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【小説】翡翠 Hisui 第1章『睡郷(アンバーワールド)』読了時間10分

第1章  睡郷(アンバーワールド)


 家のかべに四角い風穴をうがち、嵐で破れないよう角材で補強する老夫婦の後すがたが、うっすらとよみがえってきた。

 すっかり年季が入り、木炭になり果てている角材の枠組みにうすくて丈夫なガラス板をはめこんだだけの窓がおぼろげに浮かびあがる。

 開くことも閉めることもできない、ちいさくて頼りない窓。

 朝になると屋根代わりの草木からほんのり生暖かいこもれびが差し、葉っぱの影が自室にちらついて目が覚めると、濡れぞうきんが腰にまとわりついていた。

 かぶれていて全身を手足でかきむしらずにはいられない。暑苦しいトレーナーを脱ぎすて、パジャマの上からごわごわな枕でかゆみをけずりとる。

 肌を腐らす濡れぞうきんをはいでやろうと腕をクロスして、ねじれたタンクトップを床に叩きつける。布団のしめりけが下着にしみこんでいて足元で水風船の割れる音がした。

 起きあがろうとして敷布団を尻で押す。汚水があふれてきてヒヤッとした。

 昨晩のゲリラ豪雨は、樹木の傘が家を守り、雨水を受けながしてくれた。が、ためきれなかった地面が深い水たまりをうみだし、家の中まで浸水してきたのだろう。毎月のことだ。亡くなった祖母の家を借りているから仕方がなかった。

 小窓から外をのぞくとガレージから車がはみだして停まっていた。目のピントが合い車種がわかる。黒光りのリムジンだ。くもり空が風に運ばれてゆく様子がボンネットを通してみることができた。

 何度みても新鮮で飽きない、幽玄を感じるグレイッシュな大豪邸だ。一流のエクステリアデザインをボロ家からタダ見することが祖父母のもくろみなのだろう。

 窓から一歩さがる。黒ずんだ家具も素朴な味わいがあって別のよさがある。劣っていない。

 机のふちをなでると指に炭の粉がつくが気にしない。濃い黒鉛筆で家具全面を塗りたくれば、高級外車にも負けない黒光りを放つ。ななめから照らせば銀色に、垂直に照らせば白めく。

 昭和レトロなデザインをながめていると、いままでの人生がすべてセピアの淡い褐色に染まってくる。後悔もだんだんと色あせてきて和やかになり、やがてココロが落ちつく。

 反対に、高級ブランドの商品をながめていると、手にした瞬間、これからの人生が華やぐだろうと未来ばかり考える。先の見えない未来が極彩色に染まってきて、ココロが落ちつかなくなる。

 また大声で独り言をしていた。一瞬ひらめいた考察を自分に話しきかせて、一生ものにするために行っているだけで、人前では決してやらないが家族は別だ。

 着がえを持っていって、カギ閉めてトイレにこもる。

 扉のウラで廊下がきしむ。足音のテンポで姉だと勘づいた。せまい個室でジーパンに足をとおす。ヒートテック、長シャツ、亜麻色のセーターをかさね着して、自室にもどる。

 負け犬の遠吠えに耳を貸したとき、世界平和の夢が叶うというのに。なにゆえ人類は滅びたがるのだ、と格言めいた独り言を垂らしながら窓の外を見る。

 扉のひらく音がした。マダムが足をひきずって出てくる。相棒のダックスフントが手足で草花をかきまわし、マダムの散歩にでかけるようだ。

 こっわ、「わ」の声で肩がはねて、声した方向に首がむく。姉の渦月が布団に座っていた。

なにその、よげーん。

「うづき、相変わらずギャルギャルしてるな。頭のハネ、アートな寝ぐせなんだかね、巻き髪なんだか」

それとさあ、さっきから。

「はいはいわかりました」

 わたしばっかみないでくれる。窓越しにわたしのこと、みてたでしょ、ったく。

「自意識過剰痛み入ります」

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