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ティールブルージャケット【#108】  たんけん地下のまち 前編

 南洋の小さな島に建設された発電所と、その周辺に連結された様々な船籍の巨大船で構成された街でできた島がある。
 薬師の住む日本船籍船『☆あぐらいあ☆』にも警察等があり、本土の五万人地方都市程度の規模がある。警察以外の特殊公務員の配備はまだ予算が付かず、島嶼部の発電所以外には配備されていない。
 そんなわけで、四十万人ほどある実際の人口や犯罪件数に比べて、警察能力が著しく規模に欠ける。
 そんなわけで『☆あぐらいあ☆』上の半分近くを占める、あけぼの会病院を中心とした各種法人あけぼの会では、自前の警備会社やら運送網やら各種企業を持たざるを得ず、長年にわたる拡大を経て、今では発祥が病院と言われても怪訝な顔をされるだけの一大地方企業組織になっていた。
 そのあけぼの会警備部に勤める薬師は、先月のメンテナンスで、火傷でこそげた肉代わりに埋め込んだ人工筋肉を全部取り外して生体部品への置換を終えた。
 生体部品の在庫が到着するまで待って、ようやくの完了だった。
 主治医の久能朝顔によると、「船に居るたかだか数人の治験関係者のためにでかい工場は作れないので、部品在庫が無いと本土の本院にお任せになる」とのことだった。朝顔自身もこれは問題が大きいと思っているそうで、新製品の治験に切り替えるかななどと言いながら、そこら辺は即断を見送られた。
 
 先月のメンテナンス前に出張に出かけたという井筒刑事が帰ってこないので、部下の仁藤刑事はとても忙しそうだった。
 いつもなら、警備部まで巡回に来て、特警三課で詫び羊羹代わりに常備している焼き菓子をタカって帰るところを、用だけ済ませてさっさと帰って行く。
 食い意地も引っ込むほどの多忙だそうで、今日も、出勤してきた薬師に軽口を叩くでもなく会釈だけして次の現場にすっ飛んでいった。ほぼ生身だというよく鍛えこんだ大きな身体に道を開け、薬師はその姿を見送って、何も考えずオフィスに入った。入って、上司の渋川と、珍しく身体のある安浦が、勝手に薬師の椅子と、同僚のADDの椅子に座って腕組みして俯いて向かい合っている。
 私用の体内回線で何か深刻な話をしているのだろうか、こころもちふたりの表情がすぐれない上に、薬師に見向きもしない。
「おはようございまーす」
 薬師は、用も無いのに出勤していた同僚のベータに軽く会釈をし、続いて、ふたりの周囲を、めいめいの顔を覗き込みながら二周ほどした。
「おはよう……ございまーす」
 踊っちゃおうかな、と呟く薬師に、盆踊りでもしようか、とベータが返してくる。
 本当に盆踊りをしに、ベータが私物のお茶缶を卓上において近づいてきた矢先、ふたりの顔が、居眠りから起きた高校生よろしくばっと上がった。渋川の口が開く。
「盆踊りが何だって?」
「なんでもありません。おはようございます」
 薬師の即答に応えるように、「もう少し話してればよかったですね。貴重なものが見れたよ。薬師の盆踊り」と安浦がのんびり復帰してきた。
「カメラの前で踊る素っ裸のねえちゃん集団みたいに言わないでくださいよ」
「変な昔の映画が混同されてない?」
 首を傾げてベータが突っ込んで来る。あまりにもどうでもいい会話を聞き流し、眉をひそめて何か考え事をしているていの渋川は、ううん、とひとつ唸って考えるのをやめた。
「何か面倒な政治でもありましたか」
 薬師の問いに、渋川は溜息交じりに答えた。
「政治はないよ。日々つつがなくだ。でもなかなか井筒さんが帰ってこない」
「空路で叩き落とされたんじゃないですか」
「そしたらニュース速報出るでしょ」
 お湯の沸いたポットを持ってきたベータが、再びお茶缶を手にして言った。
「出張長引いてるんじゃないの?」
「いやそれが、さっき仁藤が来てここで座っていったろう。帰っては来てるんだよ」
「人知れず海に落ちたとか」
 渋川は軽くかぶりを振って全てを否定した。
「先週帰ってきて、一昨日から出勤のはずだったんだが、無断欠勤で出てこないってよ。あの仕事の虫が出てこないとか、頭がやられたんでなければ異常事態だから、探したんだけど出勤はしてるとさ。出勤中に居なくなって、記録上では出勤し続けてるんだよ」
 薬師は、はぁ? と疑問符をそのまま口にする甲高い声をあげた。
「あのシャレオツかわいい自家用車で出勤してるおっさんが? 車はどうしたんです、車は」
 オフィスのドアが開いて、街警の夜番巡回に行っていたADDが入ってきた。仁藤を超える大男で、ドアが小さく見える。
「井筒さんの車ね、警察近くの駐車場にあって、代行会社の人が本人に指定されてそこに置いたって」
 課内通話のチャンネルに、警備本部長からの伝言が流れた。
『井筒刑事を探して見つけてほしい』との意味の長い話がされた。あまり人手は割きたくないが、警察から直接持ち込まれた案件で、警備本部長も素通しができなかったという。
 ADDは、「今件それ以外特に新しい展開はないです」と言って、帰り支度を始めている。渋川は少し考えて、口を開いた。
「直々じゃしょうがねえな。薬師、お前メンテナンスから早めに帰ってきてるから、大体フリーで動けるんだわ。教授が家の留守番してるっていうけど、どうだ、家空けられそうか?」
 薬師は、無事に全ての工事を終わって収まるところに収まった、端末体安置ケース【カンオケ】の出がけの動作状況を思い浮かべた。緑色。
「問題無いと思います。対応する目々連と、犬借りて増やしたんで、まあ私がひとり居るより余程いいでしょ」
 それを聞いて安浦が苦笑した。
「そんな自虐しなくても……」
「ここんとこ無力続きでちょっと自信がないですね」
「無力……不運じゃないの」
「不運だったわ。間違えた」
 無力は言い過ぎだな、と笑う上司に愛想笑いを返し、薬師は仕事中の教授に、帰宅日の変更をテキストで投げた。
 目々連の増発等の必要があったらすぐに連絡するように、と事務的な文章が返ってきた。
 
