見出し画像

ガルブレイスの著作、大暴落 1929 を読んで、暴落時の株式市場を考える。その一…。

当記事は、ジョン・ケネス・ガルブレイス ジョン・ケネス・ガルブレイス - Wikipedia の著作, 大暴落 1929 ,  第5章 大暴落 The Crash p 147 ~ , を、読んで行こうというものです。すでにこの作品を精読している方には、あまり意味のない投稿にはなります…。
この書籍は、村井章子氏の翻訳であります。上智大から商社に進まれ、その後翻訳家として独立されたかたです。ウェブでも紹介ページがあります。
ともあれ、ガルブレイスの当著作は、株式市場大暴落のシーン(1929 年 10 月株価暴落, 世界恐慌 世界恐慌 - Wikipedia の引き金…)について、かなりドラマティックな描写をしていますね。純粋に、株式市場崩壊としての、世界恐慌の引き金として見た場合に参考になる書籍にはなります。
では、読んで行きましょう…。

1929 年の秋までにアメリカはすでに不況になっていたというのが通説になっている。6月には鉱工業生産指数と工場生産指数がともにピークを打ち、下降に転じた。連邦準備理事会(FRB)が発表する鉱工業生産指数は、6月には 126 だったが、10 月には 117 にとどまっている。鉄鋼生産高も6月をピークに減少に転じ、10 月には貨物輸送量が減少を記録。景気動向にきわめて敏感な住宅建設は、数年前から低迷が続いていたが、29 年には一段と落ち込んだ。そして最後に株価が下落したのである。当時の景気動向を調べたある気鋭の学者は、株価の急落は「産業にすでに現れていた変化を反映したものと言える」と述べた。この見方に従うなら、株式市場とは所詮鏡にすぎないことになる。
この場合で言えば、経済の基礎的条件いわゆるファンダメンタルズを市場は遅ればせながら映し出したということだ。つまり原因は経済で結果が株式市場なのであって、決して逆ではない。1929 年には経済が後退局面に向かっており、それが最終的に株価に手荒く反映されただけだ、ということになる…。

権威ある人物の権威ある発言が必要だった。所得と雇用は減少しないと繰り返し明言する。できるだけ多くの大物が、できるだけはっきりと。そして彼らはそれをやった。曰く、株式市場なぞあぶくのようなものである。経済の実体は生産であり、雇用であり、支出であって、それらは株価などには影響されない。云々。ほんとにそうだと確信していた人はいない。だが経済政策の一手段として口先効果を狙うからには、疑ったり迷ったりしている場合ではなかった…。

深刻な不況の襲来に市場が突如気づいたから暴落が起きたと一部で言われているが、決してそうではない。株価が下がってきた時点では、程度を問わずどんな不況も予想できていなかった。ただし、指標の悪化に投機筋が敏感に反応して売りに転じ、その結果、いずれ破裂する運命だったバブルがはじけたという可能性はある…。

市場に対する信頼感を揺るがすような出来事が何か起きさえすれば、儲けるだけ儲けて決定的な崩壊前に逃げ出す腹づもりだった投機筋は売り急ぐ。株価は永久に上がると信じていた無邪気な一般投資家にもそれが伝染し、一気に売りに回る。こうなるとすぐに追証が必要な事態となり、払いきれずに売らざるを得ない投資家が続出。かくてバブルは崩壊する、という次第である…。

市場に対する信頼感は、一気に崩れたわけではない。すでに述べたように、9月から10月にかけて、基調としては市場は下向きだったが、ときに上向く日もあった。出来高は大きく、ニューヨーク証券取引所ではほぼ毎日 400 万株の取引があり、500 万を超える日も珍しくなかった。9月の新株発行額は8月を上まわり、いずれも公募価格以上の値が付いている…。

10 月 20 日日曜日の新聞に掲載された記事の内、その後すっかりおなじみになったものが三つある、一つは追証である。(【株式投資の基本】「追証」とは? 追加証拠金の仕組みや対処法を解説 - BMR に詳細あり。著作権については、何卒、ご容赦ください…。)土曜日の取引終了後にはかなりの追証請求が行われた。これはつまり、信用取引で買った株が大幅に値下がりし、借入金の担保として不十分になった結果、投資家が追加の保証金を要求されたことを意味する。
他の二つはもう少し安心できるものだった。一つは「最悪の事態は過ぎた」という表現である。もう一つは「組織的な買い支え」である。
「組織的買い支え」という言葉には魔法の効き目があった。こんな言葉がほかにあるだろうか。組織的買い支えとは、資金力のある誰かが組織的に買いに回り株価を妥当な水準に維持してくれることだ、と皆が了解していた…。

10 月21 日月曜日はさんざんな日だった。出来高は史上三番目の 609 万 1870 株に達し、そのときになって国中のあちこちで市場を注視していた大勢の人々は、ひどく悩ましいことに気づく―何が起きているか知る手だてがない。それまでにも大商いの日に株価速報が遅れ、市場が閉まってからだいぶ経つまでいくら儲かったのかわからないことはあった。だがそれはいつも上げ相場のときであって、下げ相場でそうしたことは滅多になかった…。
だから多くの人は初めて、自分が大損を被りひょっとすると回復不能かもしれないというのにそれがわからない、という事態に直面したのだった…。
多くの人が、今回もこれまで何度もあった一時的な調整局面に過ぎないのだと片付けようとした…。

そして 23 日の水曜日が来る。この日になるとせっかくの大物の声援もだいぶ効力が薄れ、市場は回復するどころか大幅に下げた。寄り付きは平穏だったが、昼近くになって自動車部品メーカーの株が大量に売られたのをきっかけに、金銘柄の取引が激しくなる。そして大引け直前には出来高が驚異的に膨らんだ。わずか一時間の間に、それも急速に値を下げる中、260 万株が取り引きされたのである。タイムズ平均は 415 から 384 ドルに下落し、6月末の水準まで一気に戻ってしまった。ATT は 15 ドル、GE は 20 ドル、ウェスティングハウスは 25 ドル、J・I・ケースは 46 ドル下げと、いずれも大幅下落である。
取引が進むにつれて追証が次々に請求され、払えなければ株を売るしかなくなった…。追証の請求額は過去最高の額に上がった。

ここから先は

2,620字

¥ 100

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?