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画面の向こう

                            アルバトロス

 七月に入ってからうちのエアコンはいつもつけっ放しにしている。電気代のことで頭が痛いが、必要経費として割り切るしかない。なにしろここ連日はずっと真夏日でエアコンをつけないと仕事さえまともにできやしないのだ。
 こうなると最新型が欲しくなってくる。うちのだって別に古くはないが省エネ機能とか洗浄機能が付いたものを見ると喉から手が出るほど欲しい。近くの業者に電話してみたら六月から予約で埋まっていると言われた。
 この時期は大抵会社にいたし、会社に着いてしまえば冷房が効いていた。ネット環境の整備やら自宅の作業スペースの確保やらでどれだけ金と時間を持っていかれたか。加えて食費、電気代とただでさえ安月給なのに金が飛んでいく一方だ。こんなことなら自炊の練習でもしておくべきだった。どれもこれもあの新型ウイルスとかいうやつのせいだ。
 そんなことを考えていると画面の前の初老の男から叱責が飛んできた。
「どうした、栗林君。上を向いたまま固まって」
「いえ、契約内容のことをちょっと考えてました」
 ここ最近の打ち合わせ相手はこの中谷さんだ。随分と年を取っている方だが、社内でもそれなりに顔が利くらしくこちらの提案に柔軟に答えてくれる。人を引っ張っていくリーダーというよりかは縁の下の力持ちといった感じだ。うちの課長とは真逆のタイプだろう。
「そうか、仕事熱心でいいことだ」
 そう返された後、お互いに今日の打ち合わせ内容のメモをチェックする。
「今回の契約はこの通りでよろしいでしょうか」
「ああ、問題はないし大丈夫だろう」
 相手方からの了承をもらう。これで今日の飲み会にも後ろ指をさされることはないな。
「今日は誠にありがとうございました。これからも御社とは長く取引を続けていきたいものです」
「いいよ、そんな堅苦しい挨拶は。とはいえ、今はこんな状況だ。これからも御社とはよろしくお願いしたい」
 はい、と返事をして時計を見ると五時を回っていた。今日のオンライン飲み会は七時から始まる予定だ。まだ時間には余裕がある。
「ところで栗林君、この後は時間あるかね?」
 まじか、中谷さんからの飲みの誘いがやってきた。この場合はどっちを優先すればいいんだ?
「えっと、そうですね。時間はあるにはありますが、あまり遅くなっても困るというか……」
「確か君は独り身だったはずだが?」
 つらい。
ここで追い打ちをかけられるなんて。何かがおかしい、同僚からの話では中谷さんはこんな無理に飲みに誘う人ではなかったはずだ。
「それはそうなんですが、今日は今日で会社での用事がありまして……、明日なら大丈夫なんですが」
 中谷さんと会社、どっちを取るかと言われたらやはり後者を取らざるを得ない。もちろん中谷さんだって大事な取引相手だし何よりも重要な人脈だ。だが今日参加しなかったら後が怖い。あとぶっちゃけ酒の席でするバカ話が楽しみだったりもする。
「なので今日はなにとぞご容赦願えないでしょうか」
 一瞬の静寂が訪れた。
「ははは、冗談だよ。からかって悪かった」
「心臓に悪いですよ。できればもっと健康にいいものにしてください」
 今でも心臓がバクバクしたままだ。笑えない。
「それに今日は君のところの飲み会だろう。邪魔するわけにはいかない」
 この人が知っているとは驚きだ。
「なぜ知っておられるので?」
「年長者は皆耳が長いものだよ。用心しておくといい」
「そうですか」
 大方、どこか別の課と契約しているところから漏れたのだろう。こういうのは突き詰めたらきりがない。
「それでは今日はここで失礼させてもらう。今後もよろしく頼む」
「はい、ありがとうございました」
「上手くやりたまえよ、君」
「は?」
 そう言い残して回線はプツンと切れた。
「何だったんだ、アレ」
 飲み会でのことか? 会社でミスをやらかしたことがないとは言えない。それでもここ最近のことで思い当たる節はないし、今日の打ち合わせは成功したと言っていいだろう。
 頭を振って考えるのをやめた。これ以上は無駄だ。それよりも今日の夕飯やらビールを買ってこなくては。


