【短編小説】空も飛べるはず
「はい、予定通り13時に伺いますので!はい!佐々木さんにぴったりのプランをお持ちします!よろしくお願いします!」
浩一は電話を切り、公園のベンチに腰を掛けた。
「12時50分か」
左腕のapple watchに目をやり、アポの時間と訪問先までの距離を頭の中で逆算した後、ポケットに忍ばせていたウィダーinゼリーを喉に流し込んだ。
昼飯に時間を掛けるなんて営業マン失格だ。 保険の営業のコツは、とにかくドブ板営業。数多くアポをとり、数多く訪問し、その中の何人かに契約をもらう。
その単純な作業を、ひたすら毎日何年も繰り返し続けることができる…それが浩一が勤務先の保険会社のナンバーワン営業マンたる所以である。
空になったウィダーinゼリーの容器をゴミ箱に投げ入れ、鞄から営業資料を取り出した。訪問前の最終チェックを行う。
ふと気づくと、浩一の足元には何羽かの鳩が集まっていた。
(うっとうしいなぁ…)
浩一は足を動かし、鳩を蹴散らすように脅した。
鳩は、驚いてわずかに飛ぶ素振りを見せつつも、1センチほど先で着陸し、平然と歩いていく。
都会の鳩は人に慣れすぎている。少しの脅しではびくともしない。
しばらくすると、鳩達は浩一の足元を去り、隣のベンチへと向かっていった。
隣のベンチでは、初老の男が鳩にパン屑をあげていた。
50羽ほどの鳩が、まるで男に飼われているかのように、男の足元に群がっていた。
男は伸びきった白髪に、小汚い服装、虚な眼差し…紛れもなく浮浪者と見受けられた。
浩一は男を見て思った。
(あいつとおれだったら、完全におれの勝ちだよな…)
浩一は、いつからか見る人見る人を自分と比べて、心の中で勝敗をつけるようになっていた。
それは見ず知らずの人であっても、旧くからの友人であっても、だ。
人と自分を比較することで、自分が社会的勝者であることを再確認し、安堵するという癖があった。
きっかけは、就職活動での挫折だった。
浩一は、パイロットになりたかった。
昔から器用で頭が良かった浩一は、学生時代から挫折を味わうことがなかった。
大学3年生のとき、改めて自分の将来について考えたとき、浩一は幼い頃からの「自由に空を飛び回りたい」という夢を叶えるために、パイロットを志望した。
難関なパイロット試験を一次、二次と、次々に合格していったものの、最終試験で落選した。
これが、浩一が生まれて初めて味わう挫折であった。
それ以来、浩一はナンバーワンになるということに異様な執着心を覚えるようになった。
新卒で入社した今の保険会社では、毎年同期の中で売上トップだった。
もうあんな挫折を味わいたくない…その思いが浩一をいつでも奮い立たせていた。
ナンバーワンに拘るあまり身についてしまった悪癖が、見る人見る人を自分と比べるということだった。
浩一は再び、隣のベンチの浮浪者を見た。
浮浪者は依然として変わらず、焦点を失ったような眼差しで鳩にパン屑を与え続けていた。
(まじで、おれこいつに負けてるところ1つもねーな)
明らかな社会的敗者を目の当たりにして、浩一は心の中で嘲笑った。
すると程なくして、浮浪者はいきなり立ち上がった。
浩一は怪訝そうに浮浪者の様子を眺める。
「よし」
そう言い放ち、浮浪者は両手を挙げ始めた。
すると、浮浪者のそれが合図かのように、周りの無数の鳩が飛び上がった。
そして、
鳩に持ち上げられるように、浮浪者も浮かび上がった。
よく見ると、浮浪者の指と鳩の足が、ピアノ線のようなもので繋がれていた。
持ち上げられる"ように"ではなく、本当に鳩が浮浪者を持ち上げていたのだ。
そして、男に飼われている"ように"見えた鳩達だったが、実際に飼われていたようだ。
浮浪者は無数の鳩にぶら下がり、高く高く空を飛んで行った。
浮浪者は、かつての浩一の夢であった、「空を自由に飛び回る」を実現していたのだった。
「負けた…」
空高く舞い上がっていく浮浪者を眺めながら、浩一は、人生で二度目の挫折を味わった。