『帰ってきたウルトラマン』を観ました。(11話〜20話まで)
凡例のようなもの
以下の感想は視聴当時(2020年7月26日〜2020年8月16日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。
今回は第11話から第20話までの分を扱いました。
全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。
『帰ってきたウルトラマン』第11話を観ました。
『帰ってきたウルトラマン』が製作されたのが、まだ戦争の傷跡も生々しく残る時代だということを、まざまざを感じさせられる話でした。
MAT隊員のひとり、岸田隊員は軍人一家の出なのですね。叔父がMAT長官を勤めていることは、既にグドンとツインテールの回で観た通りですが、ただのエリートではなかったのです。彼はMATの規律を強く守ることを信条とし、責任感は人一倍強い性格でした。今回は、その責任感の強さが裏目に出てしまった回だと言えます。
今回は、戦時中に製造された毒ガス兵器を飲み込んだ怪獣が登場しました。その毒ガスの製造責任者は、あろうことか岸田隊員の父親だったのです。そこで岸田隊員は一家の一員として責任を取るべく、いつも重視しているはずのMATのチームワークや規律を無視して、単独行してしまうわけです。
『帰ってきたウルトラマン』は1971年から放送ということですが、終戦から26年経ってもなお、戦争の傷が生々しく残っていたことを感じさせられました。戦争の残したものは、望むと望まないとも限らず、永遠に残っていくのですね。そして当事者は次々亡くなっていくのに、負の遺産だけは子々孫々受け継いで、処理して行かなければならないのだと思いました。
岸田隊員は、戦時中はきっと生まれていないか幼かったと思いますが、今回父親の負の遺産を処理する責任を負うことになったわけです。特に岸田隊員の場合は〝父親が〟やったことなので、その点で〝自分がやる〟というこだわりが生まれ、MAT全員でやる、という思考には至らなかったのだと思います。
結局、単独で怪獣に突っ込んで行って、大怪我をし、肝心な場面で登場出来ないまま、MAT全員の力で怪獣を倒すに至りました。「MATは昔の軍隊じゃないんだ」というのは上野隊員の言葉ですが、これは岸田隊員だけが軍人ぶらず、MATのひとりとして皆で任務にあたろうという意味にも思えます。MATはチームワークが素晴らしい防衛隊だと思うので、これからも皆で活躍して欲しいですね。
『帰ってきたウルトラマン』第12話を観ました。
交通事故を取り上げた、初代『ウルトラマン』の『恐怖のルート87』にも通じる話だと思いました。
交通事故がテーマだった話だと初代『ウルトラマン』で『恐怖のルート87』がありました。国道87号線で事故死した少年が怪獣ヒドラとなって現れるという内容だったと思います。
当時の背後関係を調べると、必ず「交通戦争」という言葉に突き当たります。Wikipediaによると、〝昭和30年代(1955年-1964年)以降、交通事故死者数の水準が日清戦争での日本側の戦死者数(2年間で1万7282人)を上回る勢いで増加したことから、この状況は一種の「戦争状態」であるとして付けられた名称である。〟とのこと(Wikipedia『交通戦争』2020年7月30日引用)。その被害者数は1970年にピークを迎えたとのことなので、1971年放送の『帰ってきたウルトラマン』にも影響していたのでしょう。
怪獣シュガロンは、静さんのお父様だったのでしょうか。交通事故に遭ったのは静さん自身でしたが、事故に対して無念を持っていたのは、むしろお父様のほうでしょう。もう自動車やバイクに煩わされないよう、道路も、人通りすら少ない、険しい山の中に居を移し、活動していたのだと思うと、郷が解釈するように、やはりお父様の心は怪獣に影響していたのかも知れません。
『帰ってきたウルトラマン』第13話を観ました。
もしあるなら、「今こそリメイクして欲しい昭和『ウルトラ』シリーズ」のひとつとして数えたい回ですね。
