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限りある今の過ごし方

                              人間 越

「誰もが等しく享受して消費しているのに、底が尽きないもの、なんだ?」
「……何だ、いきなり」
 突然の問いかけ。声の方向に顔を向けると思わず顔をしかめた。
 吹き込んだ風がカーテンを押し上げ、窓から注ぐ太陽の光が僕の顔目掛け押し寄せてきたのだ。
「うーわ、不機嫌そうな顔。そんなに私に話しかけられるのが嫌?」
 そしてそんな僕の表情を見たらしい問いの主――唯原悠美は不満げな声を上げる。
「違うよ」
 僕はそれを否定する。不機嫌なわけじゃない。
 何せ僕はずっと伏せていたのだ。暗い中にいたのだからいきなり太陽光と対面させられて、目を見開けという方が無理な話である。
「ふーん。流石はケッペキ君だね」
「……その呼び名はやめろ」
 唯原の口を付いたその言葉に今度こそ僕は顔をしかめた。
 ケッペキ君。それは僕のあだ名である。
 僕の名前は欠壁悠太。『カケカベ』悠太、である。
 しかし苗字を読み代えてケッペキ。
 だがそうなったのは、そう読み代えられるからという理由だけはない。
 きっかけは高校入学して間もない頃の話である。
 僕はとあるクラスメイトの女の子を泣かせてしまった。別にその時にその子を泣かせようという意図があったわけじゃない。まあ、全く苛立ちを覚えていなかったかと言えば嘘になるが。
 その子というのがいわゆるギャルであり、どちらかと言えば寡黙で真面目、堅い僕とはあまり話の合わないように思えるタイプだった。事実、僕はその子とはその泣かせてしまう事件まで一度も喋ったことは無かったのだ。
 初めてその時に、その子が偶然話を振って来た。どんな内容だったか思い出せないが、大した話題じゃなかったのだろう、僕は曖昧に肯定寄りな返しをした。本当に意味など無かった。
 しかし僕の返事は何かしらがその子の気に食わなかったようで掘り下げられたのだ。
 少しを会話続けると、流石に僕が理解していないのが如実に現れてきた。だから僕は意味の分からなかった、後から知ったいわゆるギャル語の意味を聞いたのである。
 その意味からなんでその意味を持つのか。
 結果から言うと、その子はギャル語の意味は知っていてもその理由は知らなかった。
 もちろん、意味さえ知っておけば問題はない。意味も知らずにその言葉を使うことが問題だ。いや、どうして意味の分からない言葉を使えるかは知らないが、実際にそういう人間はいる。見栄だったり、集団からはぐれない為に使うのだろう。まあ、僕の曖昧な返事も似たようなものだ。
 そう、問題はないのだが、その時の僕は意味を問いただした。何故、その言葉が普通に考えて結び付き得ないその意味を持つのか。そのことにある種の理不尽を覚えたからだ。
 そしてその一件の後、付いたあだ名がケッペキ君。
 苗字の当て字だけでなく、僕の悪い目つきや眼鏡をかけていること、さらにはきっちりと着こなした制服などの容姿が理由となった。
 さて、ここまで話しておいてなんだが、そんなあだ名の由来なんて今はどうでも良く、唯原の問いに少し頭を働かせてみる。
 誰もが等しく享受し、消費しているのに、底がつきないもの……。
 はて、空気とかか?
