『ウルトラマンA』を観ました。(11話〜20話まで)
凡例のようなもの
以下の感想は視聴当時(2020年8月30日〜2020年10月13日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。
今回は第11話から第20話までの分を扱いました。
全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。
『ウルトラマンA』第11話を観ました。
南夕子隊員の北斗星司隊員への信頼や絆が表現されていました。南隊員の存在感が強く感じられましたね。
超獣ユニタングの仮の姿、大東女子大サイクリング部によって、北斗星司隊員が囚われてしまうという事態が起きました。
これによって描かれたのが、南夕子隊員の北斗隊員への信頼や絆です。
以前わたしは、『北斗隊員に主人公としての比重が偏りすぎていて、南夕子隊員が前に出て主張する場面が少ないように感じる』という旨の感想を書きました。南夕子隊員が主張する場面が少なく、印象に残らず、北斗隊員の存在感が濃く残っている感じを受けたからです。
でも今回の南夕子隊員の描写で、その考えを改めるきっかけを得ました。南隊員は北斗隊員に信頼を寄せ、それを信じ、北斗隊員を「じっと待つ」という行動を通して主張をしたのです。彼女は他の隊員達に遠回しに反論されようと、北斗隊員自身が南隊員を裏切るような真似をしようと、北斗星司隊員を信じて待ち続け、彼がサイクリング部に攫われた際にはそれを進んで追いかけることもしました。南隊員は言葉で示すより、行動で表す、「不言実行」のひとなのですね。
ところで、ウルトラマンエースはファンから『ギロチン王子』と呼ばれているらしい、ということを聞きました。なるほど、これまでの決まり手の中でもウルトラギロチンやバーチカルギロチン、エースソードでの首刎ねなど、切断技の存在感は圧倒的です。しかし今回の超獣ユニタングは、それを逆手に取っていました。10人の乙女たちで構成されており、それぞれが超獣を構成しているので、バラバラになっても合体することで復活出来るのです。
ユニタングは計画通りとばかりにエースにバラバラにされると、街に飛来して再び合体、街への攻撃を開始します。けれどもそれで黙っているウルトラマンエースではありませんでした。切断技が効かないならとばかりに、ドロドロに溶解してしまったのでした。
上記の通り、『ウルトラマンA』の決まり手は、今までの『ウルトラ』シリーズと比較しても切断技が圧倒的に多めです。断面もがっつり描写され、メトロン星人ジュニアを切断した時には溢れ出る内臓も表現されていました。
現在放映中の『ウルトラ』シリーズである『ウルトラマンZ』にも、M78流竜巻閃光斬などの切断技が存在します。けれども内臓は勿論、断面すら描写されません。代わりに着弾点には切り口が描かれます。しかし怪獣が倒される際には死体がそのまま残るか、爆散するかのどちらかです。
こうして観ると、表現の方法の移り変わりを実感することが出来て、とても楽しいですね。
『ウルトラマンA』第12話を観ました。
超獣を巡る事件でのTACと警察の遣り取りが観られた貴重な回でした。
今回はサボテンとハリネズミを掛け合わせて作られた超獣サボテンダーが登場しました。ウルトラマンエースとの交戦中に姿を消した超獣を追跡する中で、サボテンが遺留品に残る事件が発生、TACと警察の遣り取りが発生することになりました。
TACはこれまで延べ11体の超獣と交戦してきており、青空を割って異空間から出現するものや、人間に化けるもの、他にも超常現象の数々を目撃してきたために、常識的ではないことも超獣によって起こされたものとして受け入れる姿勢が整ってきた印象がありますが、人間相手の警察は未だに人間社会の常識の中で物事を考えている感じがありますね。
