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日の目をみない手記

                                                               姫都 九一

 三月十二日

 紙に文字を書くこと事態が久しぶりな気がする。左の一文書くのにも、かれこれ一時間ぐらいは脳んで脳んで脳み抜いた結果、何の面白みもないありふれた一文しか書けなかった。分かっているとは思うけど、俺は文章を書くのが苦手だ。最後に日記って名の付く物を書いたのは確か、中学校の学級日誌だった気がする。日直に担当された生徒が、今日一日のクラスメイトの態度とかそれについて自分はどう思ったかなんてのを、最低百文字は書かなきゃいけないっていうやつ。当時の俺はめんどくさがりつつも、結局文句いいながら日誌は書いていた。だけど今思えば、あれは何の意味があったんだ?だって学校で起こることなんて、大半が何でもない日常の連続じゃないか。体育祭とか音楽祭とか、テスト近くだったらそれなりにそれっぽいこと書いておけばいいんだけど。俺はそういう字数かせぎが出来る行事にうまくかみ合わなかったから、結局○○さんがどうたらこうたらなんてどうでもいいことを、水で薄めすぎたカルピスみたいな文を書いていた気がする。本当になんだったんだ、どうせ担任だってろくに読んでないだろ。・・・だめだ。書くことなんにもない。読書感想文とかも苦手なんだよな。本当に何にも思いつかないからここでやめる。


 三月十三日

 俺本当にだめだな。日記書くときって、どうして日記を書くのかみたいな理由を書くべきじゃないか。それがなんだ、今朝昨日書いた日記を読み返したら、やれ中学の日誌がどうだの書くこと無いからやめただの。読んでて恥ずかしくなってきた。あと読みにくい。確か文章を書く時って、段落を分けて書きなさいってめちゃくちゃ言われた気がする。それで読書感想文が一回やりなおしになったのを今思い出した。
 だめだだめだ!こういうのは意識して書かなきゃ忘れる!あとちゃんと記号を使わなきゃ感情が伝わらないってのも思い出した!
 こう!こうやって段落を分けるんだ!
 忘れないように三回ぐらい分けよう!
 もう一回!
 あと一回!
 これでいい!もう忘れないだろ!


 三月十四日

 俺ってほんとにだめだな!昨日何で日記を書くのかを書くって書いたばっかりなのに、もう忘れてる。今日はもうすぐに書くぞ!
 そうそう、こうやって段落を分ければ話が読みやすい。
 俺が日記を書こうと思ったのは、世界がそうしろって言ったからだ。
             ↑なんかこの文かっこよくないか! これからも使っていこう。
 三月一日かそのぐらい、人間が消滅する事件が起こった。
 最初は訳分かんなかった。ネットニュースで人間が消える映像みたけど、最初は安っぽいCGだと思った。だけどカメラのブレは激しかったし、周りの人間たちもワーだのキャーだの悲鳴あげてるもんだから、ネットの中でもガチがガセかで意見が分かれてた。
 それから映像に続くように、世界の色んなところで人間が消滅する映像がどんどんネットにあげられて、俺とかネットのやつらとか徐々に、おかしいぞって思ったんだ。それでも周りの意見はまだガセ派が多くて、CGアーティスト集団のゲリラ公開だとか最初の映像をまねた二番せんじだとかが言われてた。
 だけどそんな声も上がらなくなったのは、三月三日の日。
 テレビの特番かなんかで、芸人とアイドルがいるバラエティの生放送がやってた。ちょうどその時は屋外のロケの映像が映ってて、何人かの芸人と、その芸人よりもう少数の多い知らないアイドルタレントが、街ブラのロケをしてたんだ。俺はそのとき風邪だったから、他のやつらが学校行ってる間に休めてラッキーって思いながらテレビを見てた。
 ・・・今でも忘れられないな。まだ現実とは思えてない。
 テレビの向こうにいた芸人の一人が、白い光線か何かに包まれた。一秒もなかったけど、光がなくなった後、その芸人は後形も無く消えてたんだ。着ていた服とか、持ってたマイクとかもまとめて、始めっからそこに人なんていなかったかみたいに消えたんだ。
 イヤな記億を思い出した。でもそういうのも書かないと、日記じゃないんだろうな。
 芸人が消えた後、映像は少しだけ静かになって、それから悲鳴と恐怖が画面から聞こえてきた。アイドルたちとか他の芸人とか、ワイプに映ってたタレントの顔が一瞬凍り付いたあと、ロケの芸人グループがうるさくなるようくらいに叫んでた。正直、あの時叫んでた人間に中には、カメラマンとか、メイク係の人とかもいたんじゃないかって、今思いついた。だってカメラはブレてたし、音声は台風かよってぐらい風の音がうるさかったから。ガチの絶叫を聞いたのなんて、あれが初めてだ。気分が悪くなってくる。
 それからカメラはスタジオに切り替わった。スタジオのタレントたちも何が起きたのか分かってなかったのか、口を魚みたいにポカーンとあけてた。きっと俺だって同じ顔をしてたはず。
 それから俺はすぐにスマホで、俺と同じ番組を見てないかチェックした。案のじょうネット民たちもそう然としてて、内容のない記号とか意味ない文字がとんでもないスピードで更新されて。俺も同じ気持ちだったよ。見たところ一番多かった呟きは、えっ、だったはず。
 しばらくネットにかじりついていたけど、その内ネットの書きこみに映像が増えていった。内容はさっき書いたのと同じく、人が光に包まれて消えるやつ。
 あまりにも同じ内容の映像が流れてくるもんだから、俺はもうパニックになった。今なにが起こってるんだってドキドキしてた。
 だから俺は、自分のアカウントにツイートしたんだ。「今人消える映像めっちゃ流れて来るけど、なんのブーム?」って。
 そしたらすぐに俺のフォロワーから返信が来たんだ。「外見ろ」って。
 何でだと思って、俺は家の窓から外を見た。
 すぐ理解した。テレビで観たような白い光が、雨みたいに目の先で降っていたんだ!


