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ともだちの家のヤクルト #文脈メシ妄想選手権


中途半端にあまく潤ったあの感覚だけを、曖昧に覚えている。


あの時のわたし、ひとの家におじゃますることに随分慣れていた。
如何せん、富の自由がない小学生という身分だったからだ。
同じ身分の者達どうし、一銭も使わずに遊んだ。
そのへんの公園や道で毎日のように遊んだ。
そうした場所と地続きにともだちの家があった。
ひと様の住居を完全に無料の遊び場とみなしていた。
実に奔放だった、わたし達。

前約束もなく、思い立った時に上がり込むわたし達。
「おじゃまします」宣言さえすればまかり通ったわたし達。
広いとはいえない家の中で、隠れんぼや鬼ごっこをして遊ぶわたし達。
リコーダーを持ち込んで、音楽会の練習をするわたし達。
当然のように、おやつの分け前にあずかるわたし達。

家の中には必ず手頃なおやつが存在していた。
ともだちのお母さんが手ずから差し入れてくれることもあれば、
野蛮にも自ら探し出し、要求することもあった。
クッキー、チョコ、煎餅、ポテチ、その他サクサクバリバリのもの。
何故かおつまみ用のピーナッツもそこに並んだ。
遊びの合間に摂取して味を楽しみ、また遊びに戻る。

飲み物が現れるのは何故かレアケースだった。
おやつは食べたがるくせに喉の渇きには鈍感だったのだ。
それが出てくるのは、何故かきまって子供心に裕福そうに見える家だった。
ともだちのお母さんが、トレーに乗せて差し入れてくれる家だった。

ちょうど手に収まるくらいの小さなボトルが、その上に乗っている。
わたし一人分だけの液体で満たされた小さなボトル。
それを与えられると、もてなしを受けている身分という感じがした。
おやつは勝手に食べるくせに、飲み物を飲むタイミングが計れないわたし。
みんながそうするのを見てから、アルミ箔を半分くらいまで剥がす。
遠慮がちに口をつけて、ボトルを傾ける。
そのうち、ただあまい不思議な液体が口の中に流れてくる。
わずかに牛乳との関連性を感じなくもないが、いまいち掴めない味。
舌の上から喉の奥まで、あまみは流れていく。
そうして、きまって乾いた喉を潤しきらない内になくなっている。
喉に残るあまみに違和感を抱えながら、また遊びに戻る内に忘れていく。
そういう、不思議でとくべつな飲み物。

だんだん、ともだちの家におじゃましなくなる。
いつも一緒のともだちの顔ぶれが、だんだん変わっていく。
ただ一緒に走って、隠れて、何かになりきった、あの時のともだち。
何を喋っていたかも思い出せないともだち。

あの子の好きな歌を知らない。
あの子の読んでいた本を知らない。
あの子が将来何になりたかったのか知らない。

お互いのことを実はあまり知らないまま、
それでもずいぶん一緒にいたあの時のともだち。
別々の時間が増えて、やがて話が合わないことに気付いてしまう前、
確かにあった不思議な関係。


二度と飲めないあの飲み物のことを、今でも時折思う。

中途半端にあまく潤ったあの感覚だけを、曖昧に覚えている。



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