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ちわっす!ごっちです!
2024年12月9日 22時19分23秒 (Mon)
大学2年の秋ごろであったか、なぜビッグバンドに惹かれるのか考えたことがある。オルタナティブロックに傾倒し、普段ジャズなど微塵も聞かない(といっては過言であるかもしれないが、今でも真に好きであるといえる曲は片手を少し超えるくらいだと思う)自分が、ことビッグバンドの演奏には心を踊らされる。
なぜか。考え始めてすぐ、ビッグバンドは構成人数が多く、音量が大きいという点が高揚をもたらすのではないかと考えついた。が、主要因はもっと別の、もっと精神的な部分にあるとも思った。やがて思案の末、曖昧とした自分の感覚を整序することができた。つまるところビッグバンドの持つ「前向きな全体性」に惹かれていたのだった。
個人は独立し、たとえ愛し合う主体同士、血縁関係にあるもの同士であったとしても決して分かり合うことはできない。しかしビッグバンドにおいてある楽曲を演奏するときには、楽曲を再現し自分自身あるいは聴衆の心を動かすという一つの目的に向けて、個人と個人が連帯する。瞬間ではあるが完全に近い相互理解が実現されるのである。他人を分かりたいという感情は、困難で、自分勝手で、他人の人権を侵し得る感情ではあるが(個人的に全体という言葉特にイデオロギー的な場面で用いられる”全体的なもの”はあまり好きではない。全体は個を抽象化し、全体に包含する。これを外部からの強制で実現、維持しようとしたのが全体主義であると思うしそこには必ず生きづらさ、人権侵害が生じる)、それと同時に根源的な欲求であると思う。その根源的な欲求を、衝突や苦労の末、ビッグバンドは充足する。多様な管楽器と、電気的な楽器を調和させなければならないという点を考慮すれば、ビッグバンドが直面する困難さは他の集団と比して抜きん出たものである。これらのビッグバンドが持つナラティブに心が震わされているのだと気が付いた。しかもこの相互理解、連帯は、完全な自発性によって起こり、かつ勝敗のつかないものでもある。
感覚を言語化すると自分の中の感性的尺度になる。この尺度をもって改めて自分自身が置かれている状況を振り返った時、自身が稀有な集団の一員であるということに気づいた。そりゃ当たり前であるが、人間は愚かなもので、自身が享受する幸運な当たり前というものの、かけがえのなさを往々にして忘れる。そのかけがえのなさに再会し感慨深くなった。また、うめちゃんやピーポ、諸先輩が、輪郭にスポットライトをほとばしらせながらソロを吹く姿を間近で目にし、「俺もその境地に至りてぇ」と思わされた。
しかしその一方でこのままのペースで活動をしていたら、学問や就職活動がおざなりになってしまうのではないかという焦燥感も抱いていた。貧しい家庭から無理やり高等教育の道に進んだ自分は、良い職を手にして貧しさを克服し、豊かさにかまけ社会的な弱者を足蹴にする奴らの目にものをみせてやりてぇという野心と、高等教育を受けることができた幸運を社会に還元するために、法的な素養を身につけなければならないという責任感を抱きしめていた。(些か啓蒙的ではあるが)。大学三年生に近づくにつれ、ひそやかに潜行していた焦燥感が徐々に姿を現し、その存在感は日に日に大きくなった。
逡巡したが結局就職と学問に注力するため、休部することを選んだ(ももたそとなつきちにはギターを教えるという約束をしたにも関わらず、その約束を反故にしてしまい申し訳なく思っている)。
自身のふるまいたいまま、身勝手を押し通したわけであるが、学問や就職活動に打ち込んでいる間も、ブルスタにおける日々を度々思い出した。これは意外だった。ブログを書くにあたり、ブルスタでの思い出の具体例を挙げようとすると、咀嚼物を見せ合ったり、朝ご飯を残してガチの喧嘩になったりといったくだらない思い出ばかり思い出すが、とにかくそういったブルスタでの経験は自分が思っていたよりも大きなものであったようである。
そして就職活動に一定の目途がついた段階で、厚顔無恥にも復帰させてほしいとお願いをし、今にいたる。演奏で迷惑をかける度、休部を選択せずに継続していれば、、と思う。反面、休部していなければ、休部前の自分の焦燥通りに就職や学問がおざなりになってしまっていただろうなという感じもする。ただ思い入れがなければこんな風に悶々とすることもないわけで、そういった点ではブルスタに入部したおかげで、大学生活を無駄にせずに済んだなと思う。ブルスタで今まで自分に関わってくれた、すべての人々特に迷惑をかけた同期(やめていった奴らにも)にはでっけー花束を贈りたい気分です。ありがとう!年2くらいで遊ぼうね。先輩後輩にはしっかり人見知り発動して交流深められなかった感ありありですが、心から前途洋々をお祈りしてます!なんか助けになれることがあればなんでもしますんで言ってください。(なんも思いつかんけど)
思い思いに書いてたらめちゃながくなっちゃった!地頭の悪さ、文章力のなさゆえ長文乱文のお手本のようになってますがまぁ最後ということで許してください!リサイタルでブルスタの素晴らしい演奏の足を引っ張らないよう、精一杯頑張ります!ハイパーありがとうタイムが到来する予感しかしねぇぜ!
と結ぼうと思いましたが、mjdがめちゃくちゃいいブログ書いてて、なんか自分語り多めになっちゃったと思ったので後輩に対してメッセージ的なものを追記します。
音楽的なアドバイスはできないので、学生生活に関するものになります。
学生生活で一番の後悔は非効率な就職活動をしたことでブルスタや学問に100%のリソースを割けなかったことです。大学生活は自分の内面を養うことにもっとも力を注ぐべきであると思ってて、かつそれが実現できる環境が大学以上にそろっている場所はないと思います(だから高等教育は全員に開かれているべきだと思うし、全員に開かれていないからこそ、高等教育を高等教育を享受できた幸運を社会に還元しなきゃと焦っているわけですが)。内面を養ううえで何に取り組むか。それは部活かもしれないし、学問かもしれない。人によって違うとは思いますが、内面を養うってやっぱ難しくて4年という歳月をもってしても十分にゆとりあるものだとは言えないなぁというのが4年間生活してみた実感です。だから余分なことはできる限り効率的にやるべきだと思います。そして就職活動は効率的にやるべき最たるものであったと思います。無駄なインターン、滑り止めに受けた多くの企業etc.それらに割いた時間を音楽や学問に充てれたらどれほどよかったかという後悔は大きいです、なので後輩の皆様におかれましては、是非内面を養うことを最優先に余分なことは効率化して大学生活を有意義なものにしていただけたらなぁとおもいます。自分ができる助力は何でもします。自分たちが備えた無限の可能性を信じて水をあげ続けてください!あとついでに自分が感銘を受けたある教授の言葉を結びの代わりとします。
「高等教育を受けた者はあらゆるものに唯物的でなければならない」