【クリスマスだよ!かわいい犬ぞりvs間違った発注で作られちゃったヘラジカソリレーシング大会!】#パルプアドベントカレンダー2020 12/18
島嶼基礎部に巨大な乾ドックと艦船をいくつも接続した巨大な島にも、クリスマスがやってきた。
艦船の船籍によってはそういう行事が無い国もありそうだが、この島では船上の会社ごとのカレンダーが優先されることがほとんどで、多少の原理主義者のぶつかり合いに警備会社と警察が動員されるが概ね無事に済みホリデーシーズンに突入する、いつもの時期になった。
医療法人あけぼの会病院と周辺施設を満載して接続されている日本船籍船「☆あぐらいあ☆」の上と島嶼基礎部付近に形成されたいくつかの日本人街でも、小はご家庭から大は企業まで、それなりのクリスマスイベントがそこここで行われていた。
あけぼの会警備部に勤務する、ヨシムライオの実家である自動車整備工場・ヨシムラオートでも、倉庫の端っこに、町内会イベントに使う山車代わりの八頭立て犬ぞりと、本来なら馬が引く大きなそり、そしてそのそりを引く馬ではなく鹿でもなく、トナカイですらない巨大な四つ足の動物がひっぱり出されてきた。
一昨年のクリスマスイベントで、設計を間違えたままやむを得ずで作ったヘラジカである。
ヘラジカとトナカイを設計段階から勘違いしていたけども、気づいたときにはヘラジカで部品を揃えたのでもったいないからそのままヘラジカを作ったものだ。
そりは、どちらも雪の降らない公道を走らせるため車輪式・ブレーキ&緊急停止装置つきにしろと警察から突っ込まれたので、去年作り替えたという。
ヨシムラは、実家から頼まれて時折これらを動態保存と称して早朝に軽く動かすのだが、今回は、隣の船の半分を占めている派遣会社、ムラシゲピースフルのイベントで高速道路犬ぞりvsヘラジカレースを行うのもあり、大きめのメンテナンスが必要だった。
彼と同じ会社に、海沿いの広い土地を持っている社員がおり、これが各種そりマシンのメンテナンスの話を聞きつけた。一応家があって住んでいて花も植わっているが、今年は犬ぞりとヘラジカそりがゼロヨンする隙間くらいはあるから使っていいという話がまとまり、ヨシムラオートでは、少し早めにある町内会のクリスマスイベントの時に、展示も兼ねて倉庫から出して、終わったら運搬もついでにしようとことで展示に持ってきたものである。
事件はそこで起こった。
とあるご家族が、超えるなと張ってある柵とワイヤーを勝手に超え、乗せるなと控えめな言葉で書いてある掲示にもかかわらず子供を犬ぞりに乗せ、スタートさせてしまったのだ。
スタート手順が取られず、目的地が入力されていないにもかかわらずそりは動き出し、正しく高速道路に向かって進み出してしまった。それが判明したのは、行き先を探して先回りで回収しようとしたら、一番近いインターのETCを料金を払って通過していた直後であったという。
ヨシムラは、たまたま午後休を取って、兄の依頼で女装サンタ姿で現れたところに騒ぎが起き、この騒ぎを解決せざるをえなくなった。
耳の奥、頭の真ん中あたりで、通信会話が開始された。相手は、そりのメンテナンスコースとして土地を貸してくれた会社の同僚、薬師だ。いつから居るのかよくわからない古い社員で、会社では声が聞こえないと女性ではなく小男に見えるように外見を作っており、総務のお局様が評するに人嫌いという話で、普段は部署も違うしあまり交流がない。彼女がたまたま書類仕事をしており家に居て、一連の騒ぎが起きる直前には、そりの運搬スケジュールの後の飲み会に来るかどうか儀礼的に声をかけたが、断られ即解散になった直後に、事態は急変した。
『今、例の犬ぞりを追跡してみたんだけど。何だこれは』
「レースのコース正確に走ってんだ。スピードだけおかしい」
『ヨシムラくん。なんでETCに料金払って通過できたんだこれ、おかしい。なんぼメカ犬が八頭立てで引いてても、料金払って高速乗るのか普通。大体お宅の犬ぞりと馬そりは車輪ついてて軽車両だろう』
ヨシムラはこの事態をどう説明したものか逡巡した。説明するも何も渦中の犬ぞりが脱走した時に通信を切った直後だったので、そのまま言えばいいのだが、話しづらかった。