 三月十五日

 昨日寝落ちしたから、続きを書いていこうと思う。
 とにかく、窓の外は雨みたいに光が降ってた。それだけならネット映えしそうな光景だと思ってた。だけど、そんな考えもすぐに消えたんだ。
 光が続々と降り続く中で、サイレンの音があちこちから聞こえてきた。その後で、車か何かがぶつかる重い音とか、グシャグシャ!みたいな心底うるさい音が聞こえてきた。音のした方向を見ると、ローカル線の電車が路線から外れて住宅地に転倒してた。
 何にも言えなかった。映画の撮影かと思ったし、それで納得しようとしてた。だから俺はそうであってくれって必死に心の中で折りながら、スマホでSNSを開いた。
 でも現実はひどかった。フォロワーとか適当なツイートは極端に減って、その代わり二分に一度○○市で人身事故だとか、死傷者何名だとか、定点カメラで光が無数に降る光景と、その光にのまれて人間が消滅する映像が秒速で更新されていった。
 光が人を消す。あり得ないだろ。でも実際にそうだから仕方がない。
 今は三月十五日の午後八時二十三分。
 どうして今の時刻を書いたかというと、今窓の向こうでソーラーが降ったからだ。夜になるとよく見えるソーラーの光は、また一人ミスっただれかが死んだことを表している。
 目を放したすきに何をどこまで書いてたか忘れた。だめだ、俺には集中力がないみたいだ。
 とにかく、三月三日は一日中スマホにかじりついて、更新されるソーラーの映像と推定の死傷者数をひたすら見てた。タイムラインに流れてくるフォロワーの呟きは、いつもみたいに馬鹿なことを言う人なんて一人もいなくて、ただ「今目の前で光った」「実家の母と連絡が取れない」「○○さん生きてますか?」とかばっかりになってた。
 今日はこれぐらいにする。眠いから。


 三月十八日

 なんだか書く気が起きなくて、三日ぐらいサボった。書き始めたころは一日一回は書こうって思ってたのに、結局はめんどくさくなって書かなくなった。でも三日は続いたから、三日ぼうずっていう表現は的を得ていたんだなと思った。
 さて何を書こうかとかれこれ五分は考えていたけど、今まで書いた日記を読み返すと、どうして日記を書くのかの答えに、世界がそうしろって言ったからって書いてて、思わずノートを投げた。何が世界がそうしろって言ったからだ。深夜テンションで変な文かいてるんじゃねぇよ!
 でも、過去の俺が言いたいことは分かる。今世界中に人間は、外に出ることにおびえなければいけないんだ。
 三日に起こったソーラーの事件以降、世界のえらい機関(←名前は忘れた)が、緊急事態宣言を発した。詳しいことは読んでないから分からないけど、要するに「外へ出ることは危険ですから、外出は避けてください」という宣言だ。
 四日になると、国際連合(さっき調べた)の総長が、事態の緊急性を説明する会見を開いていた。俺はアーカイブとか切り抜きまとめをちょくちょく見ながら、昨日のことが現実なんだって実感した。
 会見の中で総長は、科学チームが分析した光線の出どころを説明していた。
説明によると、人間を消滅させる光線の出どころはどうやら太陽らしく、未知の作用で地球に降り注いだ太陽光が、なぜか人間のみを的って消しているんだとか。
そんなSFアニメじみたこと有るわけないなんて、だれもいわなかった。そのアニメみたいな光に、地球人は消し炭にされてたから。
 その消滅光を総長は「ソーラー」と命名していた。
元々は研究チームがつけていた仮の名前が、正式名称へと決定したんだとか。
 会見中、総長はソーラーを回ひする方法についても言っていた。それによると、屋内やカサとか、何らかの身を隠す場所へいればソーラーには当たらないらしい。そんな簡単な方法でいいのか、と俺は思ったてたけど、三日の日に運よく生き残ってた人は、車の中とか飛行機の中、あるいは家から一歩も出なかった人間だけだという。俺もそのうちの一人だったから、信ぴょう性はあると思う。
 俺はスマホを見るのを辞めて、窓の外を見た。三日よりかはひん度が下がったけれど、それでもソーラーは昼間からあちこちに降っていた。
 あの光が太陽から降っているなんて信じられなかったし、今でも俺は本当かどう分かってない。
 でも今さっきもソーラーが降ったから、信じるしかないんだろうな。午前十時四十六分。


 三月十九日

 昨日書いた通り、二〇二〇年の世界は人間が楽しく外出できなくなっている。何にも対策しなければ、ソーラーが降ってきて一瞬で焼き死ぬ。
 今外を歩いている人がいないか見てきた。やはり俺の考えていた通り、外出している人間は例外なく、車に乗っているか、日笠や日よけをしている。一か月前は想像しなかった光景が、俺の部屋からいくらでも見れる。
 三日のソーラー被害は悲ざんなものだった。だけどあれから五日立った三月八日。ソーラーの降る日常にも慣れた俺は、一か月前みたいにSNSに目を通していた。風邪はいつの間にか治ってたし、外に行こうと思ったけど、ミスったら死ぬっていう緊張が怖くて、結局家に引きこもったままSNSをしていた。
 タイムラインを見ていると、フォロワーの一人のツイートが目に止まった。
 投稿自体はなんでもない、「きょうのひるごはん」の一文と共に乗せられた、焼き魚の写真。
 今までそんなツイートはしてなかったフォロワーさんだったから、最初は人気取りだと思ってた。だけどそのフォロワーのツイートりれきを見ると、その人は三月四日から毎日欠かさず、朝昼晩の食事の写真をツイートしていた。そしてそのツイートに別のフォロワーたちが返信していた。「生存確認助かります」。
 そうかって俺は思った。人気取りじゃなくて、今生きてますという生存確認をSNSでするために、フォロワーはツイートしていた。
 なんて賢いんだって思ったと同時に、俺もなんかやってみようと思った。
 けれどそう思ったら、急に恥ずかしくなった。俺自身、ツイートは不定期だし、中身あることなんて呟いてない。だからそのフォロワーみたいに一言生存日記みたいなことをしても、それこそ人気取りだろうし、二番せんじだろう。
 でも、毎日何かを続けてみるのは、いいかと思った。あのフォロワーみたいに料理はできない。ゲーム実況でもやってみようかと思って機材を検索したけど、思った以上にめんどくさそうなのでやめた。
 何か出来ないかと考えても、俺がネットで出来たことなんて、適当にしたツイートが一回バズっただけだ。
 結局俺は恥をかきながら、そのごはん写真のフォロワーに何か毎日続けられることはないかとDMを送った。
 ゼノさんは十分後に、「日記とかしてみたらいいんじゃないでしょうか? セツナさん文才ありますし!」と返信してくれた。それから俺は言われるがまま、ツイッターに毎日日記を書こうとした。けどいくら字数をけずっても百四十におさまらない。
 普段変なツイートばっかしてるから、いざ真面目な文を書こうとすると言葉が浮かばないし、それにいつも変なツイートばっかしてるやつが、急に真面目に今日の生存日記なんか呟いたら、それこそ気味悪がられるだろう。
 だから俺は、まだ使ってない大学ノートにこうやって日記を書くことにした。
 でもやっぱり、ツイッターとは偉って真面目な文章は書きずらい。