今回はサボテンの姿を取った超獣が相手だったため、予めサボテンダーと戦っていた北斗隊員と南隊員を始めとするTACは、超獣の「サボテンとハリネズミの特徴を兼ね備えている」という特徴を把握していたので、直様「これは超獣の仕業かもしれない」と気付きました。けれども警察は「こんな小さな穴から超獣が入るわけがない」「サボテンが人間を喰うわけがない」「靴に刺さっていた棘はハリネズミのものだったから、サボテンが関係あるわけがない」という姿勢を崩しませんでした。こうしている中で、だんだんと事件捜査の主導権はTACのほうへ移って行ったように思います。
また、今回は子供が超獣を育ててしまった回でもありました。この世界の子供達の中には「超獣は危険なもの」という認識はしっかりあるようでした。けれども三郎くんは拾ったサボテンダーを『サブロウテン』と名付けて育て、警察やTACから匿い、サブロウテンが超獣となった姿を想像して絵に描くなどしていました。
わたしは『ウルトラ』シリーズを視聴する中で、災害にも匹敵する畏怖の対象である怪獣や超獣を「かっこいい」と賛美し、避難はおろか野次馬すらしに行き、あろうことか育てたりもする子供達の感覚が理解できないと考えてきました。ですが一方で、「『ウルトラ』の世界の子供達の感覚は、視聴者側の子供達の感覚に寄せているのではないか?」とも考えるようになりました。『ウルトラ』シリーズの主な視聴者層は子供達ですし、玩具の売上の影響も考えて製作されているのは目に見えています。玩具の売上を保持するために、「怪獣や超獣も子供達の憧れの的」であることを肯定する必要があり、その手段としてストーリー中で「怪獣や超獣を賛美し、野次馬したりお絵かきしたりする子供」を登場させたのだと考えると納得がいくのです。そう思えば、個人的に『ウルトラ』劇中最大の違和感である「怪獣や超獣を賛美し、野次馬したりお絵かきしたりする子供」の存在も肯定することが出来ました。
ですが今回登場した三郎くんは、「超獣は危険なもの」と認識していながら、サブロウテンを超獣と知った後も北斗隊員から匿い、保護していました。世界観として「超獣は危険なもの」として否定しておきながら、子供がその世界観を否定することに、違和感を持ってしまいました。
こうして「怪獣や超獣を賛美し、野次馬したりお絵かきしたりする子供」について疑問を呈してはいますが、身近に子供の存在がないため、子供の心理を知る手段がありません。そして特撮(戦隊もの)に興味を持っていた頃の自分を思い出してみても、怪獣の行動よりもヒーロー達の活躍に目をやっていたことしか思い出せず、共感出来そうな取っ掛かりが無いことを思い出すばかりです。この疑問とも、これからもずっと付き合っていくしか無いようです。
ところで、今回もまたウルトラマンエースの決まり手は切断技でした。しかも既出の技ではなく、光の刃を十字にして撃ち出すという新技です。エースは本当に切断が好きなのだなと思ってしまうと共に、手数の多さを感じています。これからも新しい技を次々と使っていくのでしょうか。楽しみです。
『ウルトラマンA』第13話を観ました。
弟らしいウルトラマンエースが観れる貴重な回でした。
今回は再び警察とTACの遣り取りが見られました。相変わらず、警察は超獣という名の超常現象を受け入れられない様子でしたね。通報や目撃証言が無いことを理由に、「兄ちゃんは超獣に殺された」という少年の主張を却下すると共に、TACの介入を排除しようとしました。警察側の言動を観るに、TACが自分たちの仕事に介入するのを露骨に嫌がっているのが分かります。
しかし警察側の行動も分からなくもありません。今まで自分達が人間社会の常識の中でやって来たことを、いきなりTACという地球防衛軍の後身組織が、超常現象という更に大きな枠を用意して来たのですから、ついていくどころでは無いでしょう。下手したら仕事が丸ごと奪われるかも知れないのです。
警察側が超獣の案件であっても、逆に人間社会の常識の中で処理しようとするのは、TACに対する必死の対抗策なのかも知れませんね。
ところで今回はウルトラ5兄弟の末弟としてのエースが観れる貴重な回でもありました。現在では栄光のウルトラ6兄弟の一員、伝説的存在として名を轟かせているエースが、登場したての新人、兄弟の末弟として描かれるのは、今となっては貴重だし、微笑ましくもあります。