彼は、薬師が勤務中に起きた異常事態に直面した時に見せる眉尻の下がった困り顔しか見たことがないが、それが容易に想像できた。彼女の、理性をかろうじて保っている声が耳の奥に響いた。
『ヨシムラくん。住んでる町内会がこれ企画したんだな? あけぼの会西インターから島の反対側まで高速を止めて行こうなんて、余程カネの突っ込める奴しかできないよね』
「その長いコース設定したの、ムラシゲピースフルのおてもり……距離が欲しいですね、作ります! って言って」
薬師は、通信の向こうで長く呻いた。
『小手森に言語不自由親か。賠償だのの細かい話は解決してからそっちでしてや。会社同士の話じゃねえだろ』
ヨシムラも大きく溜息をついて、相手に続けた。
「薬師さん。個人で出来ることって何かな、助けてくれたら助かるけど」
『そちらさんが何して解決するかによるけど、追跡して私物の装備出すくらいかね。犬ぞりに賞金がかかれば関われる。外注管理係が出てきて今以上に若干警察沙汰になるけどそこら辺は後の話じゃないかね』
警察沙汰か。犬ぞりが高速を走っている時点で交通機動隊が出てくるはずだ。渋るのも今更だと、ヨシムラは腹をくくった。
「車すぐ出せる? 緊急停止が通らない。弾かれてるんだよね。通らないと、犬ぞりに併走して有効範囲に入るか、乗って直接起動するかしかできないの」
低い女性の声が状況の検討を続ける。
『あー、通行止めと車の排除始まってるね。私も間に合っても高速入られないか。できるといえば犬ぞりの、回収車のまねごと位だね。あと、ヨシムラくん高速乗るなら走行時の通信周りの安定確保かね。ところで同乗してんのがサンタさんって本当かね?』
「そんな筈ないよ! 子供以外誰も乗ってないからこんなに慌ててるのに」
『途中未確認の同乗者の可能性……と。車入れないならそんなもんかな。ヨシムラくん、車やバイク以外の交通手段って言ったら、自転車か、あのヘラジカしかないよね……わかった』
薬師は何か考えながら喋っていたが、やがてまとまったらしく、こう言った。
『今動いてるヘラジカそりで出られるなら出れ。会社の車がムラシゲピースフルの船検問に引っかかったからこれで来たって適当にごまかしとけ、本当に引っかかってる奴がいるから。高速に乗るのは犬ぞりに賞金こっちでかけとくからそれ使って』
「これで出るしか、ないかね……」
通信を終えたヨシムラは無言で、跨がったままの巨大な体躯の腹に踵を当てた。ごつん、ごつんと舗装道路に蹄を当てる重い音が靴の裏の更に下で響く。背後で重く進んで近づくソリに気づいて、彼は本体の歩みを停めた。
友人の整備工の声が背後でする。
「ヨッシー、ソリつけて走るの?」
ヨシムラは天を仰ぎ、軽く溜息をついて振り向き、笑って見せた。
「できれば軽くいきたいけどね。子供乗せて帰らないとならない。ったくエラいことになったわ」
「載せんなっつてんのに載せた親なら時間単位で説教の上厳重に処理します。頼むな」
「ヨッシー頑張っちゃう」
ヨシムラはちょっとガッツポーズを作ってみせた。
「そのギャルじみた外ヅラで魔王みたいな声で喋んなや。薄着なんだし怪我すんなよ」
「おう、行ってくる」
あけぼの会西ICの次、大浜ICで強制停車させられ待ちぼうけを食らった車列の市民が、仰天してスマホやらグラスのカメラをそれに向けた。
交通整理に当たっている交通課の警官と、配備された警備会社各社の社員が見送る中、本来なら軽車両で自転車と同じ扱いを受けるために高速道路には立ち入れない筈の巨大な四足動物・ヘラジカが引く大型の馬ぞりが、若干骨太だがセクシーサンタの仮装をした美少女を乗せて並足でカーブの坂を上がっていく。少女の口から張りのある低音が上がった。
「どーも、あけぼの会警備部のヨシムライオです~! 会社の車が船国境の検問渋滞に引っかかっちゃってこっち来られないし今高速、車走られないって聞いたんで、これで行きますね」
「な、なんですかそれ」
「ヘラジカです。ほんとはクリスマストナカイぞり用の機械なんですけどね、車じゃ走られないっていうんで。外注管理の話行ってると思うんで通してください」