 三月二十一日

 日記を読み返して気付いたけれど、いきなりゼノさんの名前が出てる。ゼノさんというのは、俺と相互フォローをしている人のユーザーネームだ。先に書いた通り、三食のごはんツイートを欠かさずしている。ちなみに今日の昼ごはんは豚のしょうが焼きだった。
 今日は何を書こうか。ちなみにスマホで確認した今日のぎせい者は、全世界で六万五百と数人、日本だと約三千人だとか。日々、ソーラーによって死んでいる人間がいるのが、本当かどうかが分からない。
 どうして何の前触れもなく人類は焼かれはじめたんだろう。ひまつぶし程度にオカルト板まとめを見てたら、「ソーラー」が降り注ぐのは、○○文明(聞き覚えない名前だったから覚えてない。後で調べることも、たぶんしない)が予言した、人類滅亡の光景そっくりだとか、ナントカって超能力者が、この現状を二百年前に予言してたとか、ナントカカードの絵柄が「ソーラー」の到来を予言って。
 なんか予言予言書きすぎて、予言って言葉が気持ち悪い虫みたいに見えてきた。なんだよ予の言葉って。予とか予盾って熟語とか、ゲームの武器でし見たことない。最強の予と最強の盾がどうたらこうたらってやつ。


 三月二十二日

 今日は十二時過ぎに起きた。早速ツイッターでゼノさんの「きょうのごはん」を見たけど、今日の昼ごはんは卵かけごはんだった。
卵かけごはんのツイートには、今日も二十件のリプライが届いている。俺もリプを返して、ちょっと考えてみた。
 最近、日常にメリハリがない気がする。日記にはずっと「ソーラー」がどうのこうのあって、俺は今外に出ることが出来ないって書いたけど、実を言えば「ソーラー」がやってくる前から、俺の生活はほとんど変わってない。
 この日記だって、もとはと言えばゼノさんに進められて書きはじめたから、ちゃんと考えると、俺の意思でやってみたことなんてあんまりないのかもしれない。
 どうする?ゼノさんみたく、俺ばん「きょうのごはん」でも書いてみようか。
 先月、実家から大量のカンズメとかカップめんとか、とにかく保存がきく食べ物がし送られてきた。あの中から美味しそうなものを選ぼう。
 決めた!「きょうのごはん」は北海道みそ味のカップめんだ!
 それでは、俺ばん「きょうのごはん」!
 まずはフタを開けて。
 かやくと特性スープを取り出す。
 かたくを入れる。
 お湯を入れる。
 フタの上に特性スープをのせる。
 三分待つ。
 三分待っている間、俺がスマホでネットサーフィンをしながら気になった記事を書いてみる。
 まず、今日の「ソーラー」による死傷者数。全世界で六万と四千五百二十三人。日本だと現時刻で九百二人。特にペットが外に出たのを追おうとした子供を止めようとした親(たぶん母親)が差し止めようと手を伸ばして、親子二人が「ソーラー」に焼かれた、って事故が起こったらしい。いやな世の中だ。
 続いて、「ソーラー」に焼かれないようにしつつ、外で洋服や布団を干す方法。簡単なやり方って書いてあったから見てみたけど、どこのご家庭にでもあるアルミホイル、の時点で俺は見るのをあきらめた。一人暮らしの男の家に、アルミホイルなんかあるわけないだろ。
 続いて、文豪の未完とされていた小説「寓都煤」(読み方を調べたら、これでグッドバイって読むんだと。小説家ってこういう変な読み方させる漢字が好きなのはなんでなんだろうな)の草稿が発見されたって記事。正直に書くと、俺はこの小説家や作品が気になったわけじゃない。ただこの未完の草稿が見つかった場所が、俺が昔通ってた中学校の近辺だったからなんだ。このご時世に外でて発掘したのかと思ったけど、どうやら通りがかった男二人がたまたま見つけたらしい。すごいこともあるもんだ。
 今時計を見たら、カップめんにお湯いれてからもう六分立ってた。フタを開けたら、お湯吸ってのびのびになっためんが見えて、若干なえる。でも、腹はへってるから、それでもいいことにした。
 特性スープを開けて、容器の中に入れる。
 これから昼ごはんを食べつつ、日記に味の感想を書いてみることにする。
 今さっき一口食べた。普段食べてるみそラーメンよりかは、ゴマっぽい風味が強い気がする。
 今半分ほど食べてみた。でも何か、みその味がくどくなってきた。
 ほとんど食べ終わった。後半はこの日記のことなんか忘れて食べてたから、あんまり味の感想がない。というか、のびのびになっためんと、しょっぱいみそのが余計にめんにからんでたから、もう正直おなかいっぱいだ。
 ちょっと残っためんとみそのラーメンスープが見える。俺はいつもラーメンのスープは飲みほしてたんだけど、数ヶ月まえにツイッターで、ラーメンのスープは塩分が多いから、飲むと塩分が多くなって病気になる、みたいなツイートを見てから、なくなくスープは拾ててる。
 でも正直飲みたいっていう食欲もある。飲みたいっていう食欲?この文は予盾してるな。


 三月二十五日

 俺は今脳んでいる。
 配達を利用するか利用しないか、についてだ。
 今朝ネットサーフィンをしてたら、ツイッターでとある論争が起こってた。
 話題になったツイートっていうのが、配達業で働いているユーザーが、「このご時世ですので、荷物が届かないといった事例にも寛大な心でお願いします」というツイートと共に張られた画像。画像自体も「ソーラー発生に伴う配達日の遅延について」のタイトルが書かれた、いたって普通の内容だ。
 このツイートが話題になったのは、リプライ欄に書かれた返信が火種になっている。さすがに日記に全文を写し取るのはめんどくさいし、なんか気が進まないので、出来るだけまとめてここに書いてみる。
「子供のために注文したミルクが届いてないので、我が子が泣き止みません」「届かなかったら、外に放置ってことですか? 誰がその荷物を利用者に届けるんですか?」「このツイートはソーラーへの対応が遅れている配達会社への巧妙なネガキャン」
・・・もういい。
 こういったツイート主への批判みたいな返信に、さらにその反対派が反論をして、それがまた別の意見を呼び寄せてって、今だに結論はでないまま、意見だけが孤独みたいに混ざってく。
 とにかく今、俺はモーレツに脳んでいる。今俺がネット通販を利用したら、この配達論争に新たな油を投げいれるんじゃないかって考えると、以前みたいにうかつに利用出来ない。
 俺が今日記にこんなことを書いてるのは、書けば何かいい案が浮かぶんじゃないかと思ったからだ。いわゆる、ブレインストーミングというやつで、書けば考えがまとまるのだとか。漫画家とか小説家とかは取りあえず紙に考えを書くらしいから。
 でも俺は何にも浮かばない。いや、浮かばないとはいっても、配達を頼むか頼まないかのどっちかだけど。
 どうしようか。
 やってみてもいいか?