特にヤプールの罠に嵌ってゴルゴダ星にウルトラ5兄弟皆で集合した時の様子は、兄に対して従順で大人しい弟を見ているようでした。エースは目撃したウルトラサインを兄達のピンチの印として考え、逆に兄達は送られてきたウルトラサインを可愛い末弟の危機と思ったのです。エースは兄達皆に可愛がられているのだなと強く感じました。
また、超獣バラバによってやって来た地球の危機に対処すべく、エースを地球へ送り返す相談をしている時のウルトラマンとエースの遣り取りは、エースの兄思いの面を表現したものだと思います。地球を守るのがウルトラマンエースの役目、しかし弱った兄達を置いては行けないのは、エースの本心だったと思います。しかしウルトラマンは次兄として、兄弟の中でいちばん若かったエースに張り手を食らわせてまで言い聞かせました。これはウルトラマンの行動としてもいちばん〝兄〟を感じるものでした。
こうして地球に帰ってきたウルトラマンエースでしたが、ヤプールの脅しに屈して負けてしまいました。このままウルトラマンエースは消えてしまうのでしょうか。また、ゴルゴダ星に残された兄達の安否も気になります。次回も楽しみです。
『ウルトラマンA』第14話を観ました。
北斗星司と南夕子、ふたりは兄妹や恋人でなかったら一体何なのでしょう。それはわたしも知りたいです。
ヤプールの手から地球を守るため、TACは超光速ミサイルを建造し、ゴルゴダ星に向けて発射するという計画を発動しました。そのパイロットには北斗隊員が選ばれ、彼自身もそれを受け入れました。
止める南夕子隊員に対し、北斗星司隊員は「俺が止めても、誰かがやるだけだ」と言って宇宙に旅立ちます。結局ミサイルは宇宙を飛行中に欠陥が見つかり、TAC側の計画は失敗に終わります。ミサイルはウルトラマンエースによって爆破されましたが、その後ゴルゴダ星は北斗隊員の言葉通り爆破されます。それもヤプールの手によって! 最初に地球人類側がやろうとした計画を、敵側であるヤプールが実行したのが、とても皮肉に思われます。結果的にTACの最前線の隊員達は全員が反対していますが、上層部の考えとヤプールの思考が同じなのです。
あくまでも生命保護を優先する最前線の隊員達と、犠牲者はやむを得ないと考えて結果を優先させる上層部が対立するのは、『帰ってきたウルトラマン』でも見られましたが、上層部の性格や対立の構造が似通っている印象を受けます。また、隊員達や上層部の言動を少しずつ変えながらも、そういった対立構造は現代でも描かれているように思われます。『ウルトラマンネクサス』ではまさにデュナミストを犠牲にウルトラマンの能力を解明しようとする上層部と、ウルトラマンやデュナミストを前線で戦う仲間と位置付ける隊員達による対立が描かれました。
最近のシリーズは残念ながら未視聴のものが多く、判断材料にするのは難しいのですが、こういった組織内の対立は手を変え品を変え描かれ続けているのだと思うと興味深いですね。
また、今回は北斗星司と南夕子の仲についても描かれました。事件の決着が就いたのが7月7日、七夕で牽牛と織姫が出会う日であり、北斗星司と南夕子の誕生日でもあります。隊員達はふたりの誕生日が一緒であることに関心を寄せ、「あのふたりは兄妹? それとも恋人?」と話題にしました。一方で夜空を見上げながら、南夕子は「私達は一体何なのかしら?」と言います。北斗隊員はそれについては何とも思っていなかったようですが、南隊員は考えつつも答えが出ていなかったのは衝撃的でした。
ただ思うのは、ふたりが通じ合う限り、ウルトラマンエースになれるということです。北斗星司隊員がひとり宇宙に旅立った時も、ウルトラリングとお互いの呼び合う声でウルトラマンエースに変身出来ました。彼らはひとりでも欠けたらウルトラマンエースになれないのです。
これからも、ふたりでひとりのウルトラマンエースとして活躍して欲しいです。
『ウルトラマンA』第15話を観ました。
唐突に始まるウルトラマンエースと超獣の相撲に笑ってしまいました。
