悩むことをやめない。
noteで悩んでいる人がいた。その方とぼくは10歳は歳が違うだろう。若い頃、とくに大学の頃は悩みに悩んでいたなぁと振り返ると思う。大学生くらいの年齢の悩みといえば、恋愛のことや友達や学校、バイト先などでの人間関係、仕事や将来のことなどなど山ほどあった。ぼくの場合は恋愛は高校の時が辛かった。先生への片想い。叶うこともなければ、相談すらできる相手もいない。友達との恋話も適当に合わせていた。死ぬほど悩んで辛かったけど、好きな気持ちがあったのでなんとかなったし、いい恋愛だったと思う。いまは最愛と言っていいパートナーと出会えた。
友達との関係も、傍目からみれば良好に見えたかもしれないが、一線を引いているところがあった。まわりに合わせてばかりだったので自分の軸がなくて、空っぽな人間だと悩んでいた。当時の友達との関係は変わったが、今は今の関係がある。バイトも色々やった。合わない仕事もあったし、カラオケのバイトなんかは基本ひとりなので気楽だった。いきなり客にビンタされたときはビビってキレそうになったけど(穏便に済ませました)。当時から、なにかに所属するより、ひとりでいるのが気楽だったんだなと今、書いていて思った。結局、自分が本心で望むかたちにモノゴトは進んでいくんだなと最近思うようになった。昔はそんな風には思えなかった。介護をやっているときは、自分には介護しかないと思った。ある意味でそのとき思っている通りになった。それでも、本心ではやりたくないというかなにかが違った。もちろん収入の面で言うと、ほかのことでいまだに世の中の一般的な収入を稼げる見込みのあるものはないかもしれない。それでも、やりたくないことはやらず、好きなことにトライしている金のない過去と未来のはざまの今も悪いもんじゃない。
よくよく考えてみると昔に限らず、今も悩んでいる。毎日のように。今は、今度出展する作品のイメージで悩んでいる。こんなのが作りたい、でも作れるかなぁとかそんなこと。少し前は、ネガティブなツイートに悩まされた。時には、パートナーへの発言で怒らせてしまって悩むこともある。生きていて、悩みのない日はないし、悩みのない人はいない。ただその悩みに押しつぶされそうになったら、だれかに相談して吐き出したり、だれもいなければその悩みからは逃げちゃえばいい。どうせ次の悩みがやってくる。すべてに真摯に向き合わずに、大切な悩みだけに向き合ってみたらどうだろう。そう、自分に言い聞かせた。