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日野開三郎博士による北宋、見銭交引研究についての小察…。その一…。

一連の投稿につづいて、わたしの尊敬する中国史家、日野開三郎博士 "日野開三郎 - Wikipedia " の、東洋史学論集第7巻, 第一部 二, 北宋時代の手形 '見銭交引' について論じて~、より、要約引用を交え、日野博士のおこなった、北宋期における、銭引すなわち「見銭交引」について、考えていきたいと思います。上記に沿った記事にはなります。飛銭 - Wikipedia というするどい wikipedia の指摘もあり、もはや交子交鈔程度の把握では、奥深いものとは、言えません…。自論ですが、交引発生時期について上記 wikipedia の飛銭のページの実証性がたかいのであれば、日野博士も相当満足でありましょう…。

 北宋時代の手形「見銭交引」を論じて紙幣「銭引」の起源に及ぶ, 日野博士東洋史学論集第7巻, 第一部 二, よりの要約・引用でございます…。
  
宋代の紙幣は民間金融業者の発行せる手形より発達したものと、政府の発行せる手形より発達したものとがありました。交子・会子などは前者に属し、公據・関子およびここに述べんとする銭引などは後者に属すると解かれます…。
 手形「見銭交引」の研究についてです…。 
紙幣「銭引」の源流となれる政府発行の手形は見銭交引と称せられるものでありました。そこで該当章ではもっぱら手形「見銭交引」の研究が行われます…。
見銭交引研究の史料について…。見銭交引の発行制度など…。
見銭交引は政府発行の手形として財政と密接なる関係を有し、その発行規定も主として財政運用の立場に基づき、したがって見銭交引の発行制度は複雑なる財政組織に絡んでその考察はすこぶる面倒なのであるが、本稿の基礎ともなるべき部分なので労を厭わず詳究すると、日野氏は続けられます…。
見銭交引の語義について。
見銭交引は一見してあきらかなるごとく見銭と交引との両語の結合によって形成せられた語であるとのこと。見銭は今日の現金・現銀なる語に相当するとのこと。見は現で、これを見銭と称したのは当時の主貨幣が金銀ではなく銅銭であったからであるとのこと。つぎに交引の意味であるが、この語はさらに交と引とに分けて考察しなければならないとされます…。
引が文引と熟して書券をさす意味に用いられていたことはすでに知られているところであるとのこと。つぎに交の意味であるが、突合せるという意味の用法であるという、と、日野氏は指摘します。したがって交引は突合をなす書券の意味であるとのこと。
見銭交引は後に述べる如くこれを政府に提出して見銭と引換えていた証券であります。この見銭交引を政府に提出したものは誰でもその額面通りの銭額を支払われたのであるとのこと。したがって見銭交引はその実際上より見て政府発行の見銭支払約束証券でありました。而してこの支払約束証券を交引、すなわち突き合せる証券なる意味の語で読んだのは見銭交引にさいしてその証券の真偽を確かめるために台帳との突き合せが行なわれたためと解させられます。されば交引には元来支払の意味はないとしても、見銭交引と熟する場合においては突合せを行い真偽を確かめて見銭を支払う証券、約して見銭支払約束証券たるの意味を加味していたのであるとのこと。交引には見銭交引のほかにも塩交引・茶交引・礬(バン ハン)交引・香藥交引などが発行せられたが、これらはいずれも塩・茶・礬・香薬の支払約束証券であり、これを政府に提示せるものはそれぞれ塩・茶などを支払われたのであると解かれます…。

成都血脉中流淌的金融基因:1000年前诞生世界首张纸币 37年前发行新中国首只股票 | 每经网 というページに、銭引の初現らしきイメージがあります。マア、イメージは安全にダウンロードできないみたいです…。

至って、日野氏の本説でございますので、ここらへんから、有料エリアでおねがいいたします…。

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