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宮崎市定氏, アジア史論考, 中巻, 部曲から佃戸へ―唐宋時代社会変革の一面―を読む…。その一…。

宮崎市定博士 宮崎市定 - Wikipedia 氏の、まとまった論述集、アジア史論考 CiNii 図書 - 宮崎市定アジア史論考 の、中巻における、部曲から佃戸へ, を考える記事、その二、です…。すでに該当書籍を精読なさっている方にはあまり意味のない記事にはなります。当稿では、その一に続いて、部曲( 部曲 - Wikipedia )の社会的地位についての細かい省察をしていきたいと思います。要約・引用は、中巻, 部曲から佃戸へ―唐宋間社会変革の一面― p 264 ~ 338 , における、四, 部曲と官戸 p 288 ~ 302 からです。

それでは、みていきましょう…。

部曲と官戸について…。
私家に部曲と奴婢とあるように、官には官戸と官奴婢とがあった。私奴婢と官奴婢との法律上の位置はほぼ等しい。更に部曲と私奴婢との差は、官戸と官奴婢との差に殆んど等しい。故に部曲はしばしば官戸部曲と続けて条文の中に現われる。官と私との相違はあっても、既に法制上、官戸と部曲の地位が並行しているならば、経済上においてもほぼ同水準と考えるべきではあるまいか…。中世の経済は徭(ヨウ)役労働が本体であるとは、西洋から流行ってきた学説であるが、東方においてもほぼそれが妥当する…。唐代に行なわれた均田法は、その実体は徭役労働に外ならない。政府から土地の配給を受けた課戸の負担は、租庸調と徭役であるが、租は重労働 15 日、庸は同じく 20 日、調は同じく 15 日、徭役は軽労働 40 日(正しくは 40 日未満)、合計 90 日であり、一年を360 日とすればその四分の一に当たる。但し軽労働を半分として計算すれば合計 70 日となり、一年の5分の1弱となる。官有の隷属民のうち雑戸は、州県の戸貫を有しながら諸司に配せられ、駆使に充てられるものであるが、二年五番、一番ひと月であるから二年に約百五十日、一年約 75 日となる。

相似た徭役労働でありながら、良民の課戸と、賤民の雑戸・官戸との根本的な差違は、良民の場合は婦女に役がなく、賤民の場合は婦女も番役に上らねばならなかった点にある。
男子が畑で野菜を作り、女子は厨饍に入って料理にあたるとは、単にその代表的な労働を挙げただけで、要するに男子は戸外労働、女子は家内労働を主としたことを言ったのである。
唐律においてくどくどしく部曲と奴婢との差別を意識するのは、それが社会的の通念として両者の間に大なる逕庭(ケイテイ)が存在していたためではないか。もし犯罪を犯して律によって裁判される特殊な場合でさえなけば、部曲と奴婢との間にだ殆んど差別がないというならば、それでは法律のために法律が存在するようなものではないか。これだけの区別を強調するには、両者がおかれた社会的環境に相当大なる差別があったと見なければならぬ。そして社会的環境の差別とは、言いかえれば経済的条件でなければならぬ。それはあたかも官戸が官奴婢と差別される前提となった徭役(ヨウエキ)日数の差異の如きものであるべきである。
部曲と官戸と対応せしむることにより、また前代屯田収入の配分などと考えあわせ、部曲の徭役(ヨウエキ)日数を 180 乃至 240 日と推測できればとかんがえる。年間の半分、乃至3分の2である。ということは、彼等は荘園内において自己の耕作地を与えられ、自己の労働で耕作してこれを自己の所得分とする外に、荘園主の直属地において無償の労役に服することを意味する。

さらに、主家はその部曲に、2分の1、ないし3分の1労働力に適当なる生産手段、主として土地を貸与し、その生産によって家系を維持せしめ、残る大部分の3分の2労働力を主家の徭役に徴発し、無償の労働に服せしめることより外には考えられぬ。

官奴婢と番戸・雑戸の徭役の差異は、その衣糧支給の規定の上によく現れている。奴婢の場合は官より衣糧を供給して生活せしめる…。

官奴婢は 16 歳以上は長上として無償の労働に服する代わりに、その生活の資は全部を官に仰ぐものである。但しこれを衣食とは称しないで、制度上には衣糧と称する。ところが番戸・雑戸の場合はそうでなかったのである。前述のように彼等は番上するのであるが、官の都合によって、これを留めて長上させることもできる。その際にはやはり衣糧を給するが、衣のほうは奴婢と同様である…。
なんとなれば番戸・雑戸は自己の余暇労働によって口分田を耕し、自己と家族との生計を立てねばならぬ。衣・糧は本来何れも官から支給されない。そこでもし丁口が年間 360 日のうち、番上義務期間90 日を差し引き、二百七十日分だけの糧の支給を受けるとすれば、それは合計9石4斗5升にすぎない。奴婢が一年を通じ7石2斗を受けるのと殆んど大差がない。奴婢は家族があった場合、中口・小口まで支給を受けるのに、番戸・雑戸にはそれがないから、反って奴婢よりも不利益になってしまう。おそらくそのような不合理はなかったであろう。ところでもし年間を通じて受けるとすれば計12石6斗となり、奴婢の2倍近くになって、これなら理屈にも計算にも合うのである。

番戸・雑戸が留めて長上せしめられた場合は衣をも奴婢に準じて給せられるのであるが、この際の衣糧は棒給もしくは賃金のような性質を帯びることを注意したい。即ち奴婢の場合は、丁口から小口にいたるまで各人が、生活の資を与えられるので、いわゆるぎりぎりの生活給であるが、諸戸の場合にはその一家の代表者が労働によって代償を与えられ、それによって家族の生活を支えるからである。

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