 三月二十六日

 やっちまった。
 俺は今日、気になった本をネットショッピングで注文してしまった。まだ配達論争がにぎわっている中で、配達を利用してしまったのだ。
 気が休まらんので、落ち着くまで日記になぜこうなったかでも書こうと思う。
 そもそもことの発端は、ちょっと前にネットで知った、文豪の小説だ。今日記を読みかえしたけど、ちゃんと過去の俺は書いてたな。文豪、府中陽の未完の小説、「寓都煤」だ。
 ネットで草稿が発見された後、俺はひまな時間をつぶして「寓都煤」について調べてみた。(「寓都煤」ってすごい書きづらいな)
 初めて知った小説だったから、今スマホで調べなおしてる。ちょうど小説自体をまとめてたウェブページがあったから、そこからそれっぽい文を書いてみる。
 「寓都煤」は千九百三年に発表された中編小説(の予定だった作品)で、当時の日本を細かく書きつつ難しい人情を書いた作品、って書いてある。
 この書きかたじゃ、何で俺が「寓都煤」を読みたくなったかが分かんないな。
 簡単に書くと、なんか読みたくなった以外の感想がない。
 簡単に書くと、ひまなんだ。毎日ツイッター見て、ゼノさんの「きょうのごはん」を見て、ネットサーフィンをして、毎日それのくり返し。
 それともう一つ。少し前のとあるツイートで、「この時期だから積ん読してあった本を読んでます」なんて簡単なツイートがめちゃくちゃバズってた。俺も周りにならってそのツイートを見て、見事に影響を受けたわけだ。


 三月三十日

 今俺はモーレツに興奮している!
 簡単に書けば、ネットで注文したあの小説が届いたんだ!無事に!今からそれを書いてみる!
 そもそも今日起きたのが、インターホンに起こされたから。朝からすごいピンポーンピンポーンって音でおこされて、俺は寝ぼけながら玄関に向かった。
 インターホンが鳴ること自体が久しぶりだなーなんて思いながらドアを開けて、びっくりした。
 男の配達員さんが、小包を抱えてドアの向こうにいたんだ!
 この現代、もちろん配達員のお兄さんは日笠を刺してたけど、少し前にツイッターで見た配達論争のこともあったから、無事に家の前に来てくれたことが何かすごくうれしかったんだ。
 配達のお兄さんは笑いながら「今日も焼かれずにこれました」なんて笑いながら言うもんだから
 俺も楽しくなってさ「お疲れ様です!」なんて言っちゃったよ。
 それからはドアの前で何分ぐらい話したっけな。とにかく久しぶりに人と会話したから、中身のない話をずーっと話してた。覚えてる会話は、配達員に「ちなみに、僕は何を届けたんでしょうか?」って聞かれたから、小包を開けて、「寓都煤」を見せたんだよ。そしたら配達のお兄さん、「本ですか! インテリですね! 自分は学生時代運動部だったから、本なんて読んだだけで眠くなっちゃって」なんて笑って言うんだよ。ほめられた経験なんてないから、てんぱったことだけは覚えてる。
 配達員のお兄さんが帰ろうとした時、俺はふと思いついたんだ。今この場面を取ってツイッターにあげたら、配達論争が収まるんじゃないかって考えたんだ。それでスマホを取りに行って、お兄さんのグッドサインを取った。
 その後、お兄さんに許可を取って、俺はツイッターに投稿した。
 配達員さんと別れたすぐ後に、いつも日記を書いているデスクに行って、俺は今さっきまで配達員のお兄さんと会っていた出来事を書いている。
 昼ごはんを食べ終えたら、さっそく「寓都煤」を読んでくる。せっかくインテリって言われたから、気分が変わらないうちに読もうと思う。


 三月三十一日

 今日は書くことがたくさんある。
 まず一つ目。昨日した俺のツイートが、バズった。人生二度目のバズりだ。昨日の夜の段階で五千リツイート、今日の朝確認した限りで一万リツイートを越えてた。増えていくリツイート数に震えるなんて、久しぶりの感覚だった。一応、俺のツイートに届いた返信を抜き取ると
「この時世にこんな温かい話が見れるなんて」
「配達員さんが無事に帰れたことを祈ります」
 などなど。
 とにかく、バズったんだ。それはいい。
 二つ目は、『寓都煤』を読みきった。予想に反してこの小説は面白かった。
 具体的には、大正時代の日本を舞台にして、税関の小役人である男と電話交換手の女の上手くいきそうでいかない恋愛模様を書いた作品だ。俺自身は小説なん現代文の授業で読んだっきりだったから、ついぞ読んだことなかった小説があんなに面白いとは思わなかった。やっぱ長年読まれてる文豪の作品って、それなりに面白いから読まれてるんだな。
 だからというわけじゃないけど、俺も今書いてる日記をまた読み直してみた。そしたら誤字とか脱字の多いのなんの。改めて俺の国語力のなさを痛感した。(今この痛感って言葉を思い出せなくわざわざ検索したぐらい俺の語彙力はない。語彙って言葉も検索したほどだ)
 文豪の書いた小説を読んだら、自分の日記がひどく見えてきた。これからの日記は、誤字脱字に注意して書いてみる。もっとも、誤字や脱字を確認できるほどの学力も語彙力もないから、検索しながら書いてみる。


 四月一日

 エイプリルフール。
 もっとも、口先ですら言ってて虚しくなるのが嘘なのに、文面だともはや嘘をつく意味なんてない。
 ツイッターを覗くと、案の定分かりやすい嘘がはびこっていた。それとエイプリルフールの日に必ず現れる、「エイプリルフールの嘘は午前中しかついてはいけない」「エイプリルフールについた嘘は翌年の四月一日まで叶わない」のツイート。
 その迷信自体も嘘みたいに聞こえるから、結局のところ嘘の嘘とか、ホントっぽい嘘とかを探り探り見なければならない。情報を飲み込むことが最も危険なんだ。
 嘘を嘘と見抜き楽しむことがインターネット時代のエイプリルフールだ。最も、今一番嘘であってほしい「ソーラー」の存在は現実だが。

 『寓都煤』を読んでたら、話の変わり目に今みたいにあえて一文を開ける技法が使われてた。小説だとわりと当たり前の技法らしいけど、俺が書いてるのは誰に見せるでもない日記だから、そういった了解は意識していなかた。気が向いたらこういった技法を使っていこうと思う。

 あと『寓都煤』(←これ)みたいに、作品の名前とかは『』(二十鉤括弧)で覆うらしい。でも『』←これの基準って曖昧だよな。括弧って漢字があったんだな。

 最後に、今『寓都煤』を読みながら見つけた一文を書いて、今日の日記を終えようと思う。

「私達を喜ばせる嘘の正体を、人は芸術と名付けたのだ」


             ↑作品の引用文は括弧で覆うらしい。


 四月三日

 今、猛烈に辛い。
 簡潔に書くと、大好きな声優が亡くなった。
 死亡理由なんて分かってる、「ソーラー」だ。

 実際のところ、俺が初めて見た「ソーラー」被害で芸人が焼死した場面を見て以来、各業界の著名な人間が相次いで焼け死んだ。特に最初の三日間は対応が遅れたことも災いして、多くの有名人がこの世を去った。
 それでも、俺は正直に言えば、無関心だった。顔を知ってるタレントが続々ネットで死んだ報告を見ても、気が落ち込むだけだった。
 だけど、今日ばっかりはそうも思えない。
 
