HER2陽性乳がんはなぜ脳転移が多いのか?
私が乳がんを始めたころはHER2陽性乳がんはその進行の速さと、転移のしやすさから、治癒が困難で、多くの患者さんが抗がん剤に苦しみ、そして命を奪われてきました。
(手術をしてもあまりに予後が悪いので内心HER2タイプは手術は必要ないでしょ )と若手だったころの外科医の私は思っていました。それほど悲惨なタイプでした。手術して3か月で命を落とすということが普通でした。HER2タイプの人の主治医にはなりたくなかったのを覚えています。
しかし、HER2陽性乳がんは、HER2陽性であるがゆえに、これを“標的”とした薬剤が次々と開発されました。
ハーセプチン🄬(トラスツヅマブ)の大成功をはじめ、パージェタ@(ペルツヅマブ)、タイケルブ@(ラパチニブ)、カドサイラ@(トラスツズマブ エムタンシン)、エンハーツ@(トラスツズマブ デルクステカン)と、さまざまな薬剤が開発されました。
そしてそれが期待通りの強い抗腫瘍効果があったため、“薬で治る乳がん”として(今はHER2タイプでよかったですね)と言われるほど予後が改善しています。
薬で治せるようになれば、早期がんだろうが、進行がんだろうが、関係なくなります。どこにどのように存在しても、薬で消えてしまうのであれば、関係ないからです。そして進行して発見されたHER2陽性乳がんは、それでも治せるという期待が持てるがんとなり、その通りの成績を残してきました。手術も要らないのではないかと言われています。
このころハーセプチンで治療したHER2陽性乳がんは脳転移しやすい、という噂が立ちました。
この噂のからくりを説明します。
HER2を標的とするハーセプチン等の薬剤は分子量が大きいという特徴があります。普通の薬をパチンコ玉(タモキシフェン 約564)だとしたら、分子標的薬剤はバスケットボールくらい(分子量, 148,000)の大きさがあるのです。
脳は他の臓器と異なり、血液から“守られて”います。脳は血液から栄養や酸素を大量にもらうのですが、特別なバリア(BBB ブラッドーブレインーバリアといいます)によって、たとえばどこかから血液の中に細菌や毒が入っても、簡単に脳には届かないように守られているのです。
そして分子量が大きいハーセプチン等の薬剤はこのバリアが突破できないため、脳に転移した乳がんには届きにくいのです。
このため、リンパ節をはじめ、ほとんどの転移したがん細胞が死滅してしまったのに、脳に転移したがん細胞にだけは薬の効果がなく、生き残り、それだけがのちに脳転移として出現来るのです。
ハーセプチンの効果が素晴らしかったため脳転移のみ目立ってしまったのです。