『帰ってきたウルトラマン』には、人間側が最後の一線を越えたせいで怪獣が襲ってくるという事例が多い気がします。今回も例に漏れず、そのひとつでした。
MATは予め、親子の伝える唄の情報を知っていたので、怪獣を刺激せず、被害を抑えることに専念出来ました。しかし、怪獣を刺激するともっと恐ろしいことが起こることを予測出来ない自衛隊によって、爆破攻撃が行われてしまいました。あの時、MATが自衛隊に攻撃中止の目的を自衛隊に伝えていたら、被害は抑えられていたでしょうか。しかし、根拠は親子がニューギニアから伝えてきた唄のみです。信じるには証拠が足りないと言われてしまったでしょう。
また、今回登場した親子がニューギニアから伝えてきた唄もまた、戦争の爪痕を思い起こさせるものとして扱われています。昭和19年というと1944年、インパール作戦の始まった年だそうです。ニューギニア島には1月に既に米軍が上陸していますし、後にはトラック島空襲があったり、ヨーロッパではノルマンディー上陸作戦が行われています。戦争の話題が未だ生々しく扱われているのが、昭和『ウルトラ』シリーズの特徴なのかも知れませんね。
登場するのが津波を起こす怪獣ということで、もうしばらくTVシリーズでは扱われそうにない題材だと思います。津波が街を襲う特撮は、東日本大震災の時にテレビのニュース映像で見た、あの恐ろしい被害を思い出させるものでした。青い潮の壁がぐんぐん迫ってくる様子は特に怖かったです。
最後、ウルトラマンが現れて、津波の前に立ちはだかる様子で終わっていましたが、どうなるのでしょうか。一体、何の作戦があるのでしょうか。
また、題材が災害を主題としたSFとして、とても現代向きだと思うので、機会があれば現代の設定でリメイクして欲しい回です。
『帰ってきたウルトラマン』第14話を観ました。
ウルトラマンが何度も投げ飛ばされるショッキングな回でした。
ウルトラマンの数々の超能力には、毎度驚かされます。今回観せたウルトラバーリアもそのひとつです。歴代ウルトラマン達が身体を回転させることで、全力を出すことが出来るのは、『ウルトラマン』『ウルトラセブン』など前作までのウルトラマンや、平成シリーズの『ウルトラマンマックス』でもそれで出した大技が多いので有名ですが、今回の技はその最たるものでしょう。東京を襲う大津波すら跳ね返すのは、カラータイマーがすぐ光ることから分かる通り、凄まじい力を発揮して出すものだと思います。
また、久し振りに郷が休暇を取っている描写がありました。その時間で考えたアイデアが、怪獣達の生態の謎を解き明かすヒントになったので、やっぱり休暇や休憩の存在は素晴らしいものだと思わされます。一方で、長官によって作戦の準備期間が短縮されたのが、社会人をやっている者としてリアリティがあったと思います。実際仕事をしていても、規模の大きな、そして量の多い仕事を短期間でやるよう指示されることが多々あり、それを思い出させられました。それでも長官の指示通り、7日掛かるところを2日間でやり遂げたMAT科学部・技術部には頭が上がりません。最前線で戦う郷秀樹達のチームは休暇や休憩を取っていそうな雰囲気があるのに、以前にも岸田隊員によって「全力を挙げさせ」られたことがあったりと、休暇返上残業上等な気配がし、とても心配になります。
今回の戦いは人間の都合によって、怪獣、ひいてはウルトラマンが翻弄されたのが見どころでした。特に、弱ったウルトラマンが何度も何度も怪獣に投げ飛ばされ、空中に投げ上げられたのが印象的です。シーモンス、シーゴラスの力強さを強調すると共に、ウルトラマンの打たれ弱さも感じさせられます。講談社の「ウルトラ特撮PERFECT MOOK vol.02 ウルトラマン」で、初代『ウルトラマン』を演じた古谷敏氏が、「これは持論なんですが、おそらくウルトラマンはあまり強くないんです。」と仰ってますが、『帰ってきたウルトラマン』のウルトラマンは、その論を補強しているように思えます。
繁殖をしに来たシーモンス、シーゴラスの2体が、無事に海へ還って行って良かったと思います。あの後どこかの島で、静かに命を繋いで欲しいです。