 『☆あぐらいあ☆』上で人間やペットが行方不明になることは、以前は日常茶飯事だった。薬師があけぼの会警備部に就業した直後から、「目々連の在庫の入替」と称して古い機体を放出し、その探索記録をデータベース上の業務日報に記載し始め、それが行方不明者捜索の役に立ったのをきっかけに、探索に使用する目々連代は会社持ちになり、使用した攻撃機等は買い取りになった。
 この手の行為に会社が思い至らなかったのではなく、機材の選定が芳しくなかったという。教授の本体が居るのに販路がないとかおかしいだろうと軽く憤慨する薬師に、教授は、「本土の町工場に頼んでたから、この船で工場を作るアテがない」としれっと言い切った。確かに、主要顧客というかあれらの機体を雑に消費する薬師が本土に住んでいればそれもそうだ。
 そんなわけでしばらくは本土から在庫を取り寄せていたが、町工場が家庭の事情で一部『☆あぐらいあ☆』に移転してきたがった折り、向こうの都合もあって運良く目々連生産拠点だけが増えることになった。それで現在目々連を結構潤沢に運用できている。
 薬師は、船体表面と、船体中層の把握分のマップを、課の大きな電子紙に呼び出して広げた。船体表面側は早速放った目々連・カメラ蜂巡回セットが送ってくる現状が随時更新されている。市内随所にある監視カメラのデータは、設置事業者が開示依頼に応じ次第、警察の取捨選択をうけて送られてくるという。
 船体中層側への侵入は、会社がするには警察の許可が必要なので、何かの折に薬師が勝手に放った私物のうち、電源が消耗しきっていない機体からしか現状は更新されていない。
「まあ警察さんもホントに手が足りねえんだな。オペ子増やせばいいのに」
「端末体増やすの? 高いでしょ。箱(PC)増やした方が安そう」
「箱入り人間増やすかって感じだな」
 苦笑しいしい、薬師とベータは電子紙を覗き込んで、頭をつきあわせて考え込んだ。
 
