ティールブルージャケット【#105】 鼠の巣
その南の島の、島嶼部基礎の奥には巨大な発電所があり、島嶼部基礎には多くの巨大な船が接続されている。
巨大な船の中身はざっくりいって表面層が街、中身が重要施設と環境調整機構になっている。
それら船のひとつ、日本船籍船「☆あぐらいあ☆」の南の隅っこに、その昔海賊の砲撃の的にされて立ち退いた病院の跡地があった。
現在そこには、小さな花壇スペースを耕された、広い荒れ地に見えるソイルパネルの平面と、砲撃避け・環境調整で作られた小さな丘陵似の防壁にへばりつくように建つ、地味な暗色をした、ガレージ付き平屋の家がある。そこが薬師ルリコの今の住まいだ。
少し前から、家の軒下に幾つか置かれた、物置・物陰代わりの蓋付きのFRP製箱の間、早朝から午前中以外は常に日陰になる位置に鉢が置かれるようになった。
今はまだ、春先のさほど暑くない時期である。鉢に植え替えられた山野草の根がつくまでそこに置いているのだ。
ところがこの家、今月頭から住人が全く帰ってこず、結局、陸地で農家が使っている作業ボットの廉価版、その名も「庭番」がこれら鉢の世話をしていた。庭番は細かく設定されており、留守中にやってきた検疫所の職員の相手もよくした。
当の住人はというと、この「☆あぐらいあ☆」の半分以上を自社設備で占める各種法人あけぼの会が設立した警備部の社員をやっており、先月末に勃発した長丁場の現場に投入されていた。
今日で二週間目も終わりである。薬師ルリコは、シフト交代で帰宅した街警二課スタッフの代わりに、古髙物流の倉庫裏の警備に立っていた。
巡回戦闘用の大型犬ボットを三体・暴走車用の柵を初めとした暴徒鎮圧用装備設備一式を会社側に用意させ、私物の重火器や警備監視システム「目々連」から、夜間用大型甲虫カメラ、爆発虻蜂マキビシその他結構な量を追加装備にしたところ、特警三課課長の渋川に「昼夜無く複数人分はたらく(社畜)」と古髙物流に紹介されてしまった。
彼女は思いっきり渋川の足を踏んでおいたが、舌禍で左遷されても知らないぞあの野郎位には根に持っている。あっちにもこっちにも駆り出されてしまい、せっかく植え替えた植物の鉢を世話するヒマがない。
今件の対象である古髙物流は、昨年半ばから、隣の船のグループ本社・古髙建設が、中小零細を幾つか買い取って「☆あぐらいあ☆」に進出してきた物流会社だ。そこまでは普通だった。
古髙建設の前身がガチの反社だったのも、割とよくある話であった。だが、それによって商売敵が発生し、その商売敵の質が良くなかった、というのはそうよくあって嬉しい話でもない。
「☆あぐらいあ☆」が島嶼基礎に接続された直後から船上で物流会社を営んでいるのはネコトラ運輸とペタルストリームオペレーションの二社あり、今回古髙物流はペタルストリームが多く持つ法人業務を狙った。何がアレかというと、ペタルストリームの仕事が結構雑なのだ。そこを衝いたのだが、衝きすぎた。
ペタルストリーム社は客よりメンツが大事な会社だというのは昔から言われていたが、あぐらいあ支社が特にその傾向が強い支社だというのは警備部開闢前から「☆あぐらいあ☆」上で暮らしている薬師も初めて聞いた。
碌に言うことを聞かない反社崩れをまとめて僻地へ送り込んだらメンツが異様に大事になった、という笑うに笑えないオチだったという。
そんなペタルストリームの獰猛さと話の通じなさ加減は古髙建設の上を行くのを唯一知っている警備本部長が、船の上で反社にドンパチされてはかなわんと今回の業務を立ち上げたのだ。
本部長直々では無理だと言うわけにもいかず、警備部は両社に投入され、どちらかが下手を打つと味方同士がっぷり四つに組み合わなければならないという損な役回りが課された。
