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アスファル漬けぶっかけ飯

昔からそうだった。落ちた食べ物を食べるとみんなから「ウワァ…」という音が出る。周りはちいかわでいっぱいだ。


 てやんでい、こんばんは。皆さんの周りに落ちた食べ物を食べる人は居ますか?野生の兎よりレアかもしれません。きっとほとんどの人が落ちた物は避けて三角コーナーに捨てると思います。

兎にも角にも僕は落ちたものを食べる生き物です。



一般的に落ちた食べ物を食べる行為がキモい事汚い事なのは十分に解っています。ですが僕は歯向かいたい。が、意地で食べているわけでは無い。
お皿が床になっただけだと考えている。もちろんスープや飲み物となると救いようがないが、ポテトやベーコン、おにぎりカプリコ等。固形物ならついた砂利はフーしてしまえばいい、ついたバイ菌は胃酸がどうにかしてくれるはずだ。つまりは無敵だ最強だ!なんて戯言は聞き流してもらって良い。

問題は僕の頭とみんなの固定された意識だ。

僕の頭はすこし変わっていると思う、汚いに対してうといのだ。きっとちゃんと説明書を読んでないんだと思う。

みんなは小さい頃から落ちたものを拾って食べるなと言われてきた。ダメな事だと教わり、汚い事だと知った。ので、それに反する人のことは汚い、ダメ、食べるなと指摘、拒絶、軽蔑する。

「株式会社 意識」の工場でライン作業者としてみんなが働いているとしよう。
ベルトコンベアに乗せられた「汚い」という製品をみんなは心という箱に詰めて口という場所に運ばれて、声で出荷する。

みんなはいつからこの「汚い」という製品に対する作業が流れるようにできるようになったのか。それは無意識のうちに周りの人達の作業を目で見て真似をしてできるようになっただけなんです。

仮に「株式会社 意識」の工場長が落ちた食べ物を平然と食べる人だったらみんなはどうなってると思いますか?
きっと工場長が食べてるなら僕私も食べると感化されると思うんです。工場の先輩が食べてるから別に変じゃないと感じるはずです。

ですから僕が考えるに、人生の中で大半の人達が落ちたものは汚いから食べるな。と言っているからそれに感化して自分も汚いから食べるな。と言ってしまうだけなんだと思う。


それで、感覚的に汚いを消せたとして、床に落ちた食べ物は物理的に汚い問題を解決しようと思う。

砂場の上に落ちたおにぎりは砂まみれだ、皆無だ。アスファルトの上に落ちたおにぎりは小石がつく程度だ、取れば問題無し。フローリングに落ちたおにぎりはせいぜい見えないほこりやダニの死骸がつく程度だろう、見えない、問題無し。

流石に汚レベルがある。汚レベル100はドブだ、1はお店のテーブルかな。
たまにお皿からテーブルに落ちただけでそれを除ける人が居る。きっと貴族か潔癖症なんだろう。床に落ちたベーコンを貪り食う僕をみたらきっと動物と勘違いするだろう。ソフトクリームが落ちてもてっぺんは啜り祭ると思う。一種のヒューマンビートボックスと捉えても良い。むしろ乙である。

アスファルトに落ちた物が汚いと思うのは、その地面に犬のションベンがかかったかもしれない。その場所に鳥のフンが落ちたかもしれない、もしくは糞を踏んだ靴が乱歩した場所かもしれない。と仮説で汚いんじゃないかと勘違いしている。たしかにその確率は0じゃないので否定はしないのだが、うるさいと思う。雨降れば洗われる、雷が落ちれば殺菌される。鳥が歩けば可愛いし犬も歩けば可愛い。こっちの仮説の方が強いんだ!!なんて戯言は聞き流してもらっていい。

無論。地面は汚いと思う、流石に。

結局の所この落ちた食べ物を食べて、みんなにウワァとキタナイ、ヤバ。と言われ僕は何を感じて何を思って、何を言われたいのかを考えた。

まず一つ、共通意識として「落ちたものは汚い」という意識は剥がされないモノだと僕が理解している以上そこに不満もなにも無い。
そして二つ、落ちたものは汚く無いよ〜みんなも食べようよ〜。なんてことは思っていない、強制や勧誘も布教もなにもしない。そんなの個々の自由で良い。
最後に三つ、落ちた物を食べて「偉い」「すごい」なんて褒めて欲しいとも思っていない。いつも通りキモい汚いクサイと思っていい。ていうか笑ってくれれば良いと思う。正直いうとみんなに笑って欲しいのが本心だと思う。

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