『ウルトラマンA』で初めて隊員の休暇が描写されました! 『帰ってきたウルトラマン』では毎週のように郷秀樹が休暇を取得していたので、この表現の差には驚いていたのですが、無事に休暇の存在が確認出来て良かったです。相変わらず定時連絡をする必要はあるようですが、夏休みを取れる余裕があるのは良いですね。
今回の超獣はカブトガニが元になっていました。ヤプールは恨みや憎しみ、怒りといった負の感情を多く利用していますが、それは人間に限ったものではなく、自然界に生息するあらゆるものが対象になるのですね。カブトガニを元にしたのは、人間の開発が進むことによって棲む場所を逐われた恨みを利用するがためでした。
他の生き物に感情が存在するのかは、不勉強なので分からないのですが、もし他の生物に感情が存在するとなると、ヤプールの遣り口は留まるところを知らないのではと思います。ヤプールはとんでもないものだと改めて感じています。
ところでサブタイトルは『夏の怪奇シリーズ』とのことでしたが、今回の内容を観る限り、怪奇というより冒険の要素が強い印象を受けます。普段は東京近郊で事件が起きていますが、今回は岡山という東京を遠く離れて中国地方に超獣は現れました。それに少年少女がTACと行動を共にするというボーイ・ミーツ・ガール的な要素もありました。夏休みに観る冒険物語として、このストーリーは素晴らしいものだと思います。
『ウルトラマンA』第16話を観ました。
今回の超獣はヤプールの本領が発揮された出来だったと思います。
最初の竜隊長の様子を観る限り、TACの隊員達は休暇を取れる余裕がありながら、使命感に燃えるあまりに休暇を取ることを忘れている印象を受けました。吉村隊員は自分のお父さんの法事の予定がありながら、休暇を取ることを放棄していたのが、その確たる証左ではないでしょうか。竜隊長が「ゆっくりしろ」と言ってお盆休みを取らせてくれたのは、本当に良かったと思います。
今回は『夏の怪奇シリーズ』のサブタイトルに相応しい内容でしたね。人間の生きるために屠殺されてきたものの、その生命を無駄にするような言動をする人々に対する意趣返しをさせるヤプールの本領が発揮されていると思います。
また、男性がだんだん人間の形態を捨てて牛、更には超獣と化していく様子は怖かったですね。脚に毛が生え、角が成長し、姿形が牛になっていくと共に、草を食べて四足歩行をするようになるのも恐ろしかったです。
今回の戦いはウルトラマンエースにしては平穏無事に終わった印象を受けました。今までのエースは敵と見るや、爆発、切断、溶解など、ありとあらゆる手段を使って滅殺してきたイメージです。けれども今回は超獣の本来の姿が人間ということもあってか、鼻輪を付けて大人しくさせ、元に戻すという決着を就けました。それでも何度も投げたり叩いたりはしていましたが、今までのエースにしては大人しい最後だったと思います。
『ウルトラマンA』第17話を観ました。
『夏の怪奇シリーズ』に相応しい、和風で雰囲気たっぷりな怪奇譚でした。
今回はTACの重要計画「V7計画」と事件が交わるという、前の2話とは違うストーリー展開でしたね。
TAC基地と兵器工場を結ぶ道路で事故が多発、ちょうど上記の計画で該当の道路を使う予定となっていたため、TACが事故の捜査に乗り出します。事故は決まって午前2時に発生し、被害者はもれなく白骨死体として発見されるというものでした。張り込んでいた北斗隊員と南隊員は午前2時に蛍の大群の中に般若面を被った鬼女を目撃します。
この白骨死体と般若面の鬼女という取り合わせが、和風怪奇譚の雰囲気をとても感じます。鬼女の動きも人間離れしており、側転を繰り返し、天井に飛び上がり、姿を突然晦ますなど、妖怪じみています。『夏の怪奇シリーズ』を名乗るに相応しい話だととても思います。