この本部長の真意は「下手を打った方をさっと引き上げ叩き潰す」で、判らない奴はそもそも投入されない。
薬師もそこは判らなくはなかったし、何なら今回不利なのは、骨の髄までゴロツキしかいないペタルストリームのほうだろうと思っているが、それにしても古髙物流の人使いの荒さときたらなかった。
ただ唯一安心なのが、元がガチの反社なため足下がおろそかではかなわんと、仕事がルーチンから異様に丁寧というところで、そこに抜けがないため、古高側に回った社員は普通に正義の警備会社をやっていれば良かったところだ。
そして本人達が鉄火場慣れしている仕事の虫ばかりだ。ペタルストリームに回された連中は自動警備業務を主としており、さほど鉄火場慣れしていない。今頃青息吐息だろう。
ペタルストリームをいつガチギレさせ本部長の掌がいつ返るか、その速度だけが試される。
薬師が今晩警備に当たっているこの倉庫は、古髙物流所有のうち一番大きな食品用冷凍冷蔵倉庫で、各社所有するこれをやられると、船上に生産拠点をさほど持っていない「☆あぐらいあ☆」はあっという間に食料難に陥る。
外付け生産拠点の増強はしているが、本格稼働は再来年からだ。最低でも今年はこれを死守しなければならない。
薬師はひとりで警備に当たっているわけではなく、街警二課の応援という形で来ているが、「絶対暴徒や自爆トラック突っ込ませるなら食品倉庫だから」と、いくつかある拠点に過剰警備気味な物品の投入をしたのは彼女だ。
古髙物流はライフライン関連物資の流通に主眼を置いていた。その中でも、別に爆発も漏出もしないから忘れられがちだが、無くすとまずいもののひとつだった。
案の定というか運良くというか、それら過剰警備気味の拠点に向かって、同じ位のサイズの積荷を積んだボロい軽トラが幾つか走っているという一報がもたらされたのは夜半過ぎた頃だった。
薬師は内心小躍りした。どこに自爆トラックが来るか、渋川と安浦と賭けをしていたのだ。なに、勝ちすぎということはあるだろうが、親は安浦だ。だからこの手の不謹慎な賭けはやめろと(形だけ)言った。
軽トラのドライバーは居ない。自動運転のドライバー追跡は車輌課がする。船の主、本家家元を舐めて戦争おっぱじめるとは、クソ度胸もここまで来ると、こちらから攻め込んで会社社屋ごと吹っ飛ばしても満場一致で正義が主張できる位には愚かだ。
本部長命令が会社の回線を流れていく。このトラックが着弾した直後に契約解除だ。街警三課は応援スタッフ共々全員帰社後帰宅。違約金? 管理本部が踏み倒す。
「総務が踏み倒せるとは思えんなぁ――」
薬師のぼやきに、渋川が応じてきた。
『置物の狸なんだから、管理本部長の隣で押し黙ってりゃよかろうよ。薬師、そっち二台行ってるけど大丈夫か』
「表も裏もペタル所有の空き地だから、止まらなきゃそこで爆発だ。安浦さん、屋根越えの用意頼む」
自動運転車両の進行方向を一発撃って強引に変えるのは、昔から彼女のお家芸だ。軽トラの進路は表と裏に一台ずつ。裏は車輌課の追撃を逃れたせいで若干遅れていた。
安浦の屋根越え用ドローンの用意を終え、狙撃ライフルの準備をしていると、軽トラ如きがどういう装備をしているのか、どちらも暴走車用の柵を吹き飛ばして到達してきた。当然速い方から先に相手をする事になる。
薬師は、屋根越え用ドローンに先に合図をした。浮上直前に、夜間用甲虫カメラから何か着信するが、塀の穴に毛玉が詰まっているようにしか見えない映像だ。判断しかねるので街警二課の分析送りにした。
浮上しながら軽トラの車輪を狙うという曲芸業務。今日も一撃、絶好調。
浮上後直線距離で移動しているうちに裏にも一台、停止が間に合わないのか減速もせずに到達してきた。入れ食いだ。