 俺が初めて見たアニメは中二の頃。当時は実家で暮らしてたから、DVDデッキは家族の共有物だった。容量がかさまないように、録画した番組を見たら消す。

 当時の俺が好きだった漫画がアニメ化するって知って、俺は初めて自分の見たい番組を録画した。
 それまで何度かアニメ映画とかは見てたけど、自分で意識して見たアニメはあれが初めてだった。
 タイトルは『ダイアゴナル・サン』。今でも好きな漫画だ。
 俺は初めて見た深夜アニメが楽しかった。文字を追うだけで楽しかったのに、静止画のキャラクターが動いて、声も付いた時の興奮は、今でも忘れない。
 特に原作で好きだったヒロインのコカズは、声が付いたことでさらに魅力的になった。少なくとも当時の俺はそう感じてたんだ。
 エンディングで数秒だけ映る「木場このみ」の文字を見て、
「あぁ、この人がコカズに声をあててくれたんだ」
 いつの間にか泣いてた。周りの友人はその話をすると馬鹿にするけど、俺自身はあの時泣いたことは恥ずかしく思ってない。

 それから俺は「声優・木場このみ」のファンになった。彼女が出演した作品は欠かさず見たし、ラジオ放送をやるって聞いたら夜更かししてでも終わりまで聞いた。今考えてみれば、「木場このみ」を追っかけてた時間は、一つの青春だったんだろうな。

 ここまで長々と書いた理由ははっきりしてる。
 今日の午前十一時、木場このみが亡くなった。「ソーラー」だ。

 なんでだ。
                                       殺してやる
    なんでだよ            ふざけんな!                               ちくしょう
   くそっ! くそっ! くそっ!
                           
                                        最悪だ


                        しにたい

 四月十五日

 しょうじきいって、日記をかいてるばあいじゃない。
 だけど、ちょうしがもどったうちにかいておこうと思った。
 今おれ、だっ水しょうじょうみたいなやつになってた、たぶん。

 木場このみのふ報を知ったあと、俺はも字どおり死んだようにベッドにねてた。
 呑まずくわずで天井とかべを見るだけのひびだった。
 今かんがえればよく死ななかったと思う。

 水飲んできた。
 で、続き。

 昨日の夜にわりと大き目の地震が起こった。
 俺はベッドの上で文字通り死んだように寝てたからか、ズッズッとベッドに揺さぶられて、思い切り床に落ちた。
 落下した衝撃で意識がはっきりして、俺は最初に
「水飲まなきゃ
 って思った。
 それで水飲んだら、やっと生きてる感かくが戻ってきた。これから缶ずめを食べてくる。


 四月十六日

 起きたら廊下だった。
 床に無造作に開けられた缶詰が散らかってたから、俺が無意識に開けたらしい。とりあえずこれだけ書いておくことにした。これから昼ごはん。

 昼食を摂っている間に、日記を読み返してた。
 正直、意識は朧(なんだこの文字)だったけど、どうやら俺は昨日、生死の境であったにも関わらず日記を付けていたらしい。何が昨日の俺をそうさせたのかは分かんないけど、多分、遺言みたいなことを書こうとしたんじゃないかと俺は思ってる。

 木場このみが亡くなった後、死のうと思ったのは本当だ。だからあの時、最初は外に出てソーラーに焼かれようと思った。本気で思ったんだ、今すぐソーラーに焼かれて、木場このみの後を追いたいって。

 でも不思議なもので、俺は外に出る前、上京するときに持ってきた『ダイアゴナル・サン』全二十二巻が本棚にしまってあるのを思い出したんだ。
 今読んでも悲しさが増すだけ。そう思っても、俺はいつのまにか『ダイアゴナル・サン』を読み返してた。
 読んでく内に、気が付けば日が暮れてた。

 その日は、死ぬのを止めた。もう遅いからとかじゃない。「ソーラー」は朝昼夜問わず外に出た人間を焼く。夜にはソーラーの光が何キロ先でも遠くに見える。
 でもなぜか、俺は死ぬのを止めたんだ。まだだ、って思ったんだ。

 書いてるのが辛くなってきた。また泣きそうだ。


 四月十七日

 ツイッターの話題で、木場このみが所属している事務所が、彼女が出演していたアニメの追悼放送をすることに決まった。
 今日の夜から早速放送する。初回のアニメは、何の運命の巡り合わせか『ダイアゴナル・サン』に決まっていた。

 気持ちの整理がついたから、もう少し昨日の続きを書いてみようと思う。
 漫画を読んだ後、俺はいわゆる無気力症候群のひどいやつに罹った。本当に何にもやるきが起きなくって、スマホすらいじれなかった。当時は木場このみが亡くなった直後だったから、気持ち的に錯乱していたんだ。
 実を言うと、一回だけスマホの通知が鳴ったんだ。だけどその時、俺は音をベッドの上で聞き流した。それどころじゃなかったから。

 後は日記に書いてあることで分かる。地震が起きて、ベッドから落ちて、その衝撃で意識がはっきりした。水を飲んで、日記を書いたらしくて、物置き部屋から実家から送られてきた缶詰をいくつも開けて食べてそのまま廊下で寝たらしい。
 それでよく死ななかったもんだ。

 せっかくだから、無気力だった間に来た連絡についても書いておこうと思ってる。
 通知の内容は、ツイッターのダイレクトメールだった。差出人はゼノさん、「きょうのごはん」を毎日三回、欠かさずツイートしてる偉い人だ。

 メールの内容は、俺の安否確認だった。ゼノさんは俺がツイッターを始めた最初期からフォローしてくれた人で、俺は勝手にゼノさんのことをインターネット上の親友だと思ってる。
 そんなインターネット親友をかなり心配させて、流石に俺も気まずくなってしまった。昨日昼食を摂ったタイミングで、ゼノさんにはダイレクトメールで返信した。

「セツナさん? 生きてますか? ここ数日リプに姿が見えないので、不安になって連絡しました。もし生きてましたら、何でもいいので返信お願いします」
「ごめんなさい! しばらく寝てました!」
「生きてましたか! 良かったです!」
「連絡できなくて深くの至り!」
「今の時世、いつソーラーにあたってもおかしくないですから、セツナさんも気を付けてくださいね!」

 今書いたのは、ゼノさんと俺のダイレクトメールでのチャットだ。こうして紙に書き出してみると、ゼノさんは本気で心配しているのに対し、俺のふざけ具合がひどい。「寝てました!」より書くことは絶対にあったはずだし、「深くの至り!」に関してはまるっきりスルーされてる(ちなみにこれは「深く」と「不覚」をかけた俺がツイッター初期から使ってるギャグみたいなものだ。流行る気配は全くない)。