 船表面での行方不明者は、この十年近くでだいぶ減った。随時把握がなされるのと、本土民には不評だが船への出入りが割と厳重なので、最悪の場合積荷や人の移動拠点で流出をシャットアウトできる。
 問題は船体中層で消費される場合で、これは未だに大至急発見する他ない。
「地表の建造物の中は警察と会社が虱潰しに当たるとして、問題はそこよな……」
「るりっちの家の隔離ゲート近くは?」
「人間を留置できる場所が無い」
 薬師の家の地下に設置された隔離ゲートは、緩衝地域を置いた奥の民生地域の外れに設置されたラボまで空間が続いているが、常時目々連で把握がされている。知らずに人間を留置しようものなら、下手人の人相風体から個人情報、今日トイレに行った回数の果てまでバレるし、ばらす。
 船体中層から下のマップは、聞いた話によると、十年近く前の大規模テロ直後に公的機関や倉庫業者が引き払い、巨大な空き空間が広がっている。中層も下層に近くなるほどそういう空間が多くなり、この前などとうとう鼠の飼育場ができていた。
 この穴を埋める予算が国や自治体でつかない。船体の維持もなかなか大変だというのもわかるのだが、湧出する地下水を把握するよりはマシだと思うのだ。
 維持の話は設備部がやることになっているが、きちんと把握されたマップがいつまでも支給されないので先送りになっている。
「社内便が動くところ、宅配便が動くところ、私鉄と国有のトラム、上下水水道周り、後何があったか――把握計画出してるのになあ――」
 薬師が思わず呟いたのを受け、大学番に出て行った渋川からテキストが送られてくる。
『俺も出してるんだけど、総務が、工事計画が無いとか言ってうんと言わないんだな』
『今件で井筒さん見つけたら、見つけた場所によっては把握計画要りますよ。総務の置物の狸を突破してください』
『了解了解』
 かわいい猫のスタンプがにゃ~んとポップアップした。

薬師は結局、定時まで頑張ったものの、地図上での探索はあまり収穫が無く終わった。これ以上は実際見に行かなければならない。だが今朝出した船体中層、地下への進入届の稟議は相変わらず総務課長で止まっている。どうしたものか。
 夕食を外で済ますべく外出すると、教授からメッセージが入った。お困りですか? というので、困っていますと返す。
『また総務?』
『あの総務、警備部長から突っ込まないと絶対だんまりなんだよな。出世にひびく事は一切したくないんだわ。どうやって警備部長を突入させようか、さりとて良き知恵もなし』
『じゃ突入させましょ。船体中層の警備も補修もなってないと、大学と、私とラボが困るわ』
 怪訝そうな薬師に、教授はこう続けた。
『これでも理事よ。私を誰だと思っているのかしら?』
『妖怪五歳児』
『今すぐ手持ち目々連の攻撃機を全部あなたに向けて放出しようかしら』
『やめてくださいしんでしまいます』
 そうだ。船体中層の警備と補修が行き渡らないと困る偉方がきわめて身近に居るのだ。家に居ると、アレ食いたいこれしたいと五歳児みたいなワガママしか言わない端末体なので忘れがちだが、本体の不動桜ハナ教授はあけぼの会の理事だった。
『そしたら爆速でよろしく』
『明日の朝にはどうにかするわ。今日はもう定時でひけなさいよ』
 『人探さないとならないんですよ。まあでも人間をぶっ殺してなげておくんなら海に放り込んだ方がいいし、……生命維持の電源と水回りの違法建築でも探すかな』 
 冷蔵庫に今日開封した焼き菓子を入れておくから、帰ったら朝にでも食べていくようにと残りのテキストが送られてきた。薬師はそれを横目に、中層で動作中の目々連残機をライフライン配線の確認作業に回し、設備部に電源・上下水道流量の確認を頼むテキストを打ち始めた。
 