『帰ってきたウルトラマン』第15話を観ました。
怪獣災害による子供が負うトラウマのことを考えさせられる話でした。
怪獣エレドータスによる事故で父親を亡くしたとは言え、史郎くんは、平然と嘘を吐いたり、そのために加藤進くんを襲って自動車に閉じ込めたり、郷を唆して亀を捕まえさせたりと、やっていることが悪質でしたね。
とは言え、原因はMATや警察と言った〝善良〟とされる大人達に主張を信じて貰えなかったことが原因なのではないかと思えてなりません。結局、怪獣エレドータスが出現し、線路上で電気を吸収していたことは本当でした。けれどもそれを素直に伝えたところで、大人達には信じて貰えません。これが本当のことだと信じているのは、自分とエレドータスだけなのです。このことが、エレドータスが「好きな怪獣」で「嫌いな怪獣」であるという、奇妙な感情を抱くに至った原因だと思います。
少なくとも、郷は子供が怪獣で遊ぶのは、怪獣が好きだからだと思っているようです。しかし、史郎くんはエレドータスのことは真実を知っている者同士という信頼、一方で父親を殺した怪獣に対する恐怖と嫌悪を抱いており、更に自分を見捨てた〝善良〟とされる大人達を打倒してくれる存在に対する好意が綯い交ぜとなった感情を持っていると思います。わたしはそれは執着だと考えます。
この『ウルトラマン』の世界の子供達は、怪獣に対してかっこいいから好きだとかより、史郎くんのような感情で見ている子が多いと思えてなりません。怪獣のことが恐ろしいから、それへのトラウマを克服しようとして、「怪獣ごっこ」を行ったりするのではないでしょうか。
一方で、障害を持った史郎に対しても、一般の子と別け隔てなく接してくれた郷には好感が持てます。だからといって、いきなり保護者の前で頬を張るのはどうかと思いますが、どんな人間に対しても同じように扱う態度を示したのは、良かったと思います。
『帰ってきたウルトラマン』第16話を観ました。
『怪鳥テロチルスの謎』というサブタイトルだけあり、事件の謎、怪獣の謎、混迷する恋愛模様と、謎が盛り沢山でしたね。
いきなり爆弾事件が発生したのでびっくりしたのですが、それに加えて怪獣事件も発生したので、最初から驚愕しきりでした。爆弾は仕掛けられたものの、事件自体は怪鳥に邪魔され、犯人である松本三郎の目的は果たされずに終わりました。郷が怪鳥捜査の一環で、由起子さんの生存を明かしてしまったことが裏目に出てしまったとは言え、松本は脱走したままです。この事件は前後編のようですが、どうなるのでしょうか。事件は全面的に松本のせいになるのか、怪鳥のせいになるのか。気になります。
郷秀樹とアキさんは、周囲からはすっかり恋人同士だと認識されているのですね。本人達は言葉にしないので、本当のところどうなのかは分かりません。しかし個人的にはふたりの行方が気になるので、周囲のこの認識は嬉しい限りです。けれども、今回は特にその扱いが強いと感じました。ふたりの仲を掻き回す存在である由起子さんが登場した時は、突然の三角関係の発生に驚いてしまったのですが、どうなるのでしょうか。「わたし、あなたを選びました」の言葉には戸惑いを隠せません。郷が由起子さんとくっつきそうな様子を見て、完全に嫉妬を抱いて拗ねた様子アキさんの頬を郷が張った時は手に汗握りました。無事に郷とアキさんはくっつくのでしょうか。気になります。
さて、一番気にするべきなのは、怪鳥テロチルスのほうかも知れません。全ての元凶とも言えるテロチルスは、東京一帯を暴れ回った上に、巣を張りました。何故、テロチルスは東京に現れたのでしょうか。
自動車などのエンジンから出る排気ガスに反応するものを作るあたりに、排気ガスそのものの有毒性に対する批判のようなものも感じます。
繰り返しになりますが、この事件は前後編です。ウルトラマンは勝つのでしょうか。事件は解決するのでしょうか。三角関係の行方も含めて、気になります。
『帰ってきたウルトラマン』第17話を観ました。
人間の刑事事件と怪獣の災害が重なるという、類を観ない例だったと思います。また観たいです!!
