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【第8話】網膜剥離闘病記 ~網膜剥離になりやすい人の特徴。手術は滅茶苦茶痛い!?~

術後、朝を迎える。

術後はじめて眼帯を外すと…。

 1月24日。朝目が覚めると目の痛みはそれほど感じなくなっていたが、それでも目を動かそうとするとまだ痛みがあった。眼帯のガーゼからは血の涙が流れていて、頬のあたりで固まっていた。朝の6時に起床時間となり、病棟全体の照明がつけられた。しばらくすると体温や血圧の測定のため、看護師が各部屋を回る。僕のベッドに着た看護師はガーゼや目薬を持っていて、「今日から1日4回、2種類の目薬を点してくださいね」と僕に告げた。それに伴って今しているガーゼの交換と、アルミ製の眼帯の付け外し方を教えてくれる。
 術後、右目でガーゼ以外を見ることも自分の右目を見ることもこれが初めての瞬間だったので、視力や右目の状態がどうなっているのか不安な気持ちで看護師に眼帯とガーゼを外してもらい、目を開ける。元々視力が弱いのだけれど、ガーゼを外した時の視力はより悪くなったように思えた。光は感じる。ものが動くのも分かるが、“見える”というレベルではない状態だった。眼鏡をかけてみると多少は見えるような気はしたけれど、眼鏡の度数が合っているとはとても思えない状態で、さらに血の涙と夜間に溜まった大量の目ヤニで視界が遮られてほぼ見えていないのと同じ状況だった。手術前の説明だと、数か月から半年かけて視力が落ち着いてくるという説明だったので、術後1日目はこのくらいなのかなという感想だった。“半年かけて落ち着いてくる”というのは“半年かけて視力が回復する”という事と必ずしもイコールではないのが怖いところだが、その時はとりあえず失明はしていなかったという安堵の方が強かった。
 処方された目薬は、炎症を抑える目薬と感染症を抑える目薬の2種類で、朝、昼、晩、就寝前と4回点す。順番は問わないが1つ目と2つ目の間隔を約5分開けるように指示された。そうしないと1つ目の目薬が2つ目の目薬で流されてしまうのだそうだ。ガーゼを外して血や目ヤニを生理食塩水で濡らした滅菌ガーゼで拭いてもらった際、鏡を借りて自分の右目を見てみると、まぶたが腫れ上がり白目部分が真っ赤になっている姿が映し出された。充血どころの騒ぎではない。本来は綺麗で滑らかな白目が、ジュクジュクに熟れてもはや腐る寸前のクランベリーのような質感になっていて、我が眼球ながらそのグロテスクさに吐き気を覚えた。視力よりもこの白目の状態の方が元に戻るのか不安になった。まだ術後間もないので、退院までは触ったりぶつけたりするリスクを避けるために、改めて新しいガーゼとアルミの眼帯を装着する。

診察時に起こった悲劇

 病棟では毎日担当医の往診があるのだけれど、眼科の患者については診察の際に細隙灯顕微鏡(スリットランプ)が必要なので、医師の往診ではなくスリットランプのある同じフロアの眼科用診察室に患者が出向くことになる。
 僕の順番になり、10台ほど並んだ診察椅子の一番端に案内された。担当のS先生でなく、初めて会った女性の医師だった。また眼帯とガーゼを外し、スリットランプに顎をのせて目を開く。右目を照らす光がつらい。さらに、診察のために右目を上下左右に動かすように指示され、そのたびに痛みが走る。我慢できないほどの激痛ではないが、目を動かすたびにストレスを感じる。医師は、「まだ少しお水溜まってますね」と言った。これはおそらく剥離した網膜と脈絡膜の間にまだ液体があり、網膜の剥離が完全に治まっていないことを意味しているのだろう。術後、視力にばかり気を取られていたが、言われてみれば術前と同じ個所に視野欠損があることに気づいた。それが次第に治まっていくものなのかそうでないのか聞こうとしたタイミングで、S先生が診察室に入ってきて、今度はS先生による診察が始まった。先ほどと同じように機器の光と目を動かす痛みのストレスが続く。S先生は上、右上、右、右下、と、丁寧に目の状態を診て、デスクのパソコンにタブレットペンで状態を記入していく。ストレスのかかった状態が長かったのだろう、僕はだんだん気分が悪くなって、眩暈と吐き気を覚えた。我慢が出来そうになくなってきたので、S先生に「すみません。気分が悪くなってきたんですが」と伝えると、S先生は記入していたタブレットペンをすぐに置いて、僕を倒れないように背中を支えて周りの看護師に「迷走神経反射!」と大きな声を出して伝えた。この状態が続くと、やがて意識を失って倒れてしまうからだ。その時点で診察は中止され、僕は車いすに乗せられて病室のベッドに戻った。この迷走神経反射の症状は横になっていれば1分もしないうちに改善されるが、僕は、2011年の東日本大震災の翌日の満員電車で発症してからこの症状と付き合っている。