 一旦帰宅して、翌朝。
 出勤してきた薬師は、社屋到着と同時に稟議が通ったのを見て、少しほっとした。だが探索作業の前に、井筒刑事を探さなければならない仕事が待っている。
 進入届が許可された日数は短い。
 まずは先日、鼠の飼育場になっていた、設備部管理・隔離ゲート設置済みの駐車場跡から入り、薬師の家側の隔離ゲートを設備部・警備部立ち会いで開けて、民生区域を経由して自宅へゴールする。
 この区間内で会社が把握しているのは、建造物最低面にある社内便の上部モノレール設備までだ。その上に宅配会社各社の貨物レーンとトラムがある。
 モノレール下を可能な限り走破しながら、モノレール設備に新品の目々連の偵察ボックスを設置する。偵察機を放つと、バッテリーが残量ゼロを迎えるまで機能し続けるが、会社も個人も偵察機自体の在庫があまりないので、使い捨てはしづらいためだ。
 複数充電器を兼ねた偵察ボックスをセットし、偵察機は社内便に載せて放つ。建前通り、不審者がいなければ偵察ボックスに異状がある事は(初期不良以外は)無い。
 前に鼠の飼育場になっていた大空間は清掃まで完了した。前に地下駐車場が入っていた空間だったそうだが、業者がまるっと設備ごとぶっ壊して出て行ったという。居抜きで取っておいて欲しかったという薬師に、設備部長は「そういう契約だったらしいので……」とだけ言ってすまなさそうにしていた。
 当時の担当ではない人に何を言っても仕方ない。そこにまずは前線基地を置いて貰って、彼女は自宅のガレージで取ってきたとっちゃんバイクを使うことにした。
 前進を続けて三時間ほど。午前中いっぱい、指定場所にカメラ蜂入り偵察ボックスを設置しながら走っていたが、まれに濃色グリーンのテントやら黒っぽいプレハブが建っているのが気になった。
 大空間の隅に這いつくばるようにして建っているものが多く、とっちゃんバイクの甲高い疑似モーター音を気にして出てくる気配も無い。設置後すぐに活動を始めた目々連に位置を転送しながら、薬師はとにかく前進した。
 
     ☆★☆

船体動力部に近づくにつれ警備が厳重になり、人間ないし自動警備が詰めている――書類上ではそうなるはずだったし、そうなっていたが、警備の人員は存在せず、薬師の所有するマンション物件に放っているような安い自動警備機程度も存在しない。その代わり、警備をしていれば追い出される類の人間がいた。
 プレハブやテントが増えてくるのを不審に思った薬師は、途中でバイクを押して歩き、適当に柱以外何も無い場所の柱の陰で充電をしていたが、闇ではない暗がりの向こうからマグライトの光が近づいてくる。
 眼球や眼鏡等に暗視機能の無い人間だ。生活外殻に暗視機能は無いから、どんなに頑丈でもそこが落とし所だ。薬師には、眼鏡もそうだが眼球の奥に無理を言ってつけた暗視機能があるが、今は見つからないように相手を伺うのが精一杯だ。
 不審者はふたりひと組で歩いてくる。暗視機能に鮮明に浮かんだ顔面が、勝手に検知して自動起動した賞金首のデータベースに合致した。
 捕まえるのに日数がかかりそう、と感じてオミットした違法活動家だ。自分の勘があまり間違っていなかったことに喜んでいいのか、こんな所で出会って悔しがっていいのか。とにかく彼らが通り過ぎるのを待っていたら仕事が完了しないし、彼女が見つかれば早晩反対側のゲート付近の治安も悪化するだろう。
 幸い、彼らの母語は日本語だ。薬師の経験した事の無い言語で喋ることはない。大きな声で喋りながら歩いてくるその会話は、どうもひとり捕まえた警察官がめちゃくちゃ強い上にワガママで、どこぞの監禁用コンテナに放り込んでおくのに苦労したという話だった。賞金首のほうが雑魚に聞かせている武勇伝というか、警察官氏は結局取り押さえられたらしい。
 すぐ殺さないことを慈悲深いなどと言っている。今すぐぶッ殺して海に投げこんでもそれはそれで、と薬師も思ったので、多分精神的には同類だろう。
 正直慈悲など無用な類だが、法というものがある。ギリギリグレーの状態で守れるか、どうか。要はこのふたりを襲って殺さず放り出し、後続を喚べるかどうかだ。
 仮に井筒刑事を取り押さえた程度の敵なら、薬師なら楽勝でいける。後続の確認をすると、万一の補充要員にベータとヨシムラ(車輌課の点検車輌)が詰めている。薬師などより余程殲滅目的の人員配置だ。いこう。
 うまいこと暗がりの死角に入っていた薬師は、ふたりが充電ケーブルを発見した直後、いち、にで跳躍し、空中で強風時の買い物袋の如くジャケットをはためかせ回転し、賞金首の首筋をへし折る勢いで蹴りつけ、着地した返す刀で携帯警棒を飛び出させそのまま連れの雑魚を殴った。
 首筋のほうは衝撃から察しても生活外殻だ、むち打ち程度の被害があっても折れることはない。せいぜい衝撃で再起動がかかる位だ。
 殴った方は残念だが、鎖骨を骨折するか相当部陥没されておいていただく。
 動かなくなったふたりをダクトテープでぐるぐる巻きにして隅まで引きずって放り出した薬師は、後続のベータとヨシムラにふたりの回収を請求した。
『るりっちどうするの』
『井筒さん相当の警官探すから、ヨシムラ君はふたり乗せて折り返して、ベータそのまま進入してくれ。ヨシムラ君はまた戻ってきて私のバイク積んで、その足でベータと井筒さん(仮)を回収して戻る』
『二人乗りいけるバイクだよね? 井筒さん(仮)だけ回収して、もうふたりで行っちゃおう』
『回収車に誰か乗ってたらふたりで行けるな。誰か街警でも特三でも応援請求して、OKならそれでいいから、応援請求よろしくね。じゃ先行ってます』
 めんどくせ、やっときますという声を耳の奥で確認し、薬師はマグライトを拾い上げ暗がりに向かって歩き始めた。
 
