートだ。名プロデューサー、ジョン・ハモンドが主催したこの世紀のイベントは、広く白人社会に黒人音楽を知らしめる機会となった。ブギ・ウギ・トリオと呼ばれることになる、ピート・ジョンスン、アルバート・アモンズ、ミード・ルクス・ルイスの演奏はたちまち聴衆の心を掴み、ブギ・ウギ・ブームが訪れる。このコンサートを観たアルフレッド・ライオンは後にブルーノート・レコードを起こし、その最初のレコードはアモンズとルイスの作品となった。
ブギ・ウギは40年代にはリズム&ブルースの誕生の基盤となり、さらに勢いを増していく。
文:濱田廣也
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?