迷走神経反射

 震災の翌日、職場まで電車で出社しようと思い、その頃住んでいた自宅から最寄りの池袋駅に向かったが、電車が動いていなくてしばらく近くの喫茶店で運転の再開を待った。インターネットに運転再開の情報が出たので再度駅に向かったが、新宿方面へ向かう山手線の運行はまだ再開しておらず、埼京線のみが動いていた。僕は埼京線のホームへ向かい、既に満員状態でホームに停まっている電車に乗り込んだが、極度の満員電車で動きが取れない状況と、埼京線は池袋を出ると新宿まで停車しないので、それまでこの状態が続くストレスで気分が悪くなった。まだ電車は発車していなかったので、電車から降りようと思ったが人が密になっているので全く身動きが取れない。眩暈と吐き気に加え、この満員電車で吐いてしまったり倒れてしまわないかという極度のストレスと緊張で更に症状は悪化しほぼパニック状態になった僕はなんとか電車の連結部分まで行き、しゃがみこんだ。しゃがむと症状はだいぶ改善し、何とか新宿駅までたどり着くことができた。
 その経験がトラウマになってしまい、その後は電車に乗る度症状が出たり、資格試験の会場等すぐに退室できない室内や、美容院のケープを掛けられた状態などでも症状が出ることがあった。一時は電車での通勤が出来なくなったが、徐々に慣れていくことで症状がおこる頻度は減っていった。それでもいまだに満員電車やすぐに降りられない急行電車等の閉鎖空間はストレスを感じる(新幹線のような、トイレが設置されているような逃げ場がある電車は平気)。その状態を僕はずっとパニック障害だと思っていたけれど、今回S先生が「迷走神経反射!」と叫んだことによって、ああ、この症状は迷走神経反射という名前だったのか、と期せずして学んだ。
 迷走神経反射とは、長時間の立位や座位、強い痛み、疲れ、ストレスなどをトリガーとなって生じる心拍数の減少や血圧の低下のことで、副交感神経の1つである迷走神経が反射的にはたらくことで、心拍数が減少したり血圧が低下したりして脳が貧血状態となる。これによって、血の気が引く、気分が悪い、冷や汗、めまいなどの症状が数分間続き、最終的には失神に至ってしまう。

気になる点も質問できず。

 ベッドに寝てしばらくするとS先生が病室まで来てくれ、僕の気分を気遣ったあと、目の前で手を広げ「これ何本ですか?」聞いた。これは手術によって対象物が2重に見えたり、焦点が合わなくなることがあるためで、僕は「5本です」と答えたが、先生が手を広げているのがわかったから5本と答えただけで、クイズとしては正解でも診察の答えとして正解なのかは微妙だなと思った。実際には両目の焦点を合わせづらく、少し2重に見えていた。S先生は「まだ痛いとは思いますが、癒着を防ぐ為になるべく目を動かすようにしてくださいね」と告げて病室を出て行った。
 そういえば1番の懸念材料の“まだ水がある状態”と“視野欠損”については迷走神経反射イベントの発動で質問が出来ずうやむやになってしまった。

#創作大賞2023


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