【伝えておきたいブルースのこと】㉓ブルースの都メンフィス
荒削りが魅力のサザン・ブルース
現在は人気観光スポットとなっているメンフィスのビール・ストリート。かつてそこは南部から腕自慢のミュージシャンが集まる、最新の音楽に溢れた場所だった。二十歳のB・B・キングにとってそこは「天国のように見えた」。
第一次大戦以降、南部から北部へと移住する黒人の数は増え続けていた。メンフィスやセント・ルイスはその中継地点として栄えた街だ。人の集まるところに音楽あり。メンフィスは黒人音楽の都のひとつであった。そこにレコーディング・スタジオを構えたのが、後にエルヴィス・プレスリーを録音するサム・フィリップスだ。
彼は語る。
フィリップスが1950年に開業したメンフィス・レコーディング・サーヴィスは「サン・スタジオ」の名で知られる。そこで録音されたハウリン・ウルフ、B・B・キング、アイク・ターナー&ザ・キングス・オブ・リズムらの作品は、シカゴのチェス・レコード、ロスのモダン・レコードに売られ、ワイルドに躍動する南部のブルース(サザン・ブルース)を世に知らしめることに貢献した。なかでも1951年にアイク・ターナーのバンドのシンガー/サックス奏者、ジャッキー・ブレンストン名義でチェスから発表され、大ヒットした〈ロケット88〉はロックンロールの最初の一曲とも言われる歴史的重要曲だ。
サム・フィリップスは1952年に自らサン・レコードを起こす。メンフィスの黒人向けラジオ局WDIAに出演していたジョー・ヒル・ルイスやルーファス・トーマス(DJとしても有名)ら、地元メンフィスの顔となる者を録音しただけでなく、後にスターとなるリトル・ジュニア・パーカーやリトル・ミルトン、マディ・ウォーターズのバンドで活躍するジェイムズ・コットンとパット・ヘアなど、若く生きのいいブルース・シンガーにも目を光らせ、録音した。
1954年のエルヴィス・プレスリー登場以降は、ブルースの録音は減ってしまったが、サム・フィリップスとサンが残したサザン・ブルースの宝は今も刺激を与えてくれる。
文:濱田廣也