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菩提樹の下で
ブッダが菩提樹の樹の下で「悪魔よ去れ」と言っている。それは人の魂というような光の粒が、眼に見えるものや眼に見えないもの、または何か自分の内部から生まれてきているような感じがする感情も、感覚も、どれもが光の粒との関係性で生まれて来た相対的で、反射によって映ったモノで。「私」と何気なく言っている「光の粒」の認識が消えた時点で、消えてしまうモノなのだと言っている。
「悪魔よ去れ」と言っている。
「光の粒」と相対的に関係性的に生まれてくる、「不安」や「ウキウキ・ワクワク」などきりがないほど沢山ある重く暗かったり、軽く明るい感覚(それこそ相対的に抱かせる何か)も、「光の粒」である「私」では無く、しかし確かに「光の粒」との相対によって確かに生まれたモノである。そしてそれと「私」はどんなに密着しているように感じても、やはり相対的に生まれたもの。だから「私」ではない。
だから「悪魔よ去れ」と言っている。
確かに生まれた感覚、感情、目の前の世界、見えない世界は、私に「何をしますか?」と聞いている。「あなたが在り、私が生まれた。選択はあなたの自由です。」と言っている。
ブッダは菩提樹の樹の下で「悪魔よ去れ」と言い。
彼は「私」という「光の粒」と相対的に生まれたものに対し、全てに「・・・・する。」という行動を決定したのだ。
世界の全てをありのまま肯定して。
「私」が在るから生まれた幻想なのだと理解して。
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