数秒の沈黙の後、警官がどもりながら返事をし、車列の脇を通された。合流まで上がってきたヘラジカそりは、排熱の轟音を口から吐いて停止した。走行開始前の騎手とのデータリンクが始まる。
ヨシムラは学生時代、馬術部で世話になった馬の走行記録を今でも使用しており、尚更新中だ。この馬そりを走らせるのに、わざわざばん馬のデータまで取りに旅に出た。
重そうな音を立てる割に、最高速度で走り続けても舗装道路は壊れない。ヨシムラオートの腕の見せ所だ。カタログスペックではヘラジカとそりを合わせて時速百二十キロメートル位は出るということになっている。
対してヨシムラはかつてバイク事故からの生活外殻を戦闘外殻に換装して就職した時、事故当時の逆走車の相対速度三百キロに耐えられないことはなく作らせた。友人の工場の主張を信じればの話で、試したことも機会もまだないが、多少のことではびくともしない。
現状、一つ前のインターから強引に入った犬ぞりは、子供をハーネスベルトで座席にくくりつけたまま時速七十キロメートルで、横転することなく走行中である。子供の安否は不明だが、目撃情報ではニコニコ笑い誰かと話しているようだという話だ。
目撃者によっては、ソリに一緒にサンタが乗っているというが、そこはまちまちなので目撃者の視界が何らかの理由でおかしいという結論に達した。理由は調査中だが、判明するとも思えない。
追いつくにはおよそ二時間、緊急停止プロトコルを読ませるのに併走だと三分耐える必要があるという。走行時間が三時間になると向こうが先にゴールだ。ゴールされるとどこに逃げられるかわかったものではない。
ヨシムラは、ヘラジカの手綱を前に送り、スタートさせた。馬のコンディションを考える必要がほとんど無い。走るか、運ぶかの芸の為の四つ足の機械を走らせるのはこれで二度目だ。頼むぞ。
走り出して早々、十分も経たない内に、背後から警察音がしてきた。話が違うと振り向くと、交機のパトカーらしきものは見えない。周辺に自動車のようなものはなく、自動走行ラインからの警告や障害物情報にもそれっぽいものはない。と、障害物情報にちらほらと「岩石」というものが現れ始めた。
「おいぃ、ここ高速やぞ」
ヨシムラはひとりごちた。高速道路な上に、岩石が発生するような自然環境が無い。落下コンクリ片なら落下コンクリ片と表示されるはずだ。
彼は走行をヘラジカに任せ、地面を見回した。まだ速度は七十、目視で何も見えない筈はない。
なにもいない。
と、障害物情報に表示された岩石が「併走する」という警告がされた。周辺に何も居ないにもかかわらずだ。戦闘外殻の視界情報か、馬身のセンサーのどちらかがおかしくて、周辺で実際何かが起きているが確かめようがないか。
機械の乗っ取りは、無くはないがあまり考えたくない。そうなると前を走る犬ぞりが、いたずらによる事故ではなくて何らかの理由で子供を乗せて自走していることになりかねない。
ヨシムラは、各種センサーの視界情報を排除して、完全肉眼・目視で周辺を確認した。岩が併走しているなどという素っ頓狂な事実は無い。併走している物体も確認はできなかった。
そうこうしているうちに、薬師がかけた賞金のやりとりが受理された。当の薬師はいつも会社に乗ってくる四駆ではなく、どこで借りたか軽トラを出してきて、一般道と裏道を駆使して先の犬ぞりの目的地へ向かっている。
『ヨシムラくん、どんな感じさ?』
薬師の、外見と声が一致しないなら耳障りのいい、低い女の声が耳の奥でする。
データリンクを要求してくるので現状を送ると、下心も吹っ飛ぶ汚い低音で『あ?』と疑念が返された。
『疑うようでごめん、これマジでこんな風に見えてる?』
「いやそれが、馬のセンサーが岩石岩石言うんだけど、肉眼で見えないから見てないわ」
『それがいいかもな。道路情報も落下物感知してないんだわ。やだね、馬身に干渉してる何者かがいるんならことが誘拐になりかねないからね……』
薬師の側から支援装備が呈示される。彼女が時折私物で投入する「目々連」という、製作者の趣味で不快害虫の外見をしている支援機器シリーズのうち、オオスズメバチのカメラ・通信中継保護器・自動攻撃機が編隊で来る。