「答えは、『今』」
 したり顔で答えを明かす唯原。
「……おう」
「現在。つまりナウよ」
 そして僕の曖昧な返事を理解できてないと解釈したらしい唯原はそう付け加える。
「分かった、分かった。なんで英語にしたんだよ」
「どう?」
 そう問われる。
 唯原は何かと点数を求めてくるきらいがある。なぞなぞだったり、クイズだったり、ダジャレだったり。
 僕がとりわけセンスがいい、という訳ではないのだけど。
 しかしながら僕の答えは決まって辛口だ。
「5点」
「やった満点じゃん」
「いや違うけど」
「なんだ、6点満点か」
「惜しくも一点足らずでもないから」
「じゃあ7点満点?」
「その刻みで行くと長くなるなー」
「ええ、それは困るよ。こうしている間にも今は流れ続けていくんだよ?」
 唯原が悲鳴を上げる。
 全くそんなこと思ってもないだろうに。十中八九、話を逸らすための布石だろう。
 この唯原の困ったところは、採点を求めておきながら、その理由を聞かないところだ。それじゃあ、採点した意味がない。
「はい、矛盾だ」
「へ?」
 しかしながら、今回の布石は甘い。
 話を逸らすための1手目だから、話題は何かしら関連あるところに。そうして段々と別の話題にシフトするのが話題を逸らす正攻法だ。或いは、『あ、あそこにUFOが』と現実に起こった変化なんかを盛り込むのも手ではあるが。
 そして唯原が選んだのは点数の話題から僕が解説に移るのを防ぐための話題転換だったようだが、その布石の位置が甘い。
 そこからなら僕は解説に入れる。
 なんて内心ほくそ笑むが、ケッペキ君、なんて言われるのはそういうところなんだろう。細かい、口うるさい、キモイ、の3Kなのだ。いや、誰がキモイか。
「底が尽きないんだったら別に浪費を嘆くことないだろ」
「…………」
 黙る唯原。僕はさらに捲し立てる。
「底が尽きなかったのはこれまで、尽きなかっただけだ。そんなこれまでだけで測れるんだったら、石油やらの天然資源だって底が尽きないってことになるだろ?」
「……えっと」
「でもそれは違うよな? 資源には限りがある。いや世の中に無限のものなんてない。それはあくまで人の目にはそう見えるだけの話だ。だから、時間に終わりはある。ただ偶然、時間が量として見えないから分かりづらいだけで」
「……その」
「それを踏まえた上で、底が尽きないかどうか考えたらどうだ? 底が尽きないなんて言えるか?」
「ねえ」
「なんだ?」
「……その、さっきから何の話をしてるの?」
「…………」
 真顔で問いかけえてくる唯原にしばし、思考停止する。
「ハァァァァァァ!?」
「うわ、びっくりした! 何なに、いきなり大きな声出して」
「いや、だってお前、お前! お前が出したなぞなぞの穴を指摘してだな……」
「え? なぞなぞ? ……あ、ああ!」
 少し置いてはっとする唯原。
 いやいやいやいや。
 それはおかしいだろ。うん、おかしい。おかしい、よな?
「なんだ、ずっとそのことについて説明してたの? 真面目過ぎない? うん、真面目ってか、もうキモイ」
「誰がキモイか!」
「よ、ケッペキ君!」
「……っ」
 そういうところが、僕がケッペキ君たる由縁ではないか。先ほど同じ結論に達したがために強く言い返せなかった。いや反論したいのは山々だけど、なんか反論するのは、こう、クレバーじゃない気がした。
「あれ、否定しないの?」
「……ふ、ふん。まあいい。なんて言うか、すげえ労力を無駄にした気分だ。これ以上、付き合ってられん」
「その台詞……」
「? なんだ?」
 椅子から立ち上がり廊下に出ようとしたら、不意にそう言葉を切られつい振り向く。
「なんかすごい負け犬っぽいね!」
 いい笑顔でサムズアップするな!