 広い通路の先は、本来であれば船体動力部管理保安員のための宿舎スペースだった筈だ。この真上が実は大学の職員宿舎で、今は必要最低限しか人が居ないので、彼らも大学の職員宿舎に暮らしている。
 薬師は、その広いスペースの有様を見て、なんだこりゃと思わず肉声で呟いた。管理されていない難民キャンプのバラックのようなものができあがっている。
 ホームレスではないのだ。国家権力から最も遠い、ここがホームだ。
 ――気持ちはわからなくもないが、国家権力から遠く感じても、権利的には私有地である。
『ひでえな』
『管理ほったらかすと秒でこうなるの、どこも一緒だね……』
 課のチャンネルの向こうのベータと、横着するもんじゃねえなと笑い合い、薬師は、どう考えてもあまりきちんと警備されているとは思えないキャンプに踏み込んだ。
 ベータは応援請求先を街警一課に切り替えた。特三の投入は若干暴力が過ぎるからだ。
 この状況だと偵察ボックスは置けない。薬師は私物の蜂をジャケットのポケットから出して、一匹だけ放ち、井筒相当の警察官を探させた。井筒刑事でなくても、識別信号が合致する警官がいれば居所が判明する。
 程なく見つかった識別信号は、無事に井筒刑事のそれだった。状況は生存、バイタルまでは感知できないが、立って歩いている映像が送られてくる。何者かに説教を一席ぶっているらしい。
 元気だね、と内心呆れて、薬師は位置をベータ、ヨシムラ、街警一課に送信した。
 このまま一席ぶっているところを邪魔してもいいが、さてどうするか。と、背後の腰丈あたりに息づかいのような変な音がした。
 それが生きている犬だと気づくまでに少々かかり、その少々がまずかった。左の膝上を攫われ、引き倒れた薬師は痛みと熱と共に振り回され始めた。
 口から悲鳴がついて出る。その声に数人が振り向いたのが見えた。とにかくこの、この犬を、
 銃を抜こうとして彼女は耐えた。機械犬ならドカンといくが、生きた犬では修理ができない。
「やめろ、痛い! ちきしょう、うわああ!」
 犬に噛まれて痛いとは聞いていない。医者を呪った痛い視界の向こうに、数人の男性が駆け寄ってくるのが見えた。

――ベータすまん、後は頼んだ――
 
                             【了】

(軽い気持ちで投げ銭をお勧めします。おいしいコーヒーをありがとう)