 エコバッグをもって近くのスーパーに行くと家族連れや仕事帰りのサラリーマンであふれていた。アルコール消毒を済ませると足早に総菜コーナーへ向かう。
 スマホで時間を確認するともう六時になっている。まだ何か残っているといいが。
 いざ向かってみると懸念とは裏腹に多くの弁当が陳列されていた。適当に弁当とつまみとして枝豆や餃子なんかを選んで、次はビールだ。
 飲み会において酒は文字通り主役である。いつもならビールを選んでいたが、ここはウイスキーにでもしようか、それともハイボールにしようか。
 まあ酒についての知識はないので、結局いつものやつになるのだが。三、四本かごに入れる。
 レジに行こうとすると、エコバッグの中からスマホの着信音が鳴った。連絡先を見ると「雨宮菜月」と表示されていた。
『お疲れ様です、先輩』
 スマホを耳に当てると聞きなれた声が電話に出た。
「どうした? この後飲み会だろ」
『いや、先輩は今日来るのかなって、ちょっと聞いてみたくなって』
「別に心配しなくたって行くさ。飲み会なんてここ何か月やってないし久しぶりにみんなと話もしたい」
 そう答えると胸をなでおろす声が聞こえた。
『それならよかったです。ところで、先輩は今どこにいるんですか?』
「今スーパーだけど。今日の晩飯とビールを買ってる」
『先輩いつもスーパーの弁当食べてるんですか』
「そうだな。大体そんな感じかな」
『体に悪いですよ。たまには自炊して野菜もちゃんと食べてください』
「自炊は苦手なんだよ」
 一応調理器具は一通り揃えてある。使ってないだけだ。
『なんなら私が作りにでも行きましょうか』
「いいよ、そこまで重大な話じゃない」
『こんなご時世だからこそ健康には気を使ってほしいんです。特に今は体を壊したら大変ですよ』
「心に刻んでおく」
『サラダの一品でも買ってたべたらどうです』
「そうするよ。ただでさえ運動不足気味だしな」
 えっ、という声が聞こえたが無視した。
『それじゃあまた後で。お疲れ様です』 
「ああ。また後で」
 それから総菜コーナーに戻ってごぼうサラダをひとつかごに入れた。あそこまで後輩が心配してくれているのを無下にはできないし、こういうのを一つ入れておくだけでも意識はだいぶ変わるはずだ。。
 雨宮は去年俺が教育役で指導していた新入社員だ。二年目でもう一人で契約を取れるまでに成長したらしい。教育役の俺としても鼻が高いものだ。とはいっても別に大したことはしてないし、あいつの努力の賜物だ。