 何で俺自分がツイッターで使ってるネタを書いて解説してるんだ? ああだめだ何かもう恥ずかしくなってきた!
 時刻を見れば、もうすぐ午後八時。『ダイアゴナル・サン』が始まる時間だ。

今日はここまでにする。


 四月十八日

 今日はなんだか何にも書けない。
 とりあえず、ゼノさんのごはんだけ書いとく。
春キャベツのペペロンチーノパスタ。


 四月十九日

今日も書く気が起きない。
「きょうのごはん」は、カレーライスだった。


 四月二十日

 最近長い文を書くのが嫌になってきてる。
一々漢字とか熟語とかを調べてるから、有り体に言えば面倒くさくなったんだろう。


 四月二十一日

 最近、ゼノさんが頻繁にダイレクトメールを送ってくる。恐らく、俺がベッドの上でゼノさんの通知を無視し続けたことが、ゼノさんにとっては一大事だったらしい。確かに、俺だってゼノさんの「きょうのごはん」が二日三日かけても更新されなかったら、焦ってゼノさんにダイレクトメールを送るかもしれない。ちなみに「きょうのごはん」はたこ焼きだった。


 四月二十三日

 今俺が日記を書いてるのは、ゼノさんが有益な情報を教えてくれたからだ。
 いつもみたいにゼノさんが送ってくれたダイレクトメールを返していた時だ。いつもなら二言三言返して会話は自然終了してたけど、今日に限ってはふと俺は会話を続けたくなった。
ここから先は、俺とゼノさんのメール文をそのまま書く。そのほうが俺も分かりやすいだろうから。

「そういえばゼノさん。府中陽の『寓都煤』って知ってます?」
「最近、未完成の続きが発見された作品ですか?」
「読みました?」
「私、小説は苦手なんですよね。難しくて」
「面白いですよ! ソーラー被害が治まったら、今度郵送で送りますよ」
「本当ですか! セツナさんがおすすめするなら、読んでみようかな」
「セツナさんはすごいですね。確か私と同じで、高校生でしたよね?」
「それが中学受験に落ちちゃって! 全く深くの至り!」
「あっ……」
「嘘です! 高校生です!」
「しょうもない嘘ついてごめんなさい!」
「それで、現在学校に行けない高校生ですけど、それがどうしたんですか?」
「いや、高校生で府中陽の小説を読んでるって、頭いいなって」
「全然ですよ! 「分かってもないことを、分かったふりしてるだけ」」
「セツナさんは昔からコカズが好きですね」
「すみません……こんな時期に……」
「大丈夫ですよ」
「ゼノさんがそういうことする人じゃないのは、俺が一番よく知ってますから」
「この前、追悼放送で久しぶりに『ダイアゴナル・サン』を見て、やっぱコカズと木場このみは俺の永遠の推しだって再認識しました」
「気持ち悪いですね……」
「いえいえ! むしろちょっとウルっときちゃいました」
「何でですか?」
「セツナさん、もしかしたら亡くなった時、後追いして心中するんじゃないかって思ったので……」
「変わってなくて、安心しました」
「大丈夫ですよ! 俺は生涯を木場隊でいるって、中三の春に決めましたから!」
「すみません、そろそろリモート授業があるので、また後で」
「はいはい」

 以上。現実の俺では考えられないほどのテキスト量で会話した。
 この日記は立った今、ゼノさんがリモート授業でツイッターから一時退却した後に書いている。

 本当なら俺もゼノさんみたいに、高校のリモート授業があったはずなんだ。でも、パソコンは立ち上げる気が起きない。

 なんでこうなったんだろうって、考える時がふとある。
 今周りを見回すと、デスクとベッド、『ダイアゴナル・サン』他数冊の漫画本が収められた本棚。テレビ、それだけの殺風景なリビング。
 窓の外でソーラーがまた一つ光った。午後一時五十七分。

 別に後悔をしているわけじゃない。今の俺は自分の生活に満足してるし、一度は本気で死にかけたけど、今は木場このみ追悼放送という生き甲斐がある。そもそも木場このみに出会ったのが中学時代だったのだから、むしろ中学時代はラッキーだったと考えるべきだ。

 そんなわけない。


 そんなわけないだろ。

 親の遺伝のせいで、昔から俺の顔は不細工だった。丸顔で離れた眼。横に伸びた豚みたいな鼻。生まれつきのしゃくれ顎のせいで、何か話すたびに笑われる滑舌。おまけ父方の遺伝の影響で、俺の体は太りやすい体質だった。生まれつき俺のカーストは最下層だったんだ。
 小学校三年までは普通に学校生活を送ってた。だけど四年に上がったいつかの日から、俺はクラス内でいじめられた。理由は単純で、太ってて不細工だったから。他の人間は目や鼻、口、顔、体の内、一箇所だけが劣っていた。だけどクラスの中で俺だけは、その全てが劣ってたんだ。
 今でも思い出せる小五の記憶。ホームルームで林間学校の班決めをしていた時、俺は最後までどの班にも入れてもらえなかった。先生が早く決めるように言っても、男子は互いが互いの班に爆弾ゲームの要領で俺を擦り付け合っていた。女子は自分の班に俺が回されそうになると決まって、悲鳴をあげるか泣き出すか、泣き出した女子を庇うかだった。誰も俺をフォローしてくれる人間なんていなかった。

 中学は実家から徒歩で通える場所に入学した。
 書くのも憚られる中一の記憶。友達がいなかった俺は当時、古本屋に行くのが趣味だった。漫画を読んでいる時間だけは、地獄みたいな現実から目を背けられたから。『ダイアゴナル・サン』ともそこで知って、コカズというキャラクターが可愛いと思った。人生で初めて「推し」ができた。
 五月のある日、学校帰りにいつも通っている古本屋に立ち寄った。『ダイアゴナル・サン』を読みにだ。
 そして、俺は一番会いたくない人物と遭遇した。同じクラスで運動部に所属している女子、尾瀬だ。
 あの姿は今でも夢に出てくる。僕が店内に入った、目が合った尾瀬は僕を見て、
「ひっ……」
 って言ったんだ。あの視線や態度は百足や蛾や蜥蜴を見た時に女子がする反応だ。つまり、生理的に嫌悪している相手と遭遇してしまったときの、恐怖と侮蔑が入り混じった表情。
 俺は瞬時に理解した。もうこの古本屋には立ち寄れないと。
 俺が世間からどういう目で見られているのかが、尾瀬の目で分かってしまったから。
 その後は書く必要がないし、書きたくない。尾瀬の僕を見る目で全てを察して以降は、ほとんどのいじめには耐えられた。クラスに俺の席がなくても、休んだ時に誰も試験のことを教えてくれなかったことも、理科教師が陰で俺のことを「爬虫類と魚類のキメラ」と言っていることを曝露されても、校内放送で女子が俺にレイプされかけたとでっち上げの放送を行っても、校内の不良グループが行った軽犯罪の濡れ衣を着せられたことも、第一志望を担任に話したら「悪いことは言わないから、身の丈に合った高校を受験しなさい」と言われたことも、自転車に轢かれて脳に後遺症が残ったことも、全部耐えてきた。
 でも一つだけ、納得できないことがある。
 俺が中学三年の時、アニメ『ダイアゴナル・サン』の特設ウェブページで買ったコカズのラバーストラップ。あれはどうして、取り上げられる必要があったんだ?
「勉学に関係ない物を持ってくるな」と先生は言ったが、あのあとクラスの不良グループがコカズのラバーストラップを持ってたのはどういうことなんだ?