『頑張ってこけずに走ってくれるかい。この先に、国道……何号だ……併走してるとこあるじゃん、あそこで私物のでかい蜂放つから。ドローンじゃ追いつかれないから』
「おめーコケるとか俺様に言うとかふざけてんのか。それ爆発する奴じゃねえだろうな」
『本当に道の上ば障害物がウロチョロしてるんならね、警告はするから逃げてや。カメラと中継保護器と攻撃機の編隊入れるんで、保護器の接続拒否しないでよろしく。速度の関係でオオスズメバチが飛ぶからね、馬びびらせんなよ』
ヨシムラは、通信上だがひえっと悲鳴を上げて聞かせた。
「まあほんとの馬じゃねえからパニック起きることは無いけどよ、もう少しこう、なんつーか」
『車が入れられるんならとっくに入ってんだよ、足の速いやつ乗ってんだからそっちの方が面倒がねえわ』
「まあそりゃそうでしょうね」
『カメラはまあ、ドラレコだと思って。編隊は通信中継保護器がメインだから。さすがに誘拐案件ってこた無いと思いたいから、対人装備はほとんどないよ』
「誘拐、疑ってるんすね」
『割とね』
薬師の声がしなくなった。私物の蜂の編隊とやらの準備を始めたのだろう。ヨシムラは通信中継保護器が投入されるまで、道路情報からの情報取得をオフにし、通信中継保護器の接続待ちと、犬ぞりの所在確認以外全てを肉体判断に切り替えた。
クルーズは快調。ただ走るだけならこんなに楽しいことはないのにと思いながらも、彼らはさらに速度を上げた。
「あ゛ー……どっかに馬だけ走られる道ねえかなー……」
誰も邪魔しない高速道路上、犬ぞりとの距離は着々と縮まって、そろそろ蜂の編隊が合流してくる頃。走るのがあまり気持ちよすぎて、ヨシムラは若干仕事を忘れた。
『ないわー』
聞いたことの無い男の声と、背後から旧車のガソリンエンジン音が聞こえてきた。排気量がそこまで無い奴だ。車輌通行止めになっているのにどこから入ったのか。
自動走行の登録がされていない違反車だ。おそらくナンバーも無い、と思ったところで追いつかれた。
「おいおい勘弁しれや、俺丸腰だべや、そりぶつけるしかねーべや」
会話はされない。こちらも対話は要求していないが、先の『ないわー』は何だったのか。幻聴か。
侵入してきたバイクの様子を見ると、おそらく部品のつぎはぎであろう走ればいいバイクに、着込んだ、フルフェイスヘルメット姿のひとがふたり。武装してるかどうかはすぐには確認できない。
あまり部外者に構いたくないが、手出しするならカメラが飛んでくる前に踏むか蹴る。馬身はこちらが倍以上でかいし、何ならスピードも似たようなものだし、こちらはそもそも身体自体がヘルメットだのプロテクターの塊みたいなものだ。半裸で乗ってると思ってるならそれは愚かというものだろう。
ヨシムラは少しスピードを落とし、バイクに併走した。ぎりぎり高速道路に乗れる排気量のエンジンまで確認した。だが何というか、やはりつぎはぎというか、このまま走り続けたらガス欠で離脱してくれるのではないか程度の、あまり速くないやつだ。でもからかって遊んでいると、犬ぞりとの距離が縮まらない。
走行妨害してさっさと離脱してもらおう。図体はこちらの方がでかいのだ。
彼がヘラジカのスピードを落とすと、バイクもスピードを合わせてくる。タンデムの人が背中から何か出そうとしてひっかかってもぞもぞしている。これは素人だ。仮に会社の連中が襲ってきたら既にこちらが撃墜されている。
ヨシムラは、焦りはしないが急いで馬身を寄せ、タンデムであたふたしている奴を狙ってそりをぶつけた。 。
横についたヘラジカそりのあまりのでかさに若干焦ったらしいふたりは、必死で抵抗していたが、じきにライダーがギブアップし、減速を始めた。これを退治するのは本意ではないので、ヨシムラもそりを離してスピードを上げる。
しばらく離れたところで背後で銃声が聞こえたが、あまり上手くないか散弾だったらしく、こちらに当たることはなかった。
『ヨシムラくん、揉めてたけど大丈夫?』
耳の奥で同僚の声がして、視界の端に、通信中継保護器かららしい接続許可を求める表示が点滅していた。狼煙いちごう、にごう、さんごう。
「狼煙かよ。ん、大丈夫」
