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絶望が絶望を呼ぶ!文豪ストレイドッグス第119話考察〜悲嘆の巷に零るるが故に

以下、ヤングエース本誌の第119話に関するネタバレ及び、文豪ストレイドッグスの世界観そのものに関わる重大な考察を含みます。
今回は、みどが疑問を友人のNにぶつけてみたところ、薬剤師であり物理学の徒であるNが明解に答えてくれた内容を含みます。

これを言い換えれば、彼等はミンコフスキー空間の下位概念として存在する「本」あるいは「劇場」のような箱の中に閉ざされている存在であるということになります。

https://note.com/55straydox/n/n9216b88da26e

さて、さて、ここで第119話にて、とんでもないセリフをドストエフスキーが吐くのです。

斜陽が落とす大地の影が いかに美しく真実めいて見えようと
虚像であり 偽物に過ぎないのと同じ

『ヤングエース』2024 Nov. p.88

『斜陽』というヒントがあった

斜陽は、太宰治の著書『斜陽』のことであると、誰もがすぐに気付くでしょう。
では、「斜陽が落とす大地の影」とは誰、あるいは何を指すのでしょうか。
ここで、ものあしさんの考察が火を噴きます。
敦や太宰たちのいる「世界」は、我々読者のそれとは異なる「本の中の物語」である、と。
この辺りのことをNに聞いてみると、あっけらかんと言いました。
だって「異能世界」だろ、と。


それは、「異能の存在する世界」のことではなく、「異能で作られた世界」なのだとNは言います。
つまり、彼らは本の中で戦うキャラクター、彼らの世界は物語なのです。

本の中に描かれた世界—劇中劇

そもそも、なぜ敦がキーパーソンなのでしょうか。
ドストエフスキーは今月号で、敦が「栞」であることを明かします。
Nはこう続けます。
「太宰が見せる理想郷は全部偽物で、偽物を縫い止めるのが太宰の仕事なんだから」
「敦ならばドストエフスキーを殺せる」
「『栞』は物語の始めと終わりを示すもの。物語を区切るもの。物語を終わらせることもできるもの」
「世界の終わりと始まりは、二人でなくてはならない」

太宰の異能力『人間失格』

なぜ、太宰治の能力『人間失格』は異能力無効化の能力なのでしょうか。これだけは、この世界における異質な存在に思えます。
Nが衝撃的な発言をします。
「太宰は紙面に落としたインクと同じ」
「本にできたシミ」
紙面にインクを落としてしまえば、もうその下の文字を——言い換えれば、物語を読むことはできません。
どのような物語を「作者」が刻もうと、太宰というシミがある限り、その箇所は作者にもどのような物語が紡がれるか分からない、「不確定要素」になってしまうのです。
これが、「斜陽」すなわち「太宰」が落とす影は、不確定要素としての偽物であるのだ、……というのがNの主張です。
シミはどこまでも本を侵食します。
ページが閉じられていたら尚のこと。どこまでも別のページに移ってしまいますから、別のページ、すなわち別の「折りたたまれた世界」に太宰の能力は浸透します。
だから、BEASTの太宰は本軸の記憶を保持していたのでしょう。
ということは、BEASTの記憶を本軸の太宰が持っていることも当然考えられますし、BEASTの著者は太宰ではないかという話も、ある程度の信憑性が出てきます。
この後でお話しする、「真の作者」かもしれませんが。

では作者は誰なのか

では、その物語の著者は誰なのでしょうか。
太宰かもしれませんし、ドストエフスキーという可能性すらあります。
朝霧カフカ氏かもしれないし、もしかしたら我々読者のひとりひとりなのかもしれませんね。
Nもここについては明言していません。
どのようにも取れるからです。
しかし、誰が執筆したのかによって、意味はがらりと変わってしまうことでしょう。
ひとつ、ヒントがあります。
Nはこう言いました。
「物語の登場人物と対話できるのは、誰?」
「物語に登場する人物だけだよ」
「どうしてわざわざ本にインク(=太宰)を零すのか」
「それは物語の人物と著者が話せないから」
「太宰は不確定要素としてのインク」
「ドストエフスキーは物語を破綻させるインク」
そんなことを聞いていると、往年の名作RPGをめちゃくちゃにした(?)ことで有名な、スターオーシャン3のシナリオを思い出してしまいます。
詳細を語るには長大すぎるので、ぜひ検索してみてください。
簡単に述べると、FD世界(Four Dimension、つまり四次元世界)のシミュレータとして世界は存在しており、FD人がシステムリセットをかけようとしているので、主人公の親たちは、ウィルスソフトとその起動ソフトを主人公とその幼なじみに埋め込むのでした……。

敦は栞

Nによれば、敦は物語を終わらせることも可能な存在であると言います。
物語中の能力で言えば、異能力すら切り裂く虎の爪が、最大のポイントなのかもしれません。
栞は、物語をどこまで読んだのか示すと同時に、その前後を切り裂いてしまう存在であり、物語を始めさせ、また終わらせる役割も担うからです。
本の中にはたくさんの線——筋があり、栞はそれを断ち切ることが可能です。読むことを中断できるからです。
もし、物語を操る存在であるなら、始めと終わりで二人いてもおかしくはありません。そのもう一人、白い獣は完全に謎です。
ドストエフスキーをかつて追い詰めた存在かもしれません。違うのかもしれません。

神よ、お前はどこにいる

では、ドストエフスキーが信仰する神とは何者なのでしょうか。
神人は神そのものであるとするなら、神を操るドストエフスキーの行為は不敬そのものです。
神よ、あなたは「本」に書いている作家なのですか。
ドストエフスキーは世界を救いたいのです。(やり方や思想についていけるかどうかは別として)
それが使命です。
異能のない世界が理想であると公言して憚らないドストエフスキーですが、異能がインクであるとした場合、インクを作者が紙面に書き付けるのではなく、登場人物たちが自らの物語を自ら紡ぐようになるのでしょうか。
Nは言います。
「ドストエフスキーはりんごを探しているのです」と。
「ドストエフスキーの還る場所はどこでしょう、どうしてもう一人が必要なのでしょう」
「もう一人がいたら何が起こるのでしょう、それがりんごなのです」
(寝ぼけているのか、この箇所はみどもよく分かりません)

誰がドストエフスキーを追い詰めたのか

「ポール・アルテ*ぐらいしか思いつかない」※フランスのミステリ作家
「『虎の首』を書いてるけどね」
(この辺りの真相究明はNが寝ぼけていないときにします)
ただ、『吸血鬼の仮面』という作品もあり、これはこれでなかなかの「ビンゴ!」ではないかと思います。寝ぼけているのにNのファインプレーが止まりません。

今後の展開予想

わかんないですね!!!!!
ただ、芥川の『復活』とか『仮面』とか『吸血鬼の権能』とか。
面白い要素はたくさんあります。
ただ敦よ、貴様、全部芥川に任せるつもりじゃないだろうな。
ドストエフスキーを信じるのであれば、神人を倒すことは不可能でっせ。

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