倉庫の表でも裏でも、空き地の真ん中辺で綺麗に軽トラが爆発した。こんな芸を披露しても金一封は出ないが、自画自賛位はしてもよかろう。今日も伝説が一個できた。お疲れ様でした。
連勤は二週間で終わり、薬師は普通に夜間シフトを終了して帰宅した。後始末はしばらく管理本部の仕事になる。その合間に何か発生すればそれなりの業務になるだろうが、とりあえず家に帰って、放り出して庭番に面倒を見させていた鉢の様子が見たい。
鉢の中身はトリカブトだった。ずっと欲しくてある日思い切って通販で取り寄せたら、結構な大事になってしまったやつだ。
検疫所の職員の、ほとんど詰問みたいな質問にも全部答えた。要は(大量の)人間の毒殺に使いませんという話である。
そもそも標的を毒殺するなんてまだるこしい人物が取り寄せていたので、普段なら種苗の通販の常連ということで若干形骸化している問答が、本腰入れて大量殺人への使用不可ということになってしまった。しませんて。
生育状況は庭番を通して管理できるが、そうではなくて現物が見たいのだ。早朝の、まだ日の出直前の様子では、良い感じに育っていた。ところがである。
帰宅して、乗ってきた車を自動運転にして車庫入れを勝手にさせて、足早に軒下に至った薬師は仰天した。
この僅かな時間で、鉢のひとつが鼠にやられた。半分ほど食われた。
昨日まで元気だった植物がある日いきなり萎れるというのはある話なので、複数ある鉢のうちひとつの壊滅如きで必要以上に動揺することはないのだが、そうではない。
鼠が。それもどこか(多分大学)から逃げ出したラットとかではなく、明らかに大きなドブネズミが、よりにもよって食い意地張って毒草食って死んでる。それが、この船ではあってはいけないことなのだ。
「☆あぐらいあ☆」の設備管理上、齧歯類から不快害虫まで、船の表面に若干存在しても、内部に存在してはいけないものとして扱われている。可能な限り、表面にも居て欲しくない。わかりやすい一番の理由としては、船内の配線がやられるからだ。悪意のある人間がケーブルを切って歩いたより被害が広範に及び、原因の特定がしづらい。しかも島嶼部設備に侵入されると、管轄が邪魔をして余計面倒な事になる。
島嶼部設備開発中の昔話だが、積荷に紛れて侵入した鼠等の小動物、不快害虫、これらのせいで何度も広範な被害が出て、その結果検疫に異様に注力する監視業務ができあがったということだ。
今も尚、船内外に、病院設備・大学・研究所を擁する「☆あぐらいあ☆」に例外はない。船内は定期的に、設備部と、殺鼠駆虫の駆除業者が消毒してまわる。
巨大な蟻塚が発生するような問題のあるソイルパネルは交換になる。街区のビルユニットの土台に何らかの巣が作られるとまずいので、事業者も相当気を遣う。
大学で実験用のラットが脱走したら、膨大な数動き回っている警備・駆虫用ボットが回収ないし殺害する、目々連を使っている業者もいる、等々。
外部から入り込まないよう検疫も元から、特に「☆あぐらいあ☆」は他船が仰天する程厳しい。厳しすぎて全てを人間が対応するには無理が出てきたため、人間がする対応以前の部分には自動駆除ルーチンが組まれている。
そんな中で、こんなまるまる太ったドブネズミ。一体こいつはどこから来たのか。薬師は、その場で設備部へ正規の報告を作成し始めた。
その最中、ふと思い出して、昨夜半街警二課の分析に回した粗い映像を見てみると、倉庫のブロック塀の穴からぬっと伸びた棒と、毛糸玉のような何かが映っている。これは鼠の尻ではないか。この棒っぽい動きをする黒いものは尻尾だ。
側溝掃除用の火ばさみシャベルと数重に重ねたゴミ袋を持ってきて、死骸をつまんでゴミ袋に押し込みながら、薬師は、街警二課と設備部宛て連絡帳を丸眼鏡の視界に呼び出した。