また、今回は南隊員の危機を美川隊員が持たせてくれたブローチが救いました。思えば美川隊員は爆発するブローチをいつも身に付けている印象があります。恐ろしいお方だと思う一方、それくらい恐ろしい武器を身に着けていなければ、女性の身上では自分を守れない職業なのでしょう。また、ブローチとして身に付けておくことによって、男性陣に「自分もこのくらいの覚悟がある」と示すことにもなるでしょう。『ウルトラ』シリーズには当初から女性隊員が登場していますが、男性に比べれば前線に出る印象は薄めで、専ら通信オペレーターとして居残っているイメージがあります。美川隊員は爆発物・危険物をブローチとして身に付けておくことで、男性にも劣らぬ覚悟があることを表現しているのでしょう。
そして今回のウルトラタッチは、北斗星司隊員の視点から南夕子隊員に向かって走っている様子が表されました。こうして観ると、北斗隊員の南隊員への必死な気持ちが伝わってくるようで、すごく良いですね。またふたりのウルトラタッチが観たいです。
『ウルトラマンA』第18話を観ました。
「星司さん、平和そうに見えるのはね、それはここだけの話よ。この地球だって、必ずどこかで戦争をしているんだから」という南夕子隊員の言葉が重いです。
平和の象徴とされる鳩を巡る、少年とTACの話でした。
序盤に、空を飛ぶ鳩ーー三郎少年の愛鳩・コジロウーーを見て、北斗隊員と南隊員が会話をするところから、この話は始まります。鳩を見てふたりは平和について思いを馳せるのです。平和と感じる北斗隊員と、それは表面上のものだと指摘する南隊員。そんなふたりの前に、三郎少年が現れるのでした。
ちょうどTACでは無人船の計画が進められており、それを妨害すべく鳩に目を付けたヤプールによって、コジロウは誘拐されてしまいます。コジロウは脳髄を吸い取られ、超獣の素となってしまったのです。
これを観て、わたしは表面上の平和さえ、ヤプールは壊してしまったのだと感じました。平和の空を飛ぶコジロウの姿は、既にそこには無く、コジロウが素となった超獣ブラックピジョンが、表面上あると思われていた平和を破壊してしまったのです。
平和が破壊された後の空には鳥影ひとつすら無く、残ったのはコジロウの死骸と愛鳩を殺された三郎少年、そして少年の信頼と友情を裏切ってしまったTACの北斗星司隊員でした。
この回は、『ウルトラ』シリーズによく取り上げられる、子供達との信頼と友情、夢をいかにして、大人である主人公や防衛隊の仲間達が守るかが主題となる回のひとつだと思います。『ウルトラセブン』では『勇気ある戦い』、『ウルトラマンマックス』では『少年DASH』がそれにあたると考えています。それらの話では、怪獣との戦いによって約束の履行が難しくなるも、責任を持って信頼を守る姿が描かれています。
けれども、今回の『ウルトラマンA』では、約束を守るどころか、補填することも出来ない結果になっています。コジロウは鳩の姿で帰ってくるものの、死んでしまったのです。TACや北斗隊員は街や三郎少年を超獣の手から守ることしか出来ず、コジロウの命まで取り返すことは出来ませんでした。最後は北斗隊員が自分のスカーフをコジロウの死骸にかけて、三郎少年に謝罪するのみに終わっています。
この回では、大人でウルトラマンである立場に人間ですら、約束を必ずしも守ることは出来ないことを示すものだと思います。大人でウルトラマンである立場に人間ですら期待を裏切ることがある可能性が示されたのです。大人は必ずしも立派で完全なものではなくて、失敗を犯す不完全な存在なのだと、知らせてくれたのだと考えます。約束を守ることは本当に重要なことです。けれどもそれが履行出来なかった時、誠心誠意謝罪することの大切さ、責任を取る重要さを、この回は教えてくれるものだと思います。
『ウルトラマンA』第19話を観ました。
嘘つきと称される少年と、約束の大切さを強調する北斗星司隊員の遣り取りが見どころでした。
友達からだけではなく、姉や親からも嘘つきだと認識されている少年が、超獣と超獣が隠れ家にしているプール、そして超常現象を目撃する事件でした。先に書いた通り、少年の信頼性は地に落ちているのですが、あくまでも北斗星司隊員は少年の証言にこだわり、プールや所有者を調べようとします。
この話を通じて、北斗星司隊員の雰囲気が変わったように感じました。全体的に真剣味が加わったというか、前回までは真剣に物事に取り組みつつも、それによって笑いを取ろうという雰囲気があった気がします。コメディ・ドラマ感があったと言えば良いのかもしれません。
