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#この街が好きだ

ぼくが住んでいるのは岐阜県。はじめて足を踏み入れたのは、17年ほど前の18歳の頃のこと。そのときまで、岐阜という名前は聞いたことはあるかなくらいで漢字で書くこともできないし、地図上でもどこにあるの?というくらいのものだった。

パートナーと付き合って、岐阜によく来るようになった。当初は他県に住んでいて、150km離れた遠距離でのお付き合い。月に2回ほど電車を乗り継いで会いに行っていた。来た時に奥飛騨温泉に旅行したり、下呂に出かけたりしたがまだあまり詳しくなかった。ぼくにとって、あくまでこの街は"大好きな人が住む街"だった。

5年間遠距離でお付き合いして、仕事で岐阜県に住むことになった。一緒には住まずに、会社とパートナーの家の中間の街で1人暮らし。何度も遊びに来た街は、また違った景色を見せてくれた。
車がないと正直不便ではあるが運転免許を取り、行動範囲は広がっていった。一人で出掛けたり、職場の友人たちと遊ぶことも増えた。岐阜市周辺は清流長良川が流れていて、多くの橋で街が結ばれている。住んでいるうちに、どの橋を渡ればどこに行けるかわかってくる。あと、川より北側のほうが雪が降るとかそういうことも暮らしていくことで学んでいった。初めて雪が積もった日は駐車場から車を出すことも苦戦して、パートナーに助けてもらったこともあった。数年もすると、地元の道よりずっと詳しくなっていた。そういえば岐阜という字も、すっかり書き慣れていた。

はじめて就職した会社を辞めて、一度実家に帰ることになった。ようやく住み慣れた街を離れることはなんとも切なかったが、新しい生活にも希望を持っていた。多くの仲間に見送られて、他県に住んで新しい仕事に励んでいた。しかし、仕事はなにもかもうまくいかず、数ヶ月で精神的にも肉体的にも追い詰められてしまった。そんなとき、パートナーに泣きながら限界であることを伝えると「帰ってこい」と言ってくれて、帰る場所が地元以外にもうひとつ増えたことを実感した。そこからパートナーと自然と一緒に住むようになった。

パートナーは母親と同居していて、3人暮らし。突然の同居人に、お互いに戸惑いがあり、しばらく会話もなかった。ここ数年でようやく色々話せるようになってきた。もう岐阜という街はすっかり自分の街になってきたと思っていたが、よくよく考えると地理のこととか、有名な観光地とか簡単なことしか街のことを知らないなと思った。

もっと岐阜について知りたいなと思ったのと、新しいことを始めたいと思ったことをきっかけに、岐阜の情報を発信するブログを2年半ほど前に始めた。岐阜という街は愛知県と同じく、喫茶店のモーニング文化(朝に珈琲などを注文すると、トーストや卵、サラダや茶碗蒸しなどがついてくるサービス)があったりするので、喫茶店巡りをしたり、観光地を歩いたり、お城などを巡り歴史を学んだり、岐阜について勉強し始めた。その情報をブログでシェアすると、多くの人に見てもらえるようになった。自分も勉強になるし、お店の人や見てくれた人にもなるのでとてもやりがいもあり、どんどん岐阜が好きになっていった。

岐阜という街を知って十数年になり、パートナーを通して出会ったひとや仕事で出会ったひと、ブログを通して出会ったひとたちとの出会いの中でぼくの世界は確実に広がった。きっと地元にとどまっていたら見えない世界に違いなかった。岐阜という街は、今となっては大好きな人が住むだけの街ではなく、ぼくにとっても大好きでたいせつな街、第二の故郷である。


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