備考欄に「古髙物流街区十三区倉庫にドブネズミが出たかもしれない。根拠は昨日送付した分析用映像と、薬師宅の畑にドブネズミが出てトリカブト食って死んだ。あと、船体点検時は臨時警護に自分を指名するように。理由は気分。この鼠が戦闘能力を持つ飼育者に飼育された特殊な鼠だったら嫌だから」と添付し、設備部の、連絡受理時に「り」でもいいから寄越してくる社員に送った。
袋の口を締めていると、期待通りの反応があった。後は続報を待つ位しか彼女にできることはない。次は鉢の食われた部分を少し養生してやるのが今日の仕事だ。終わったらひとッ風呂浴びて、八時間眠らないと会社が怒る。
起きたら鉢を回収して、地下の倉庫にしつらえた植物用の定温庫に入れてやろう。
さて、そこからひと風呂浴びて八時間後、目覚めた薬師に入ってきたのは、特警業務課兼秘書室の春日井課長からの臨時警護依頼だった。業務命令なのだが、命令という単語を使うのを嫌がる上役が社内に一定数いる。
かといってもう夕方なので、今から何かするといったって依頼を読んで、明日の朝イチで受理されるであろう書類の文面と装備調達を考える位しかやることがない。
家の軒下で、書類の装備欄を考えながら鉢の回収をしていた薬師の体内回線に、会社の、内緒話をしたい誰かから着信した。
春日井か、上司の渋川か、設備部だろうと思い、相手を確認せずに出ると、音声のみの通信で、想像通り春日井の落ち着いた声がした。
女性の声だけ落ち着いていて、実際には方言混じりでがらっぱち極まりないが、外見は綺麗なのでそこはそれだ。
『いえーい。春日井です』
「へい毎度。薬師です、鼠の件ですか」
『話早ぇや。今書類どこまでいった?』
「装備に何使うかかな……火炎駆除装備一式とか言ったら怒ります?」
『いや怒らないけど使用者一名はちょっと却下だわ。あれ使ったらその後消火設備動かさないとなんないから、待避遅れたら酸欠で死んじゃうしょや』
「死にますかねぇ」
『おま、大体考えてることわかるぞ。飼育部屋のでかいの想像して、全員待避さしてひとりで使う気してるべ』
バレたか、と呟く薬師に軽く怒ってみせ、春日井は代替手段を提示した。
なんでも、駆除業者から使い捨て遠隔操作ボットが持ち込まれたという。ひとが火炎放射器を持って一方向に放射するのではなく、球体が火を噴きながら転がり回る。
「なんだよそのネズミ花火。ひでえな。ダメです。延焼が管理できない」
『やっぱりダメか。渋川君が絶対ダメだって言って聞かないんだよね』
渋川め、なぜ下に判断を投げると嘆いてみせた薬師に、現場と言えと苦笑を返し、春日井は、では火炎駆除装備一式は渋川・薬師二名分とだけ言って話は終わった。それで大体の書類はできあがったので、そのまま提出する。
『おうっと、何だこの武装した飼育者(複数)の可能性ありってのは』
「なんぼドブ公でも、定数管理と餌やりと、失敗した時の処分、必要でしょ。無限に増やして焼いて食うなら脳無し牛のほうがいい」
喉の奥で唸る声がして、書類はそのまま通過していった。
『開始日どうするこれ。お前さん来週にはメンテナンスあるでしょ』
「ずらせばいいよ。会社から朝顔先生にそう伝えてください。私からも予約ずらすから。船にドブネズミ居るなんつったら慌ててずらすでしょ。朝顔先生理事なんだから無視したらてめえクビだわ」
けひゃひゃひゃとしか形容できない音で笑って、春日井はそれを了解した。明日の始業直後には主治医の九重朝顔の所にその話も上がるし、薬師からも朝イチで予約変更の連絡をすればいい。話は済んだ。
『あのさ、それで話変わるんだけど、なんか検疫の担当官が管理本部長に愚痴ったらしいんだけどさあ』