 家に戻ってノートパソコンを開き、メールで送られてきたパスワードと番号を入力して部屋に入る。
「おっ、栗林君も来たか。これでだいぶそろったな」
「お疲れ様です。部長も元気そうで何よりです」
 飲み会の時間には少し早いかなと思ったが、人はだいぶ集まっていて、パソコンのカメラの前で会釈すると多くの人が同じようにして挨拶をしてくれた。
「栗林君の方も元気にやっているか?」
「はい、おかげさまで」
「こんな形だが今日は無礼講だ。社交辞令はいらないし、自由にやってくれて結構だ」
 参加者のモニターを見るとそれぞれが私服で参加し、背景の画像も自分のお気に入りのものに設定していた。参加者の一覧の中に雨宮も入っている。
「ああ、ビールとつまみは各自で頼むぞ。もしないなら今のうちに買ってくるといい」
「もうスーパーで買ってきてますよ」
「そうか、それならよかった」
 軽い雑談を交わした後、予定していた時間に入ったのを見て、部長が音頭を取り始めた。
「それじゃ時間になったことだし、乾杯!」
「「「乾杯!」」」
 ビール缶を持ち上げると一気に喉に流し込んだ。居酒屋でも自宅でもこの感触はやめられない。すこし愚痴を言うならあのジョッキの重量感がないのがなんとなく心寂しい。
「部署ごとに部屋を分けるからそこで話してくれ。九時ごろに終わるように設定したけど、抜けたい場合はいつでも抜けて構わない」
 パソコンの画面に招待の通知が来た。許可を押して部屋に入る。
 俺は営業部の第一課で、雨宮は確か二課のはずだ。別の部屋となると、話すのは難しいだろう。
「一課のみんな、久しぶりだね。上手くやってるかい」
 課長が気さくに話しかけてくれる。リモート中もこの人の明るさには何度も助けられた。
「まあぼちぼちって感じですね。電気代やら食費やら金がかかって仕方ないです」
「栗林さん、食費の問題は自炊すれば解決するんじゃないですか?」
 先輩の井出さんが半笑いで話しかけてきた。
「自炊なんてやったことないんですよ。社食で十分だったし」
「ここはひとつチャレンジしてみたらどうですか。もしかしたら料理が趣味になるかもしれませんよ」
 正直言って黒焦げにする未来しか浮かばない。
「そういう井出さんはどうなんですか」
「私はほら、弁当とか自分で作ってるし、それなりのものならできるよ」
 そうだった、この人キャラ弁作ってきたときに自信作だからって俺に自慢しに来たんだ。俺が普段アニメとか見ないの知ってるくせに。
「ここはやっぱり作ってくれる人を探してみるとか」
「既婚者の言うことは違うなあ。なあ、武井よ」
 婚活は考えてはいる。けど今は仕事の方を優先したいし、感染症が蔓延しているこんな状態ではどうせオンラインでやる羽目になる。やるなら実際に会ってみたい。
「毎食奥さんが作ってくれる生活か。羨ましくてため息が出るな」
 やけくそ気味にビール缶を空にした。
「言うほどうちも楽じゃないんだぞ。子供の面倒だって見なきゃいけないし」
「嬉しい悲鳴ってやつだろ。それくらい我慢しろよ」
 同僚が結婚して子供もいるなんてリモートの前は気にしなかったのに、なんだこの屈辱感は。
「そういうお前だって作ってくれる奴が一人くらいはいるんじゃないか?」
「いたらこんなに苦労しない」
「まあまあ、よく思い返してみろって」
 もしかして雨宮のことか……? いやあれは社交辞令の一種だろう。あまり本気にしないのが身のためだ。
「そういえば栗林さんが教育役だった雨宮さん、まだ二年目なのにあんなに成長してすごいですよね」
「いや課長、それとこれとは関係ないじゃないですか」
「そうですか? 噂で聞いたところだともう一人で大手の契約を取れるほどまでになったとか」
「本人が頑張った成果ですよ。俺のじゃありません」
 教育役といっても別に普通に教えてただけだ。特別なことは何もしてないし、他の人と比べてみても同じ内容だった。本人の性格が営業にあっているんだろう。
「栗林の取引先は中谷さんだったんだろ? そっちはどうなんだ?」
「え、特に問題なく終わったが……」
「あの人、見かけによらず結構手厳しいって聞くけど大丈夫だったの?」
「はい、打ち合わせ自体はスムーズに終わって……。あ、でも終わり際に飲みに行こうって誘われて、冗談とはいえあれは心臓に悪かったですね」
「他にはなかった?」
 中谷さんのあの謎の一言でも話すか。
「今日飲み会やることをなぜか知ってて上手くやれよって励まされたんですけど、何か知ってます?」
 そう聞いた途端、三人がもの知り顔で頷き始めた。
「やっぱりな、中谷さんにはお見通しってわけか」
「このままだとあの子も報われないだろうしね」
「まあ、ここは静かに見守りましょうか」
 俺の知らないところで話が動いている。もしかすると次の大規模なプロジェクトでも始まるんだろうか。
「それって仕事の話でしょうか」
「おまけに本人はこれだもんな」
 一体全体何の話なんだ。内容がまるで読めない。とりあえずビールを喉に流し込んで気を紛らわす。
「もったいぶらずに教えてくださいよ。大口の契約の話があるんですよね」
 これは一つ忠告だが、と前置きして武井が話す。
「お前は仕事だけじゃなくて趣味とかプライベートにも気を使った方がいいんじゃないのか」

 そうこう話しているうちに九時になった。それぞれの部署に分かれていた人たちが全体のグループに戻り、部長の一言で飲み会はあっさりと幕を閉じた。
「オンラインでの集まりはこれが初めてだったが、楽しめたなら幸いだ。この後は自由だが、家だからといって二次会で酔いつぶれないように。それでは解散!」
 お疲れ様です、と返事をして次々と人が抜けていき、俺も同様にしてパソコンの画面から離れた。
 オンラインでの会話はやっぱり慣れない。ひとたび終わってみれば閑散とした我が家と、空になったビール缶が数本残っているだけ。いつもの上司連中の鬱陶しい絡み方も、同僚と終電に遅れないように走ることも、今はもうできない。電源が落ちたパソコンが一台、俺の目の前にあるだけだ。
 落ち込んでいても仕方ない。明日も仕事があるんだ。風呂に入ってさっさと寝るとしよう。
 そんなところにスマホに一通のメールが届いた。
 これは……二次会の部屋か。差出人は、エヌ? 
 差出人の名前に疑問を感じながらもメールの内容に従って部屋に入ってみる。もしも間違いメールとか詐欺ならすぐ出よう。
「先輩、お疲れさまです」
「雨宮? 他の参加者は?」
「それが、私達だけしかいないみたいで」
 確認すると確かに俺と雨宮の二人しかいない。
「メールが送られてきたから入ってみたんだけど、雨宮は?」
「私もそうです。エヌって人から」
 どうやらメールが送られてきたのは俺たち二人だけらしい。悪戯の類か?
「俺もそのエヌからだ。誰か心当たりはあるか」
「いえ、というかアルファベットのエヌから始まる名前だと他の部署にも大勢いるので」
「だよなあ」
 こんな状況で抜けるのは悪いし、せっかくの機会だ。一緒に飲むとしよう。
「まあいいや、とにかく飲もうぜ」
 雨宮はビールをグラスに注ぎ、俺はビール缶のまま画面に向かって突き出した。
「「乾杯!」」


