姫乃いつき 撮影記録~標準域というか~
2023.9.2。
東北ポートレート主催の撮影会にて、姫乃いつきさんを撮影しました。
この時は、カメラ二台を使って撮影。特に意味があったわけではなくて、とても古いデジタルカメラ(コンパクトデジタルカメラではない)を、そう言えばこの頃使ってなかったな、という程度のことで。
好きというか、扱いやすいレンズ焦点距離は、イワユル標準域。
と言っても、私の場合、24mmから50mmが私の中では、標準。24mmが広角と感じないのは、寄りで撮ることが多いからだと思う。
一つの基準として、学校の教室全体が撮れるかどうか。撮れれば広角域、撮れなければ標準。24mmは、だいぶおしいのだけど、ハイアングルでも欠けてしまう。
全然話は違うが、昨今、おじぽが呟かれていて、なんで?なんて思ったり、確かにとも感じたり。単におじが撮っているということなのかと思っていたら、どうも定義?があるらしく、35mmでは、おじぽにならないようだが・・・、極端なことを言えば、35mmでもおじぽのような写真は撮れるわけで。
どういう理由でそういう概念が飛び交うようになったのか、分からないのですが、あ、そういえば、という推論が頭をよぎったのですよ。
35mm問題というのが、そういえば呟かれていたなぁ・・・。
あれって、いわゆるおじぽ概念で撮られたいということ、だったよな。
その言い分は、カメラやっている人なら、当然というか常識というか、なので分からないでもないけど、レンズによってはそんなに歪まないものもあるし、撮り方では、印象が悪くならない場合もというか、悪くしようと思って撮っているの逆だったりするし。などと考えたりもしてしまう。いや、素直に中望遠以上で撮れば済むことなんですけどね。
と、考えてしまうことと、なんで今「おじぽ」?が、私の中で繋がってしまって・・・。多分、違うと思うけど。おじぽとわざわざ言わなくても、スタンダードな撮り方なんだからさ。とか言いながら、順光?の部分が、なんか腑に落ちていないのだが。
もともと、個人的に人を撮る場合、というか、人と同じぐらいの大きさの被写体の場合、中望遠はあまり使わないので、よく分からない。どうでもいいとも、言うかな。
35mmは、普段視ている画角よりは広い感じがすると思う。
ただ、視えていないと感じるのに、実際は、見えている部分が眼球にはあるし、その無意識部分も含めると、見た目に近いと私は感じているのかもしれない。いずれ、私には撮りやすい画角なのだ。
前にも書いたが、35mmは、ハイアングル、ローアングルが、被写体に寄って作りやすい。それは、24mmもそうなのだが。
つまりそれは、斜め上、下、横など、その場で撮りやすいということで、引きというより寄るを前提に、私はしているということなのだろう。
いつきさんの場合は、個人的に色々と話しながら撮りたいということも、大きな要因なのですけど。
別な日の撮影で、200mmで撮った時のもの。まさしく、おじぽ。
人通りが多かった、ちょうどピンスポットになる場所があった、などなど、珍しくレンズを着け替えたのでした。
これも当然なことで、全身をバランスよく撮るには、中望遠以上の方がまとめやすい。逆に、バストアップ以上の寄り写真は、標準域の画角でもまとめることは容易いし、アングルとかバリエーションで言うなら、標準域のほうに歩があると思う。
どちらが良いとかではなく、単に、得意不得意、適材適所、というだけのことで、おじぽだろうが35mm問題だろうが、撮り手の経験とか知識とか技術?とか、あと少しのセンス、というぐらいのことで、本当にすごいセンスの持ち主が撮ったなら、それこそどんなレンズだろうが状況だろうが環境だろうが、凄い写真が出てくるのですよ。
私は、正直中望遠は苦手なので、35mmばかりになってしまう。
中望遠を使う時は、お立ち台は持ち歩きます。
使うのは私のことが多いですが、姫乃さんに乗ってもらうのも、良いですね、そういえば。
今はスナップだから、35mmだけでも良いのかもしれない。
ストーリーに沿って撮るようになったら、場面場面で使うべき画角、レンズ、アングル、そういったものが必然的に決まってくる。
というか、それを撮るためだったのでは・・・。
そういうことで、風景、情景、スナップも、撮っていかなくては。