 もし俺が今までの半生で「ラッキー」だと思える出来事があるとしたら。

・木場このみに出会えたこと。
・「上京して頑張りたい」と上手く騙して、親から逃げられたこと。
・「ソーラー」騒ぎのおかげで、高校のクラスに行かなくて済むこと。

 後はいくら考えても、出てこない。


 四月二十五日

 久しぶりに日記を書く。といっても、内容は俺のことじゃない。
 いつものようにゼノさんとダイレクトメールで会話していたら、こんな話が出てきた。

「そういえば、セツナさんが言ってた「寓都煤」について、現代文の先生に聞いてみたんですよ」
「そしたら、そのお友だちは中々学識高いって言ってました!」
「俺がですか! いやぁ今日縮の至り!」
「何でも「寓都煤」は内容の完成度だけじゃなく、当時の流行や世相がこれでもかというほど書かれていて、歴史書としても非常に優秀な書籍なんですって。ですからセツナさんはやっぱり、頭がいいんですよ!」
「本当ですか! いやーてんてこ舞いったなぁ!」

 ゼノさんとの会話を終えた後、俺はごく自然に自分の日記を見直していた。
 日記には当然のように「ツイッター」とか「バズる」とか「アニメ」とか、今でこそ当たり前に使う言葉を書いている。
 だけどもし昔の、それこそ大正時代の人間が俺の日記を見たら、何が何だか分からないんじゃないか? 逆に俺が『寓都煤』を読んでいる最中、最初は用語解説の欄を一々開きながら読まなければ、「モガ」や「ゴム下駄」の意味が分からなかったように、だ。

 途端に怖くなってきた。万が一俺が木場このみの後を追うように心中していたら、きっと隣人が怪しむに違いない。そしたら大家か管理会社かが俺の部屋を漁りに来るだろう。
 そこでこのノートを発見する。内容は俺の身の回りの出来事や、自分がただ思ったことを支離滅裂に書いてるだけの日記だ。そこに書かれている「リプライ」とかの文字列を見て、果たして読者は解読できるだろうか? 
 もしそういった分野に精通していない人物が見たら大変だ。俺は「ソーラー」被害で自粛生活を余儀なくされた挙句、日々怪文書を書いていただけの不気味な男になってしまう。
それはいやだ。死後まで俺は嫌われたくない。
どうすれば……。

三十分ほど悩んだ後、俺は今しがた決めた案を書いてみる。
つまり、「この日記を読んだ人間が分からなそうな単語」を解説する。
これにより、俺が思慮分別なく造語で書かれた怪文書ではなく、この世に存在する単語を使用した日記であることが伝わるだろう。

 これから今まで書いてきた日記内で、伝わりにくそうな単語を解説する。どこまで書くべきかは俺の裁量で決めさせてもらう。


・カルピス――乳酸菌飲料の一種。白地に青いドット模様が描かれた紙で包装してある。原液を水で薄めて飲むのが主流で、甘い味がする。
・(インター)ネット――全世界の人間が使ってる、巨大なデータ網のこと。ネットを使って、俺含む人類は映像を見たり、調べ者をしたり、ツイッターができる。
・ニュース――事件や事故を市民に伝える番組。全世界の出来事から、小さな街の出来事まで取りそろえる事柄は様々。
・テレビ――受信した電波を液晶に映すことで、遠くで起きた出来事や映像を流す。全世界の人間が使ってる。
・スマホ――全世界の人が使ってる手のひらサイズの板。ネットを使って、映像、音楽、写真、通話、その他諸々のことができる。
・ツイッター――ネットで出来る遠隔コミュニケーションアプリ。知らない人と気軽に友達になれて、その日あったことを書いたりとか写真を発信できる。
・ツイート――「ツイッター」で投稿を書きこんだり、写真や動画を乗せてネットに送ること。ツイートすると、ツイッターをする全てに人間がそれを見れる。
・呟く――小声で話す事。「ツイッター」でツイートすることも呟くという。
・アカウント――ネットをするための、自分の分身。自分と同一存在を作ってもいいし、全く違う存在のアカウントになってもいい。
・フォロー――自分以外のアカウントと友達になる行為。フォローしたアカウントは「フォロワー」と呼ばれる友人関係になる。
・タイムライン――フォロワーのツイートが優先的に見えてくるネットの場所。フォロワーが多いほどたくさんのツイートがタイムラインに見える。
・SNS——アカウントが必要なネットコミュニティの総称。ツイッターもこの中の一つ。
・アーカイブ――書庫、保存記録の意だが、会見の映像の要点だけを切り抜いた「切り抜き動画」も、アーカイブの一種である。
・アニメ――一つ前の絵から微量に位置をずらした絵を何百枚を重ねて高速で繰ることで、あたかも絵が動いてるように見せかける芸術技法。
・ソーラー――西暦二〇二〇年三月三日以降、外に出た人類を残らず焼き尽くしている天災。最近の研究だと、どうやら人為的に起こすことが理論上可能らしい。
・バズる――ネット上で発信した出来事を、多くの人に見てもらえる現象。
・ダイレクトメール――ネット上において公でなく、互いにフォローし合うアカウントだけで隠れて行えるツイート。
・ゲーム――広義には遊び全般を指す。俺が言及しているのはその中でも、ビデオゲームと呼ばれる種類のもの。
・ビデオゲーム――専用の機器と、コントローラと呼ばれる操作幹を使って遊ぶ、映像内での遊び。
・リプライ――ツイートへの返信。フォロワーへツイートを広める行為は「リツイート」という。
・ホームページ――ネット上で公開されている、各種の情報が載った場所。
・ウェブサイト――略称ウェブ、サイト。ネット上のあらゆるホームページの総称。
・ネットサーフィン――ネット上の色んなウェブサイトを利用すること。
・ネットショッピング――通販のウェブサイト内にて行える仮想の売買。実際に買った物は、後日配達員が届けてくれる。
・ゼノさん――俺がツイッターで一番最初にフォローした人。確か中一の秋に知り合った。未だに性別は不明のままだ。