「あーまさにその鉢を今、定温管理庫に入れようとしています。うちのトリカブトちゃんでしょ? ひとが食わないしひとに食わせないから大丈夫だって言っといてくださいや。ひとが食ったら多分そいつ、死亡賞金つきで物凄い難物です」
『鼠が食ったべや』
「知らん。けもののつまみ食いの管理まで誰もしません。最悪葉っぱ持ってって餌に混ぜてやるでバーターだべ、鼠見つけて駆除してやるっつってんです、検疫こそ恩に着ろや」
回線の向こうで、耐えきれず噴き出す音が複数した。察するに実体が何らかの集会中で、アクセスログを出したくないためスピーカー全開で聞かれていたようだ。上役連中と、総務の女性社員の感じの音。総務課の真ん中だ。
あまり気分の良いものではないが、こちらもそこまで特殊な話をしていない。薬師は苦笑しいしい、話を終えた。
薬師宅のかなり下方に、船体と島嶼発電設備から排出される処理済み排水の出水口がある。これとかつてあった海賊による砲撃のため、土地(パネル)所有権が厄地として用途もなく遊んでいた頃、そこに宅地が造られた。
当時の話はさておき、先日この出水口点検通路から、「戦闘外殻体に換装された、関係所属先に所属の無い素人」という、本来船内に居るはずのない存在が検出されている。こいつを検出したとき、彼女は船体内部壁面パネルを若干壊したのだが、それは会社持ちで修理された。
この時は、社内では「何らかの理由でホームレスが迷い込んだ」程度の認識しかなく、対象の行き先は警察かつ福祉となった。
薬師自身も、這い上がるとっかかりの一切無い出水口側から人間の群れが這い上がるか、爆発してから慌てようと思っていた。ひとり暮らしで鉄火場稼業が長かったので、自宅に自動警備を導入しているし、非常時は自分で出撃する位のことはする。会社がテロの判断をすれば社員を叩き起こして増援を回す位置で、到着までは耐える勘定だった。
だがドブネズミの群れとなると、正直ひとりでどうにかする自信はない。不快害虫の群れよりは余程マシだが、そこら辺は好みの問題だ。被害が出れば一緒だし、そもそも地上への到達経路がぱっとわからない。
人間なら壁の隙間を出入りできないし、点検通路をうろうろ歩いていればそのうちどこかに到着する。到着したその場で、点検用扉をくぐれるかどうかが問われるが、それはその人物の所属先の話になる。犬猫まではそうなるだろう。以前、犬でもチワワならどうかと混ぜ返した奴がいたが、所属を与えたチワワに点検用扉をくぐらせれば同じ話になる。
それ以下のサイズの、所属の無いもの。壁の隙間や穴を通るもの。想定しない筈はない。しかし、想定を超えてどこかから発生すれば話は別だ。侮れば災害となるものは、個人の手に余る。
薬師達臨時点検チームは、会社社屋地下の点検用扉から船内接続室に装備を運び込んでいた。先に設備部の放っていた、目々連を含む点検ボットの報告が続々、丸眼鏡の視界の隅に上がってくる。機械でできた大量のゴキブリやムカデ、オオスズメバチ、蝿等が船内の隙間をすごい速度で移動するのを想像しかけ、彼女はその行為を頭から追い出した。怖い。
副次的に発見された害虫コロニーや不法占拠等は駆除対象としてチェックされていく。いくつも発見された中に、かつては船内設備のあった比較的大きな空間があり、その中に無許可で建造されたコンテナ集積が検出された。窓の無い大きなコンテナに空調、家畜用汚物処理槽のガワ、別のコンテナ前に飼料らしき袋が無造作に置かれているのが覗われる。その数、合計九棟。
無許可で建造、というのが薬師の意識に少し引っかかった。問合せを飛ばすと、「コンテナ自体の搬入、建造用資材の搬入、人員車輌その他の移動記録一切無し」と返答がある。なるほど、突然発生したお化けコンテナというわけだ。何の問題もない。
