生命の神秘と天職~お母さんバトン上田真由美さん~
赤ちゃんの母乳吸啜メカニズムに倣う乳房ケア「BSケア®」に出会ってくれたお母さんたちの、出産と母乳育児の物語。お母さんの言葉で、綴っていただきます。
今回ご紹介するのは、助産師でもある上田真由美さんです。
生命と天職、そして、出会い
私にとって子育ては自分自身も成長でき、
日々、新しい発見や学び、気付きを与えてくれる最高で至福の時間です。
この時間を与えてくれた娘に感謝の気持ちでいっぱいです。
私は、高校生の時に母の出産に立ち合い、生命の誕生に感動をしました。
また、本能のままに赤ちゃんが母親のおっぱいを探し、
吸っている姿がとても愛おしく感じました。
その時に、「助産師になりたい」と強く思い、助産師という天職に出逢うことができました。そして私が助産師学生の時に、浅野先生、寺田先生と出逢い、B Sケアを知ることができました。
実習で目にした寺田先生の、産婦さんや家族への温かい言葉かけや寄り添う姿勢、全身状態の観察、お産進行のアセスメント、お産直後の早期の母子ケア。全てが助産師学生だった私の目や心に焼きつき、魂を揺さぶられました。
お母さんにケアをすることで自身も癒された
就職後も、助産師として実際にお母さん方に乳房ケアをさせて頂きながら
5年間東京の産院で働き、そこで多くのお母さんや赤ちゃんと出逢いました。
実際に、授乳で悩んでいるお母さん方は多く、一人一人ケアさせて頂く中でB Sケアを継続して深めていこうと決意しました。ケア中には、授乳のことだけでなく、色々な背景や悩みを打ち明けられることが多くありました。また、「気持ちが良かった」「癒された」という声も多く頂きました。
ケアをさせて頂きながら自分自身も癒され、満たされていることに気づかされました。そしてB Sケアは、乳房ケアだけでなく、女性の一生を支える助産師として、基盤となる知識ではないかと感じるようになりました。お母さん方へ触れる温かい手やまなざし、言葉かけ全てが愛で溢れているように感じました。
今まで培ってきた知識や想いも全て捧げて
私は、令和2年1月14日に長女を出産しました。
赤ちゃんを欲しいと願ってから、なかなか授からずに諦めていた時に、
娘が私の子宮の中に宿ってくれました。「この命を大切に、今まで培ってきた知識や想いも全て捧げて、どんなことがあっても育てていこう」と決意した日がとても懐かしく感じます。
私自身、8人兄弟で育ったため、すぐに妊娠するだろうと軽く考えていました。妊娠できない期間は、とても辛かったですが、その分、助産についての知識や不妊や育児についての知識をさらに深めることができました。
お産や授乳に関わるお母さん方や赤ちゃんへ、よりいっそう愛情を込めた言葉がかけ自然と出来るようになっていました。
私は出産を迎える場所として、自分が働いている病院での出産を決めました。娘に「お母さんはここで助産師として頑張っているよ」と伝えたい思いと、ここで産むお母さんの気持ちを感じてみたいという思いからでした。
人生で一番貴重な時間
はじめての陣痛は、私にとって想像以上の心地のよい感覚でした。
「待っていたよー、がんばろうね。」など陣痛中に何度も娘に話しかけました。そのうちにどんどん陣痛間隔が短くなり、病院に到着後には、すぐにお産になりました。私にとってのお産はオキシトシンやβエンドルフィンをたくさん浴びた気持ちが良い最高の至高体験でした。
そして、はじめて、おっぱいを吸った時は、こんなにも幸福感に満たされ、なおかつ愛おしい存在が目の前にいることに感動しました。
陣痛中は、寺田先生との助産実習の光景、言葉かけが浮かんできました。
また、浅野先生から教わったプライマル・ヘルスや生理学的な知識が
どんどん頭の中で体験と結びついて腑に落ちました。
私にとって、このお産は人生で一番貴重な時間であり、母親としても助産師としても、財産になりました。
はじめての授乳は、苦戦と学びの連続だった
はじめての授乳は、初日から苦戦と学びの連続でした。私自身、短乳頭だったこともあり、分娩台で授乳した後から乳頭痛が日に日に強くなり、赤ちゃんに吸わせると激痛が走りました。
乳頭痛・乳頭亀裂をはじめて経験しました。こんなにも痛いのかと実感しました。あまりにも痛すぎて、吸わせてあげたいのに吸わせてあげられないことの辛さや虚しさを感じました。
ふと、私が助産師学生だった時に寺田先生がB Sケアでお母さんを癒している光景が浮かびました。私はここでこそ、B Sケアだ!と感じました。そして、ひたすら赤ちゃんを想いながらクチュクチュとセルフケアを繰り返しました。赤ちゃんに直接吸わせることができなくても、赤ちゃんを想いながら、頻回にセルフケアを続けることはできる!と安心した気持ちに自然と変わりました。