「あれから仕事の方はうまくいってるのか?」
「なんか、父親みたいな聞き方ですね」
 画面の前でくすりと笑われる。
「仕方ないだろ。去年の忘年会の後からお互い忙しかったんだし」
「そういうのは先輩の方がご存じだと思いますよ」
「俺が? なんで俺なんだ」
「先輩は私たちの教育役だったんだし、私たちのことは一番よく知ってるはずです」
 なんでこんな自慢げに話してるんだ。
「それで、どうだったんですか?」
「何がだ」
「評価ですよ。私たちの評価」
 真剣な表情をしてこちらを見つめてくる。別に悪い評判なんか無いのに。
「上々だよ、特に今年は。他の所より成績がいいってさ」
「それだけですか。他には何かあります?」
「……一人だけめきめきと実力を伸ばしているらしい。何でも大口の契約をもう一人で取ってきたとか」
「へえ、すごいですね。その子。先輩としても鼻が高いんじゃないですか?」
 自画自賛しといてその言い方かよ。
「別に、俺は当たり前のことをしてただけさ。そいつが自分でちゃんと頑張った結果だ」

「じゃあ、その子に何か言ってあげたらどうです?」

 頬を紅く染めながら雨宮はそう言った。
 それが酒なのか、それとも別の理由なのかなんて俺にはどうでもよかった。
 ああ、そういうことかよ。全く可愛いな、こいつは。
「よくやったな。お前がここまで成長して嬉しいよ」
「……ありがとうございます。先輩」
 ちょうどその時、雨宮に電話がかかってきた。
「すみません。ちょっと失礼します」
「ああ、行っておいで」
 パソコンのカメラを切ってから席を立っていった。
 おそらく同期とかからだろう。よくよく考えてみれば他からも二次会の誘いがあったにもかかわらず、あいつはこうして俺と話しているんだ。同期からの連絡が来てもたいしておかしい話じゃない。
 あいつが戻ってくるまで酒でも飲んでいよう。いや、少し時間はあるんだ。ちょっと探し物をしよう。


 カメラを切って急いで電話に出る。
「中谷さん、お疲れ様です」
『お疲れ。成り行きはどうだい』
 いきなり本題を突かれてしまって、黙っていると中谷さんは別に気にしていないという感じで話し始めた。
「えっと、その……」
『あまり進展はしていない感じかな』
「違います。というより急に電話なんかかけてきて、何かあったんですか」
『いやあ、二人の関係はどのぐらい進んだのか、知りたくなっちゃってね』
 今日の飲み会のあと、二次会に私と栗林さんだけの部屋を作ってくれるように頼んだのは私だし、もちろん感謝もしてる。でも、今呼び出さなくてもよかったはずだ。
「心配してくださってありがとうございます。こちらは大丈夫です」
『ならよかった。話の腰を折ったのなら悪かったね』
 そう言って中谷さんはもう切るね、と返した。
 どうせなら聞いてみよう。
「あの、ちょっとお聞きしてもいいですか」
『恋愛のテクニックでも話そうか』
「いやそうではなくて、何で協力してくれたんですか。他社の人間の、関係ない話なのに」
『こんな状況だ、惚気話のひとつでも聞きたくなってね』
「なんだ、そうだったんですか。もしご要望ならいつでも話しますよ」
『甘すぎて吐きそうになる。やめてくれ』
 そろそろここで切らないと。栗林さんが待っている。
「では、ここで失礼します」
『ああ、栗林君によろしくね』
 

 遅いな、と思いながら画面を前にビールを飲み続ける。もう十分ほどたった。とはいっても女子の会話だ。男には理解できないこともあるし、じっと待つことにした。
「お待たせしました。結構時間かかっちゃって」
 カメラが再びつけられ、雨宮が席に着いた。
「大丈夫だ。どうせ時間はまだたっぷりある」
 そう言いながら、新しいビール缶を開ける。もう何本目か分からない。
「あっ、先にお酒飲んで。ずるいですよ、私も飲みたかったんですから」
「うるさい、そっちの電話が長すぎるんだよ」
「あれやりましょ、アレ」
「またかよ、今何時だと思ってるんだ」
「別に何時だって、何度でもやりましょうよ」
 お互いに右手を前に出して、大声で言った。
「「乾杯!」」
 この日のことは絶対に忘れなれない。
「なあこの先、花火大会があるんだが一緒に行かないか」
「こんな時期にあるんですか、花火大会なんて」
「探してみたらあったんだよ。どうだ、行ってみるか」
「行きましょうよ、二人で!」
 夜は更けていく。

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