武器の集積でも認められれば無条件で駆除対象になる。いくつかの点検用ボットが偵察用に変貌して現地の監視を始めた。
薬師らも、これから船内点検用パレットで移動して現地到達まで四時間半かかる。このパレットの移動がコンテナハウス側に察知され、逃走でもされれば、悪意ありとして追跡駆除対象になるだろう。追跡は増援がやる。今の仕事は鼠の駆除をすること、必要があれば火炎放射器でコンテナの中身を燃やしてしまうこと。過剰な抵抗があれば交戦する。
「おい薬師、これ過剰な抵抗あるようには見えないよなあ……」
「見えないねぇ……」
薬師と渋川、同じパレットに乗る五人の設備部社員達は、コンテナの監視映像を眺めて首を傾げた。抵抗があるならもう少し、武装した人間か機械が映るべきだ。
「自動機銃でもついてて、乱射されるんだったら判らなくもないけど、無いですね」
自動警備のじの字もない。全く安心しきって家畜だけ育てているなら人間の職場痕のひとつもあってよいのではとその場の全員が思った。休憩中に茶くらい飲めよと誰かが口にする。
「わからん……」
腕組みして首を傾げた薬師に、フラッシュライトをぴこぴこ点滅させながら考え込んだ渋川が訊ねた。
「お前フル装備で出て、すぐ火炎駆除装備に切り替えられるか、逆もすぐいけるか」
「防護服が無ければ持ち替えだけで対応する。呼吸器が焼けたら嫌なんで、頭部ヘルメットとマスクだけさせて。火には多少耐えるけど、あんまり最前線で頑張ると焼けるんで後退しながらになります。でもなんで?」
「俺今気持ち悪いもの想像しちゃってな。俺は全身戦闘外殻だから、素っ裸晒してもお前より前に出て長く耐える。セクハラとか言わないなら何考えたか教えてやろう」
「言え。全裸中年男性」
「まだ脱いでねぇ――」
渋川がもったいぶって告げたのは、「鼠が戦闘もする」という、モンスターパニック映画もかくやと思われるひと言だった。薬師は露骨に呆れた顔を彼に向けた。
「渋川さん……それ課長様の発言かな」
「普段のお前と言ってること何違うってんだ。無理矢理納得して他所に伝える俺の身にもなれ」
「鼠が合体して図体でかい二足歩行仕様になるとでも?」
「常識的な事を言え、鼠は所詮鼠だよ。群がって食いつくんだよ。そんなに改造の労力も要るまい? 歯だけ光ってる感じの、ただの鼠。遠隔で指示された敵を狙って食いつく」
薬師とほぼ異口同音に、同じパレットに乗っていた五人が全員「一番考えたくないやつだ、それ!」と嘆いた。
「じゃああのでかいコンテナの中身、全部鼠だと、おとうちゃんは思っちゃう?」
「うん。ケージとかなくて、棚に行儀良くみっしり。で、全部同時にガラッとドアが開いて、中から順序よくウワアァーって」
薬師は隣の女性社員と顔を見合わせ、うわあーと気のない声を上げた。そのまま質問する。
「……消火設備ってどの辺から設置されてましたっけあの空間」
「空間そのものには酸欠タイプのやつが設置されてます……」
空間そのものは酸欠になるらしい。問題無い話だ。あとは、
「防火扉から向こうは異界だと思った方がいいやつだな、渋川さんや。それどの位本気にしようか?」
「そうだな、防火扉を最初に下ろして、自動で降りてこない時点で本気にしてくれ。俺らふたりで入って、持ってきた殺鼠用のガス弾コンテナに転がしこんで、ふたりとも一番奥に到達したら、背後で発生した鼠の海で溺れるのを想像してる」
「ガス利かない?」
「コンテナ内で換気されて俺らに利く、考えすぎかね」
それから現地到着まで残り二時間弱、送られ続ける偵察映像を穴が空くほどこねくり回し、パレット上は机上の大激論会場と化した。コンテナ周辺機器類は、コンテナ本体から自動鍵の果てまでメーカー型番全てが突き止められ、偵察ボットのうち目々連・電子戦用オオスズメバチと、薬師が持ち込んだ私物の同型間で更新の共有がされる。