しかし、前回の事件で少年の鳩を死なせてしまったこと、つまり、戦いに勝ったものの少年との約束を破ってしまったことを経て、事件に対する態度が変わったのかも知れません。相手が子供だからと言って誤魔化したりはせず、誰でどんな人間であるかを問わず、約束を守ろうとする姿勢を今までにも増して感じます。
それは北斗隊員の思い出話にも現れています。「約束を守るのは、男にとって大事なことなんだ」と言っていますが、ーーわたしはこれが男の子相手だからそう言っただけで、つまり約束を守るのは人間にとって大事なことだ、と言いたかったのだと解釈しますーーこれは北斗隊員にとって約束を守ることの重要性を語っていると考えます。前回、少年に「必ず鳩を返す」と約束しつつも、それを果たせなかったことで、このことを痛感したのだと思います。
北斗星司隊員は少年と、「もしプールに入ることで臍を取られるようなら、自分が臍を取り戻してやる」という約束を取り交わしたことで、結果的に超獣のプールに囚われてしまいます。けれども南夕子隊員の助力もあり、超獣を倒して子供達の臍を取り戻すことに成功しました。
前回からの今回の結果があったことで、大人は不完全な存在が故に期待を裏切ることがあるかも知れない、けれども約束を守ることは大切にするし、果たす努力を惜しまないことが示されました。前回は残念な結果に終わりましたが、今回それを挽回する結果を残せて良かったと思います。
『ウルトラマンA』第20話を観ました。
TAC隊員で社会人の北斗星司と、大学生である篠田一郎の青春ストーリーでしたね。
話は、北斗隊員が空を哨戒中に空を飛ぶ船を目撃したことから始まります。北斗隊員は休暇の名目で、該当の船を調べに旅立ち、そこで篠田一郎と出会うのでした。
篠田一郎は大学を飛び出し、スカンジナビア号の機関室で働きながら、いつか船が動くのを待っていました。いかにも青春を謳歌していて、自由を夢見ている感じでした。
一方、そんな彼を見て、北斗星司は自分のことを鎖に繋がれて動けない船と同一視します。彼は『ウルトラマンA』の始めから、パン屋の運転手として働いていました。登場当初から社会人として働いていたのです。
ふたりは社会人と大学生ということもあって、比較的年齢は近いのかなと考えます。しかし、社会人と大学生はたった1年でも立場に大きな差があると思います。学費を支払って授業を受ける大学生と、日々の糧を得るために働く社会人は、社会に負う責任の大きさが違います。持っているエネルギーも、大学生は10代後半から20歳前半が殆どなのもあって、若さに任せて爆発している印象すらありますが、社会人は余った力を社会奉仕に慎重に注いでいるイメージです。特に北斗星司は超獣という巨大な敵から市民の命を守る任務を負ったTACの一員なのです。青春という名目で、他人の命どころか自分のそれすら奔放に投げ出す大学生の篠田とは、立場的に断絶していておかしくないでしょう。
事実、平穏無事を最上の価値とする北斗と、船が動くことに命を賭ける篠田は、ついに超獣が姿を現したことでぶつかりあいました。住民の命を守ることをTACの使命とする北斗隊員と、超獣が海に追い落とされることで、自分の命と同等に見做す船に被害が出ることを恐れる篠田は、超獣を前にして船上を走り回ります。
そうして船を通して自分の人生のあり方や価値観を見直す中で、篠田は自分の夢を一歩進めていきます。超獣の脅威を目の前にして、船に積んであったというダイナマイトに目を付けた篠田は、それを用いて鎖を爆破するのです。船が動くのを待つばかりではなく、自分で動かす努力をしなければならないと気付いたのでした。
それを見届けた北斗隊員もきっと救われたと思います。自分をTACという鎖に繋がれた船に例えていましたが、それを動かそうと考える切っ掛けを見出すことが出来たのです。それがどう転じるかはまだ分かりませんが、良い方向に動くことを願ってやみません。
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