見出し画像

日野開三郎博士の唐宋時代交引鋪研究についての小察…。その一…。

日野開三郎博士 " 日野開三郎 - Wikipedia " 東洋史学論集第6巻, 第一部第四章, 交引鋪(コウインフ あるいは コウインホ と読めばいいと、私見では思います…。)について、読みながら考えようというのが、この記事です。交引は、唐宋時代においては、銭・塩・茶などの手形としてあつかわれています。これは日野博士の一連の研究からもあきらかです。
交引そのものを専門にあつかう、交引鋪とは、どのようなものだったのかについての実態把握のための研究が、上記日野博士の書籍の該当部分の記述であり、本稿ではこれを、要約・引用させていただいて、考えながら、読んで行こうとおもいます…。

交引鋪(ホ フ ひく みせ)はいわゆる交引の売買取引を業務とした京師の大金融商人です。北宋時代の交引類には見銭交引・便糴(テキ ジャク かいよね)糧草交引・見銭関子・茶交引・塩交引(塩鈔)・礬(バン ハン)交引・香薬交引などがあり、塩鈔はその発行がほとんど北宋を一貫して継続し、かつ額高が巨大で、その重要性においてほかの諸交引に卓絶していたとはいえ、ようするにこれら十指にたらんとする諸交引の一つであり、またほかの交引のなかにも見銭交引・便糴糧草交引や北宋前期の茶交引、同末期の見銭関子など、その額高において塩鈔につぐ重要なものが少なくなかったとされています。

交引鋪の営業はこれらの諸交引を総じて取引の対象としており、塩鈔はそうした取引対象のひとつにすぎませんでした。したがって金融業者としての交引鋪の研究はこれら一切の交引類との関連においておこなわなければならないというのが、日野博士の考えです…。 

宋は国初以来急増する辺防軍への糧草その他の補給を客商の輸納にあおぎ、輸納糧草の代価弁済方法として京師榷(カク まるきばし)貨務支払の便糴糧草交引を沿辺州軍から発行していました。京師榷貨務は専売品たる茶および塩の交引を発行し、また南方州軍支払の便糴手形を発行し、それらの収入をもって便糴糧草交引の支払財本にあてていました。

注目すべきは、それが客商群の行販活動、すなわち北方の糧草商人と解塩商人、南方の茶商人と末塩商人の行販活動を前提としてその上に組立てられていたということであるとされています。

中国では商人を坐賈(カ コ あきなう あきない)と客商とに分かつ扱いが一貫して続いていたとされます。坐賈は単に賈ともいわれ、肆鋪を構えてその地に定着し、来店の顧客に商品を販売する業者で、他の同業者に一括卸売りすることもあるが、小売りを主としていました。

客商は商客・客旅・商旅、またはたんに商などと呼ばれ、本拠を有してはいるが、その営業は本拠を離れて遠隔地間を往来し、商品を安価に仕入れ、高価の地に携行して一括的に販売し、販売の相手は他の客商や坐賈でありました。もちろん、官の大量需要に対しても利厚しと見れば輸納に応じていました。

北宋時代の広大な国内の商業は地理的な自然条件によって大きく三つの重要地域に分かれていました。その一は北商と呼ばれるものの活躍舞台であって、その範囲は京師を中心として沿辺三路とこれに隣接する一帯の地を含み、第二は南商と呼ばれるものの活躍舞台であって、その範囲は淮(エ ワイ)江浙一帯の東南富裕地帯にまたがり、第三は蜀商と呼ばれるものの活躍舞台であって、その範囲は四川四路の地でありました。このうち蜀商はこの記事ではほとんど関係がありません。

唐宋時代の坐賈はその商品の専門別に従って組合を形成しており、この商人組合を行、行に属する商人を行商とよんでいました。行は同業者の利益を保護し、官の公課を負担し、その区域内の営業の独占を図っていました。宋代では行内の少数有力者が行の実権を占有し、一般の行商を抑圧して自己の一段の肥大に専念し、行内に階層的対立の気運を熟成してゆく傾向がかなり強く顕れていたとされます。北宋の辺防用諸交引の行用に関与する諸商人の活躍を考えるには少なくとも以上の知識を基礎に踏まえておかねばならないと、日野博士は解いています…。

沿辺での官糴におうじて糧草を輸納する客商が北商であったことは上述の基礎知識に照らしてあきらかでありますが、さらにその主体をなしていたのは京師の行商すなわち穀物取り扱いの米行商であったわけだというのです。

沿辺で糧草を輸納し交引(便糴糧草交引)を受け取って京師に持参した者が行商であれば交引舗の保任を得て榷(カク)貨務で銭の支払を受けましたが、行商外のものは交引舗の保任を受けえず、従って榷貨務から銭を受け取ることもできず、その交引は交引鋪に買い取ってもらうほかなかったという、という日野博士の分析です…。ちなみにウェブでは、交引舗(こういんぽ)とは? 意味や使い方 - コトバンク というのがありますね…。でも、これだけではあんまりなので、イメージを少し…。


交引鋪のイメージとされています。ウェブより。

交引鋪のイメージとしては、ウェブで「交引舗」と検索すると出てきますね。うえのイメージは、交引をあつかう店舗としてのイメージでしょうね。肖像権などご容赦ください…。

この榷貨務客商の句で表現せられている榷貨務と客商との関係の具体的内容は明らかでないそうですが、この商人が辺上に輸粟し、在京榷貨務で代価を受け取っていた穀物商人であることは疑いなく、ひいては京師の米行商を指していることも察見にむずくないと、日野博士は記述しています。日野博士の本説でもありますので、以下、有料エリアとさせていただきます…。

ここから先は

2,126字

¥ 100

期間限定!Amazon Payで支払うと抽選で
Amazonギフトカード5,000円分が当たる

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?