 取りあえずこのぐらいでいいだろう。続きは後日だ。
なんだか疲れた。今日はこの位にしよう。


 四月二十八日

 実家から送られてきた食糧が底を尽きかけている。このままじゃ過去の俺みたいに、飲まず食わずで生きて行かなきゃいけない。
 幸い、「ソーラー」の時世だからと、実家から口座に仕送りはされている。だから俺は、ネットショッピングで数ヶ月分の水とか食糧を注文すればいい。

 「きょうのごはん」は少し更新が遅かった。
 いつもなら正午の前後三十分の間に必ずツイートされていたのだが、今日に限っては午後の一時三分に更新された。
 正直気が気じゃなかった。更新された「きょうのごはん」には、いつも以上に多くの心配の声がリプライで飛ばされていた。
 俺も気になって、ダイレクトメールメールでゼノさんに連絡を取る。
 返信はすぐに来た。

「ゼノさん! 何かあったんですか」
「何でもないですよー。ただ備蓄してた食べ物がなくなりそうだったので、買い出しに行ってたんです」
「ネットで買えばいいじゃないですか! 危ないなぁ」
「でもこの時期に配達員さんに頼るのは、申し訳ないというか……」
「せめて食べ物くらいは、自分で買いに行きたかったんです」

 メールのやり取りを終えた直後、俺は何もできなかった。今日記を書いているのだって、ダイレクトメールで会話し終えてから一時間後にようやく書き始めることができた。
 色々考えた挙句、俺は一つの結論にたどり着いた。
 今の俺とゼノさんだったら、圧倒的にゼノさんの方が指示される。


 四月二十九日

 昨晩は眠れなかった。ゼノさんのメールの文がずっと、俺の頭から離れなかった。

 俺はずっとゼノさんことを、どこか自分に近しい人物だと思っていた。
 初めて知り合った時、俺がたまたま漫画『ダイアゴナル・サン』に便乗したツイートをして、それがバズった時。まだ初対面だったゼノさんが、俺と同じ『ダイアゴナル・サン』のファンだというので、そこから話が弾んだ。
 それからゼノさんと何度もネット上で会話を交わす内に、お互いが同年代だと判明して、そこからは完全に意気投合した。

 俺はゼノさんがどういう人物なのか、ネットで公開されている情報しか知らない。でも、それで俺は納得していた。親友とはそういうものだと、ネット外の俺はそう信じていたから。
 でも実際は違った。ゼノさんは俺なんかよりもずっと優れてて、愛されている。
 「きょうのごはん」といった生存報告や、他者を気遣い自分が身の危険を冒せる勇敢さ。何より、俺に日記を付ける習慣を勧めてくれた。
 でも俺は、ゼノさんに何も与えていない。日記も、最近は書き続ける気力が失せ欠けている。

 手元のカップ麺に目を向ける。「濃厚塩担々麵」と銘打たれたスープの味は、ただ塩辛いだけだった。
 この食事で、実家から送られてきた食糧は最後だ。具体的には、今日の夕飯と明日の朝の分に分けた鯖の缶詰しかない。
 次にいつ実家から仕送りが来るのかは分からない。そもそも無事にこの部屋にまで配達されるかが分からない。
 もし届かなかったら? 俺の食生活は誰が負担してくれるんだ? 運送業は何か対策を打ってないのか?


 覚悟を決めなければいけないのだろうか。


 視界の先に、漫画版の『ダイアゴナル・サン』と、『寓都煤』が映る。今一度、読み返しておこうか。


 四月三十日

 時刻は正午を回り十二時五分。今日は定刻通りに、「きょうのごはん」が更新され、ツイートには鯖の味噌煮と茶碗に盛られた白米の写真が映し出されていた。
 さっき「きょうのごはん」の更新を確認したので、現在はスマホはデスクに置いたままにしている。

 俺は今日、外に出る。
 今後の食糧を、買い出しに行ってくるために。

 ネットで調べたところ、一キロ先にスーパーが営業している。正直、すんなりと買うことは難しいだろう。俺と同じことを考えている多くの近隣住民も、一斉にそのスーパーへと殺到しているはずだからだ。
 だから俺は、年のため現在地から半径五キロまでにあるスーパーやコンビニなどを調べ上げた。一店舗で買えなかったら、また別の店舗へ向かう。それを陽が暮れるまで続ける。

 すでにズボンにはクレジットカードを入れた財布を携えてある。最近はソーラーによる外出自粛による運動不足のあおりをうけて、いわゆる「ソーラー太り」になる人が多くなっているらしい。俺は「ソーラー太り」になる前から肥満型だったが、この自粛生活でさらにメタボリックに拍車がかかった気がする。ズボンのポケットに入れた財布も、何とかねじ込んでようやく収まった。

 俺は今、猛烈に緊張している。こんなに心臓が早く脈動した経験は、中学三年生の冬、「木場〝好み〟のラジオ」の投稿コーナーで俺の書いたハガキが読まれた時以来だ。あの頃はハガキ職人の中に自分のペンネームが紹介されたりして、本当に楽しかった。

 今、複雑な気持ちだ。これ以上生きていても、いい事なんてないという負の気持ちと、食糧を買って無事家まで生き延びたいという正の気持ち。矛盾し合う二つの気持ちが反目しつつも、グループを組んで俺を動かしている。
 もし帰ってこれたら、何をしようか。取りあえずゼノさんにダイレクトメールで、美味しい料理のレシピでも教えてもらおうか。

 現在、午後〇時五十分。今、部屋の窓から、一条のソーラーが見えた。方向からして、五百メートル先ほど。
 足が震えだすのが分かる。念のため、無事に帰宅できるよう祈っておこう。

 覚悟は決めた。
 外に出ること自体が久しぶりだ。左の一文を書くのに、かれこれ十分は経ってしまった。

 今、この日記を読んでいる貴方に頼みがある。


 もし五月になっても俺が家に帰らなかったら、その時は……

 その時は、貴方がこの日記の続きを書いてはくれないだろうか?

 内容は何でもいい。貴方自身の日記でも、書き溜めていた創作のメモにでも、今までに書いた俺の日記に対しての批評でも構わない。
 落書きでも愚痴でもいい。大事なのは、書き記すことだ。

 だがもし俺にわがままが言えるのなら……出来れば、自由気ままに外へ出られる世界の話を書いてほしい。
 どんな理由であれ理不尽に人が死に、メメントモリの恐怖に怯えて暮らす日々を、俺たちの世界は望んでいない。執筆の意味とは、現実を忘れてしまうほど良い話を書くことにあると、俺は日記を書き続けた上でそう結論づけたから。

 この文を読んでいる貴方には俺の日記を、ぜひディストピア文学にかぶれた作り話だと冷笑してほしい。
 そうしてもらえたほうが、俺の気は楽になる。


 最後に、俺の愛著から一文を送り、この日記を閉じようと思う。


私達を喜ばせる嘘の正体を、人は芸術と名付けたのだ 
——府中陽 『寓都煤』


 では。
全世界の人々がそうであるように、俺もまた、青空の下で笑い合える日を願っている。

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