郷秀樹は一本気ですが鈍いところがありますね。わたしが思うに、アキさんが拗ねているのは、郷が由起子さんの思いに応えたように見えたのに、それは自分の思い違いだったのがショックだったからで、頬を打たれたのは2次的なものでしょう。アキさんが「私も最初からやりなおすわ」という言葉は、自分の思い違いを見直し、郷秀樹との仲を最初からやりなおす、ということだと思います。個人的には、郷とアキさんが仲直りしたようで良かったです。
とは言え、由起子さんは松本三郎が病院にやって来るまで、郷のほうに気が行っていたみたいですね。松本が病院にやって来た時に一番に名前を呼んでいたので、フィアンセのほうはもうどうでも良く、松本がやって来るなんて想定外だったことが分かります。余程恋多き女性なのだなと思ってしまいます。しかし、松本と共に辿り着いたテロチルスの巣でフィアンセである横川がやって来た時に、横川が交渉に乗り気で無かったために自分は彼にすら完全に見捨てられたと思ったのでしょう。彼女の心は完全に松本のものになってしまいました。結果的に松本と由起子さんはテロチルスに守られる形となってしまいました。
人間側の事情と怪獣の生態がぶつかり合うというのは、今まで良くありましたが、それは人間が社会的に生活していく上でという話であり、刑事事件の発生によって交差する形となったのは初めて観ました。怪獣という災害発生の火事場泥棒というわけではなく、怪獣出現を想定していなかった事件は類を見ないと思います。これは怪獣出現に際しての防衛隊の出動と、刑事事件に対する警察の出動が重なるので、それを描写する難しさもあるのかと思いますが、今回実際に実例を観て、視聴者として面白いと思いました。機会があればまた観たいですね。
『帰ってきたウルトラマン』第18話を観ました。
加藤隊長のベムスターへの殺意が心配になる回でした。
今回は初めて『帰ってきたウルトラマン』で宇宙怪獣が登場しました。ベムスターは最早定番中の定番となった怪獣ですが、その活躍も見れて良かったです。
ベムスターを初めて観たのは『ウルトラマン Fighting Evolution3』のプレイ動画でのことでした。ひょこひょこと動き、パタパタと腕を羽撃かせる姿、そして鳥のような声と嘴に、可愛い印象を持っていました。しかし改めて原作である今作を観て驚きました。腹にある口から覗く内臓の生々しい動き、宇宙ステーションを人間ごと丸呑みにする大きさ、焦点の合っていない眼! それらに恐怖を覚えました。さらに頭上の角からビームを発射することで、南隊員や上野隊員、さらには岸田隊員まで大怪我を負わされていきました。
更に驚くべきは加藤隊長の殺意の高さです。MATステーションに勤めていた同胞・梶キャプテンがベムスターによって亡くなったこと、MATの隊員達も次々と倒れていったことが、加藤隊長に火を付けました。それによって加藤隊長は梶キャプテンの仇討ちを誓い、自らMATアローに搭乗して出撃します。登場したウルトラマンが敗れて一時撤退した時、あまりの勝機の無さに、加藤隊長がベムスターに突っ込まないか心配になりました。
ウルトラセブンの登場には驚きました。そして安否が明らかになったことに安心しました。『ウルトラセブン』の後、無事に光の国に辿り着き、体力を回復させたのですね。
しかし今回はウルトラマン(ジャック)が地球を訪れていますが、セブンはどうして太陽の近くまで居たのでしょうか。やはりジャックにウルトラブレスレットを届けに来たのでしょうか。後の作品でウルトラマンゼロに「流石ウルトラマンジャック。武器の扱いに関しては、一日の長がある」と評されているので、地球を守りに行ったのに自分の道具を置いて行ってしまったので、忘れ物を渡しに来たのでしょうか。
忘れ物を届けるだけとは言え、地球に自ら赴こうとするウルトラセブン、やはり地球への思いは並々ならぬものがあると思います。自分が戦闘に参加出来なくても、その星の姿だけは眼に焼き付けようと考えたのだと思うと、胸に迫るものがありますね。
感動したのは、今回初めて、加藤隊長によって「ウルトラマンが帰ってきた」と言われたことです。今は最早「帰ってきたウルトラマン」ではなく、ウルトラマンジャックと呼ばれていますが、この台詞がある限り、ウルトラマンジャックの活躍が『帰ってきたウルトラマン』として記憶されると思います。