「薬師さん、なんで私物のほうが先に最新プロダクトになってるの。法人用ってひとりで戦争するの」
「家の鍵よく無くすんですよね」
渋川の抗議を華麗にかわし(かわしたとは思っていない)、薬師は道中まとめた行動過程を記憶し直した。
防火扉を下ろしてしまう。殺鼠用のガスをすぐ使わない。蜂を使ってコンテナの自動扉の鍵を一定時間開かないように仕立てる。
頑丈な渋川を囮にし、火炎駆除装備(ジェル燃料を飛ばすタイプの火炎放射器)一式を背負って奥まで行かせる。薬師はコンテナ中央列の防火扉側で待機。この間おそらく蜂と設備管理者の間で開扉閉錠の争いがあるが、順調にいけば蜂は奥から順次競り負ける。
配置についたら、蜂が競り負ける前に、ふたりは奥側手前・中央で互いのブリッドを至近で撃墜しながらばらまく。奥側向こう・中央列向こうへひとつずつ撃って渋川が走る。中央列/手前列中央と手前に撃っているうちに、火力がきつすぎて消火設備が動き出すので残り存在には構わず防火扉をくぐる。絶対に足を止めない。鼠のほうが想定より数が多く上手であれば、おそらくどちらも助からないので、ガス弾を投げこんで防火扉を閉める。閉扉タイミングは設備部社員に任される。
大して難しい話ではない。ただ行く手が阻まれた時にすぐ諦める勘定になっているのが気に食わないので、薬師は、自分が多少焼けても炎を乗り越えることにした。パレットに常設してある消火剤を用意させておき、絶対に足を止めない。焼け落ちたらそこまで。
現場に到着すると、パレット上で渋川が言った「防火扉が自動で降りてこない」事態が早速発生した。
手動クランクで扉を下ろし、開閉を確認している薬師の背後から声がかかる。
「あの、薬師さん……特警っていつもこんな感じなんですか?」
「程度の差はあるけどね。まあだから、人間が動いてるギリギリまで閉扉は待って欲しいのよ」
がんばります、と頷く設備部の若手に、よろしくとだけ言って、薬師は申請したよりはるかに取り回しのよい火炎放射器の発射装置を肩に掛けた。
燃料格納パックが砲身と一体化しており、電源を入れると、眼鏡の視界の隅で精密射撃補助同期が始まる。この砲身、ブリッドを撃ち出すだけでなく、トーチとしても使える。燃焼使用量が従来の半分以下だ。
野焼きに行くんじゃないからこんなのもっと小さくても良いくらいだ、と渋川はぼやいており、野焼きの意味が判らずに、他のスタッフが皆首を傾げていた。わがままな奴だ。
「薬師、装備なげてくんなよって春日井さんが」
防火扉をくぐりながら、渋川が言った。装備を棄てて行動するはめになる前に撤収しろということだ。
さすがにケチと言う訳にもいかず、薬師は軽く頷くだけにとどめた。
殴る大物もいないし、松明か火噴き棍棒にでもならない限りそれもないと思いたい。
彼女と渋川の後から、数匹のオオスズメバチが空間内に入った。目々連が配置につく速度はきわめて速い。ふたりも急ぎ配置につき、何も出なければせえので炎を放って帰ってくるだけの仕事を始めた。
想定のひとつに、蜂があっという間に競り負けるというのがあり、奥三列、中央端コンテナの前に炎を放ったそのとき、全てのコンテナのドアが開いた。
こういうときはもう全てをうっちゃって火炎弾をぶっ放しながら防火扉へ一目散となっていたので、できるだけコンテナの中に火炎弾が放り込まれるように放ちながら戻ったのだが、盲撃ちでは上手くいかない。
最初に撒いた火が消え、背後から焦げて半狂乱になった鼠の群れが迫った。こうなると人間がひとりで相手しても蹂躙されるだけだが、逃げる時間は必要だ。