「しばくぞ、お前! ……い、いつかな!」
「いつかって。なんてヘタレな」
 嘲笑を通り越して憐みすらニュアンスに滲ませる唯原。それを背に僕は教室を出た。
 昼休みはあと10分。
 窓に浮かんだ自分を見て、ふと思った。
 もし、時間が有限だと分かっているのなら。
 僕はどうしてこんなくだらないやり取りに時間を浪費したのだろうか。
 何かなりたいものや、成し遂げたいことがあるのではないか。
 先ほどまでの時間、通り過ぎて行った『今』は、そのための努力や研鑽に当てられたかもしれない『今』だったのでないか。
「……いやいやまさかな」
 そこまで考えてかぶりを振る。
「だって別に穴があってもいいじゃんかな。なぞなぞなんだし」
 フライパンはどう足掻いてもやはりパンではないのだ。
 とはいえ、口に出した理由はフェイクである。誰に見られてるわけでもないのに。とはいえ、誰に見らえてるわけでもないのに取り繕う不自然があれば、その逆も然り、だ。
 内心で思っただけの事なのに、どうにも気恥ずかしさが伴い、とてもじゃないが直視できそうにない。
 あのくだらない時間を、大切だと思っていたなんて。
「まあ、なんだ……」
 一人呟く。
 しかしまあ、なぞなぞであるからその論理に欠陥があるのは仕方がない。ご愛嬌だ。それを受け止められないのは懐が小さすぎるというもの。それを正すだけでもきっちりと告げる価値はある、だろう。
 それだけでなく唯原との会話には、純粋に有限な『今』を費やすに値する価値があるのだから。
 兎にも角にも、唯原と言葉を交わす必要はあるらしい。そう考えると心なしか気分が上がった。
 用を足すとスキップ、するくらいの気持ちで急ぎ教室に戻った。
 するとそこには陽光を背に、にやりと笑う唯原の姿が。
「あ、戻って来た」
「おう。何、ちょっと催しただけだ」
「あっそ……それで考えたんだけど」
「ん?」
「やっぱり『今』は有限じゃないよ。有限なのは『私たちが享受し、消費できる分』だけの『今』。きっと将来、私たちが死んだ後も子々孫々と『今』は出来て、そして通り過ぎていく。人類が滅んだその後にだって、きっと『今』は過ぎていくんだよ」
「……はあ。それはやけにスケールの大きな話で」
「いやさっきいきなり地球資源の話まで飛躍させたのはそっちでしょ」
「それよりもでかいだろ。人類が滅んだ後の話なんて」
「で、まだ文句ある?」
 唯原はそう言う。
 その様子にふと気が付いた。
 実は唯原は僕の反論をしっかり聞いていて、それを覆すために僕が席を空けている間、いろいろと頭をこねくり回していたのではないか、と。
「……ふふっ」
 そう思うと何か笑えてきた。
「なんで笑うのよ……」
「いや、なんでも。うん、まあいいんじゃねえの? 特に反論もない。なぞなぞなんだし」
「へ? なぞなぞ、なの、これ?」
「え、違うのか?」
「うーん、クイズのつもりだったけど、まあ、なぞなぞでもいっか。同じようなものだし」
「それなら話は変わってくる!」
「へ?」
「クイズならダメだ! 解答者に不誠実すぎる。ちゃんと問題文に『私たちが』がないと」
「えー……それじゃあ露骨じゃない? 入れても変わらないでしょ」
「いや変わるだろ。てか、そうやって入ってたら僕は正解してたし」
「絶対嘘」
「嘘じゃないね」
「うーわ。正解できなかったのをこんなに根に持つなんて、女々しいすぎ。ケッペキ君というメメシ君」
「メメシ君てなんだ。もはや原型ないだろ」
「いいじゃん、あだ名なんだし」
「よくないだろ」
 続いていく会話。
 憎らしくもどこか、小気味の良い会話に。
 僕が価値を認めたこの『今』が続いていくのだとしたら、僕は。
「……せめてケッペキ君にしろ。それなら許す」
 ケッペキ君でも、まあ、いいか。……なんて。
「何言ってんの。許すも許さないも、ケッペキ君は覆らないし」
「よっしゃ、お前、表に出ろ。ケッペキらしく、けじめつけてやる」
「うーわ面倒だな……え、本当に出るの? いいよ、もう授業始まるし、一人で行きなよ。私ここで見てるから」
「いや一人で出てどうするんだよ。いいかケッペキだからしつこいぞ!」
「厄介になったな。ていうか、それってケッペキの範疇なの?」
「…………よし、その件に踏まえてもじっくり議論しよう」
「ああ、自爆した。ごめん撤回」
「拒否する! さあ、じっくりと話をしようか!」
 ケッペキにあやかって、この時間が長引くというのなら、その悪あがきに全力を費やすのも、吝かではない。
「さて、唯原!」
「勘弁してよ……」
 ひええ、と嫌そうな声を上げる唯原。しかし、表情までは嫌がっているように見えないのは、俺の気のせいだろうか。

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