『帰ってきたウルトラマン』第19話を観ました。
最早「生物とは何ぞや?」と考えてしまいました。怪獣分類学があったら勉強したいですね。
わたしは『シン・ゴジラ』で特撮を観始めたので、良く分からないのですが、「怪獣は爬虫類」という認識があったのですね。『シン・ゴジラ』の論評や考察では「『シン・ゴジラ』のゴジラは哺乳類ではないか?」というものもあり、ゴジラと恐竜(爬虫類)は同類と考えていた自分の壊される衝撃があった記憶があります。『帰ってきたウルトラマン』の頃にも、一般的に「怪獣は爬虫類」という認識があった、と考えて良いのでしょうか。この後放映された『ウルトラマンA』(2020年8月2日現在、未視聴です)にはうさぎのような怪獣ルナチクスが登場しているので、そうやって「怪獣は爬虫類」という考えが打ち崩されていったと考えると、怪獣分類学史(?)的に面白いと思います。
今回登場した怪獣は怪獣分類学史(?)的にも面白いものだと思います。怪獣、即ち生物でありながら中性子と同じ性質を持っているのです。最早、生物とは何ぞやと考えてしまいます。たまに生物学者さんが怪獣を真っ向から研究し、分析している書籍を拝読するのですが、そこですら首が3つあるだけで(キングギドラのことですが)「宇宙怪獣だから地球の生物学で分類が出来ないが……」と前置きされますが、今回の怪獣もそう言われることでしょう。
ところで、子供の登場人物が「○○(主人公や防衛隊)は怪獣を倒してくれなかった! 約束を守ってくれなかった! ○○の嘘つき!」という類の台詞を言う度に思うのですが、子供は勝手だなと考えてしまいます。主人公や防衛隊の頑張りを、結果だけ観て0か100かで考えているように感じるのです。でもこれは、あの世界の世間が考えていることと同じかも知れませんね。結局、怪獣と防衛隊がやりあっているのは自分の世界の外のことで、どこかで関係無いと考えている節はあると思います。それをスポーツ観戦のように認識しているのかも知れません。それを子供に言わせるのは、子供向け番組だからだろうと思います。子供が一番のパトロンで権力を持っているので、その世界で一番の暴力装置である防衛隊に対抗させるのに都合が良いのかも知れないと考えてしまいます。
『帰ってきたウルトラマン』第20話を観ました。
再び「失敗したらMATは解散」と言われましたね。
宇宙怪獣ベムスター以来、出現する怪獣が強くなっており、MATの実力が追い付いていない感じを受けます。今回登場したマグネドンは地球の磁力そのものを持っていることで、地球上にいるだけで地球そのもののバックアップを受ける形になるという能力を持っていました。決着を着けるには地球の磁力そのものから隔離しなければならないという、MATの能力を越えてウルトラマンにしか対処できない怪獣でした。
しかしMATは怪獣を倒すという任を負っている以上、怪獣と見れば倒さねばなりません。例え、それが地球そのものであっても、諦めてはならないし、負けることは許されないのです。MATの対処能力を越える怪獣は、その存在だけでMATの存在意義を揺るがすものとなりえると思います。上層部が「怪獣を倒すことが出来なければ、MATは解散」だと言うのは、理不尽ではありますが、ある意味当然なのかも知れません。
ところで、MATには丘隊員という女性隊員が所属、活動していますが、しかし今回は改めて当時の女性の扱いを考えさせられました。坂田次郎くんという、主人公の身近にいる少年自らが「女子供は足手まといだね」「これは男の心意気ってもんだよ」と言ってのけ、郷秀樹を戦いに送り出したのです。
確かに、丘隊員もMATで活動し、前線にも出ていますが、本部では通信員をやることが多く、お茶汲みすらしています。前線に出るとは言っても、MATアローでの攻撃がメインで、地上で男性隊員達と活動するのは少ない気がします。未だに男性との立場の隔たりを感じざるを得ません。
『ウルトラ』シリーズはその時代を映す鏡なのだと思います。その時代それぞれの男女子供の役割の移り変わりを比べる、とても良い題材でもあると考えています。
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