薬師は立ち止まり、火炎放射器の砲身をトーチに切り替え、槍よろしく構えた。後退しながら薙ぐと、無事な奴は離れていくし、無事でなければ内輪もめを始める。
わずかな時間足を止めた薬師の身体に、トーチの扱いが悪くて焦げ、機械部が剥き出しになった腕が巻き付いた。
「止まるな!」
走る渋川の肩に身体ごと担ぎ上げられ、薬師は背後にトーチをぶっ放し鼠を焼きながら戻った。しかし防火扉に至るのは鼠のほうが若干速い。
「私ばせえので投げれ。できるべ」
彼はそれを声だけ嫌がったが、背に腹は代えられない。薬師の身体は一旦担ぎ下ろされ、抱いた両腕からせえので前方に放り出された。こういうとき高出力の身体は便利だ。あり得ない距離を投げられる。
トーチから断続して下方に炎を噴きながら、防火扉を背にして着地した薬師は、自分の噴いた炎で焼ける腕脚を叩くのもそこそこに、目の前の鼠を焼き払い続けた。
消火装置起動のアナウンスが遠くに聞こえる。痛覚カットを気にする余裕もなく、渋川が焼けた鼠を踏みながら目の前に到達した頃にはほとんど気絶していたが、そのまま防火扉に押し込まれて消火剤をぶっかけられて滲みる目と傷に我に返った。
一度だけ強烈に上がった悲鳴をきいた渋川は、苦しむ薬師を下ろして安堵の息を吐いていた。
「よし、まあ、何とか生きてるな」
設備部員は全員、彼女が正気に戻るまで声もかけられずにいたが、やがて荒い息の下から、痛ぇとか細い声がして、起き上がりざま無事な方の足で上司の向こうずねを力一杯蹴飛ばすのを見て安堵した。正気だ。
「うぁぁ、朝顔先生に怒られる。酷い」
痛覚を漸くカットアウトし、黒焦げになった自分の腕を眺めて、薬師は泣き声を上げた。
「自前で治らないから尚悪いな」
「生身だったら死んでるから尚悪いわ」
笑い飛ばす気も起きない顔で、彼女は渋川の手を借りて立ち上がり、よろけつつもパレットに自力でよじ登った。
「大動物のアレ繋いどいて俺も何だけどよ、それ前の身体に戻して貰えねえのか」
「朝顔先生何かして論文書くから、用全部済んでからだあ。あんた今更全部知ってるしょや。それで現ナマ代わりに家土地と換装代随時だもん、今すぐできない相談しないで」
消火装置起動後の状況確認をしていた設備部一同は、無事と笑うに笑えない感じのやりとりを背中で聞きながら、自分達の作業を始めていた。
蜂と自動扉の開扉閉錠争いで、管理関係者の逆探知がほぼ終了した。ほぼ、というのは絞り込みが完全には終わらなかったためだが、そこは範疇外だ。
焼け残った設備と窒息した鼠を集めて分析するのと並行して下手人の割り出しをするのは特警業務課と設備部の仕事になる。後は、交代と称してやってきた回収用のパレットに乗って帰れば特警三課の仕事は終わりだが、薬師にはまだ、焦げた身体であけぼの会病院まで行ってメンテナンス入院をしなければならないという試練が待っていた。
コートで出歩いて暑い時期ではないのが幸いだが、被害程度の説明を九重医師に送ったら家に搬送車輌が来そうですごく嫌だった。
病院の搬送車輌なんて救急車じゃないか。そんなものに来られたら目立って堪らない。
「歩いていくのか……」
病院かと訊く渋川に頷いてみせると、彼は苦笑して言った。
「結局予定ずらさせたの会社だからな。俺送るわ。労災になるかどうかは……なるのか……人事に聞いてみとく」
よろしく、と呟いて、疲れた呻き声をあげてパレット上に横たわった薬師は、もう一歩も動けない顔で口をつぐみ、目を閉じた。
上手くいったならよし、いかなければまた駆除がある。今度は鼠の巣でなく人間の巣がやりたい。
古髙の倉庫の鼠と、ペタルストリームの件は、まだ全然解決していない。ペタルがガチギレして、いつかまた紛争になるまで誰かが想定しているだろうか。人間相手なほうが、幾分マシだが。
【了】