『一応、あんたに接続されてる変ななんかは無いそうだけど、また何か見えたとかあった?』
「人の声がしたけどな。男の声」
狼煙いちごうからさんごうまでが無事に接続された。
『この狼煙突破しようとしたら、逆探知かかるように契約上なってるんだけど、突破しない奴ってのわかんないから。端的に言うと、使う前から勝手に繋いでる奴。しっかりやんな』
「何だそれ、気持ち悪いな」
気持ち悪くねえよ、と笑う声がする。
『あるんだよ。把握しきれないバックドアから来る奴。外殻人体だとまれに発生するんだわ』
「対応できないよそんなの」
薬師は、耳障りのいい声で笑って言った。
『馬から落ちるな、走らせ続けろって話だよ。さっきみたいに物理で揉め始めたら蜂が相手のこと自動攻撃しだすから先に進んで』
「お、おう」
ヨシムラは犬ぞりまでの距離を再確認した。あと少し走ればそりが見える。今彼に接続された編隊の他にカメラが先行しており、犬ぞりを映した。そりに乗っている少年は、見れば判るが無事で、しかも確かに笑って誰かと話をしているようだ。その誰かは見えない。
「楽しそうだな」
『普通にすげえな。私ゃゴーカートもダメだったのに』
「……マジで?」
うん、という相槌を最後に、薬師は向こうから通信を切っていった。
ひとりになったヨシムラは、シカの速度を上げた。排熱処理は十分。ペースを考えず飛ばせたので、想定より二十分強速い解決だ。
あとは、犬ぞりの犬に噛まれなければいい。
「どうも! 爆走中のヘラジカそりと俺サンタです! 見えますかね、もう少しで犬ぞりに追いついちゃうはっやーい! 相手の犬ぞりマジで速くてさあ、なっかなか追いつけなかったわー! すげえな少年!
だが年貢は代官所じゃなくてこの大サンタ様に納めて貰おうか! 代わりに帰ったらプレゼントがあるぞ」
薬師に代わって、町内会が時折様子を伺ってつないでくる報告に、魔王みたいな声の実況とカメラの映像で応えつつ、ヨシムラは少しだけスピードを落とした。肉眼目視でも子供は楽しそうに走っていたが、ヘラジカの口から放たれる排熱の轟音に気づいたらしく、後ろを見て「あっ」という顔をした。
その子に向かってちょきをふたつ作りながら、サンタ女装青年を乗せた巨大なそりは、犬ぞりを停めるための停止プロトコル有効範囲にさしかかった。
「おばさん声が変!」
「おばさんじゃねえ、サンタ様と呼べ!」
走るものも他に無い高速道路上に響き渡る、ヘラジカの鳴き声に似た排熱の轟音に混じって、ひどい会話がなされる。
「ばばあ怖い!」
「ばばあじゃねえ、大サンタ様だっつってるだろが! しっかり捕まってろ」
肉眼目視のはずの視界に赤い布が広がった。布か。布だと思った。布を翻してこちらのそりに何かが乗っている。
子供の隣にも何かが乗っている。うつくしい何か。ヨシムラは言葉を失った。
と、耳の奥で誰かの叫ぶ声がする。ものすごく汚い低音の、恋もできない女の声。
『ら゛あ゛ー! ヨシムラぁ落ちんな! 停止有効範囲から離されてるぞ、もう少し前に出せ!』
「そっ! そりに何か乗ってる、乗ってるよ」
『子供が乗ってるんだ、当たり前だろ! なんで走ってここまで来た、あと三分走れ!』
あれは、あの布はカメラには映らないのだ。肉眼目視でもたまにしか、多分見えない。
彼の視界にも、赤い布を翻した何者かはもう見えなかった。ひとですらないのかもしれない。
ヨシムラは気を取り直して、そりをもう少し進めた。
緊急停止プロトコルが起動する表示がして、彼は少し安心した。両方のそりが完全に停まったら、今日の仕事は終わり。安心して停車できる。あとは、そりを回収しに来た薬師の車に渡し、子供を乗せてのんびり帰宅し、友人がド詰め説教している親に渡してやればいい。子供にはちょっとお土産を持たせてやらないとなんとなく気の毒な気がしているので、こっそりそれを友人に伝えて……
メカ犬ぞりは完全に停止した。数歩進んでその進路を塞ぎ、睥睨するヘラジカと御者の顔を、無垢な八頭分の義眼目と、子供の戸惑った目が九揃い、見上げていた。
「大サンタ、大勝利である。ボウヤ、そりは楽しかったか? 帰りはこいつで下道乗って帰るからな!」
【了】