理解しているのに母乳が出ないもどかしさ
教科書的には理解していた乳汁生成I期の時期は、本当に敏感で衣服に乳頭の先がつくだけ、シャワーを浴びるだけでも痛いことを痛感しました。
また、私は生後4日目までは、母乳はシリンジに0.1〜0.5ccほどで、出ない時もありました。この時も、今まで学んできた知識として理解はしているのに、1ccも母乳が出ないことを悲しく感じました。
2〜3時間毎に1滴でもあげたいと母乳を搾って口腔内に垂らしてあげていました。早期の頻回授乳はとても重要ですが、乳頭痛があるこんな時に、乳管開通や痛い母乳マッサージ、頻回授乳を勧められたりしたら、お母さんからすると拷問以外の何者でもないと感じました。
「出ないんです」「あげてもあげても泣くんです。私のおっぱいが出てないせいで・・。」などと多くのお母さんが言葉にする、奥底の気持ちを実際に経験することで改めて痛感しました。
こんなに辛かったんだな。この時期に助産師さんに触られるだけでも恐怖だなと・・。本当に入院中の寄り添った授乳支援の重要性を感じました。
そして、「痛くない」ということは本当に重要だと実感しました。
徐々に増え始めた母乳分泌
魔法のクチュクチュのおかげで、私の母乳分泌は生後5日目から徐々に増えはじめ、母乳のみで順調に成長することができました。改めてB Sケアを学んでいたことに感謝と誇りを感じました。そして、セルフケアで頻回に刺激することで母乳分泌を維持・増量できると実感しました。
乳頭痛がある時は、セルフケアでの有効刺激が必須だと感じました。また、短乳頭・扁平乳頭等でもセルフケアを継続して、乳首をフワフワにすることで吸着できることも実感しました。改めて、赤ちゃんは乳頭を吸っているのではなく、乳首を吸っているんだなと深く感じました。
そして、有効に吸着できるまでセルフケアを伝え、搾乳が継続できるよう根気強いサポートが大事だと感じました。私自身の乳頭もセルフケアと赤ちゃんのおかげで短乳頭から3倍は伸展しました。(笑)赤ちゃんはやはり、すごい先生だなと感じる日々です。
改めて感じる助産師としての使命
私が助産師としてできることは、共に働く仲間やお母さん方へ、妊娠期間中からマザークラス・授乳支援の場などで支援していくことだと強く感じました。
そして、早期授乳と共に早期のセルフケアや魔法のクチュクチュの重要性を伝えることが必要だと感じました。何より、お母さん方が混乱しない、痛くないケアで安心して身を委ねられるような一貫としたスタッフの授乳方針や優しく温かい手が必要だと感じました。
そして、退院して地域に帰られる場合は地域の助産師へ紹介し、今までと同じように全国どこでも安心してケアが受けられる環境が重要だと、深く感じました。そのことで、乳房のみならず、母子の孤立や虐待を未然に防ぐことができ、女性の一生を支えていくことができると感じました。
今回の授乳の経験を通して本当に多くのことを教わり、気づかされました。今、この時だからこそできることを深め、娘に命いっぱいの愛情を注いで、母親として助産師として成長できるよう、初めての母乳育児生活を満喫したいと思います。
2020年10月執筆
広報担当のコメント
BSケアを受けたお母さんの、出産と母乳育児の物語でした。
上田真由美さん、濃い体験を共有いただきありがとうございました。
どんな出産もどんな育児も、それはお母さんと赤ちゃん2人の特別な物語。
うまくいくことも、いかないことも、いつかは2人の大切な思い出になります。
でも、もし悩むときには、適切な支援を受けられるかどうかで、その後の選択が変わることがあります。今、母乳育児がうまくいっているお母さんも、難しさを感じているお母さんも、お母さんと赤ちゃん2人にとって良い選択ができるよう、赤ちゃんの母乳吸啜メカニズムに倣う乳房ケア「BSケア®」を行う助産師が寄り添えたら嬉しいです。
NPO法人BSケアは、育児の始まりが”幸せな思い”であることを願い、母乳育児支援者の育成と、BSケア®をお母さんに届ける活動をしています。
赤ちゃんの母乳吸啜に倣う乳房ケア「BSケア®」を学ぶ信頼できる助産師「BSケアプレゼンター®」が全国に100人以上います。困ったときには、お気軽に相談してみてくださいね。
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