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Living

                              小田部歌

 テーマが「今」ということで、現在では、コロナウイルスが猛威を振るっていますが、そういったマクロな視点は置いといて、今回はもっとミクロな視点で書かせていただきました。様々な人(と言っても友人がほとんどですが)にインタビューをさせていただき、「今」に繋がる過去の出来事や、「今」の延長線である未来の自分に対して考えていることまとめさせていただきそれらを基に書きました。ですので物語というよりはエッセイというものに近いと思います。そして話の最後はそれぞれ私が個人的に感じたことを書かせていただきました。
 普段仲良くしている人物でも全く知らない姿を持っていることに驚きを隠せないことがたくさんありました。きっと人間の姿とは液体のようなもので決まった形を持たないのでしょう。
 自分の想像している人物像とは離れた話を聞いてしまうと、どうしても「私が見ているのは本当の友達ではないのだろうか」と悩んだ人もいるかもしれません。でも同じようにあなたにも人には言えないような姿や秘密があるでしょう。
 私はそう言った秘密や隠された姿こそが魅力なのだと思うことにしました。秘密がないということは、大切にしている物がないということだからです。
 私の話はここまでにしておいて、そろそろ彼らの話を始めましょう。どうとらえるかは皆さんに任せます。私が感じたことに共感してもいいですし、猛反対してくれても構いません。きっと自分で感じたことが全てで、その思いこそが貴方である証しなのです。

 Nは、もがくのだろう。

 幼稚園児のころ高校生の従妹がいて、ものすごく大人に見えた。高校生はきっと何でもできるのだろう。いつか自分もあんな大人になれるのかな。そんなことを思っていた。
 でも全くそんなことはなかった。高校生なんてまだまだ子供で、できることなんてたかが知れている。むしろ、小さい時のあの頃のほうがなんだってできた気がする。
 俺は今大学生としていて、大学生の時間をどう過ごすのかというのは個人の自由だ。大抵の大学生はだらだら過ごしている。ゲームなんかをしてたりね。貴重な時間を無駄に過ごしている奴が大半だ。
 第一志望に受かってウハウハしているやつなんかには絶対負けたくない。おれは志望校に落ちて、悔しい思いをしたけれどそれすらも無駄にできない。
 ある時大学の英語の教授が言ったんだよ。
「あなたたちは受験に落ちた人たちでしょう。でも困ったことがない」
 それを聞いたときには「は? ふざけるな」と心のなかで怒ったけど、よく考えたら真意が分かった気がする。
 きっと教授はこう言いたかったのだと思う。
 「もし第一志望の大学に受かっていたら、プライドは増す一方で天狗になっていただろう。でも落ちたことで物事をより俯瞰的に見ることができるようになったんだ」
 そう。いい大学に行ったからって全員が良い仕事に就けているわけじゃない。学歴がいいに越したことはないけど、それがすべてじゃない。良い仕事に就いているか否かは、当たり前だけど学生生活に差があるんだと思う。
 いいところの大学生だってしっかりしたやつはもちろんいる。でもそれ以上にだらけて、怠けまくっている学生だっているんだ。大学受験に失敗したからって人生が失敗したわけじゃない。生に絶望するのはまだまだ早い。
 それにおれはまだ二十歳にもなっていないし、夢だって叶えていない。
 おれには夢があるんだ。いつか飲食店を経営するっていうね。教授には止まられたよ。「リスクが高く危ない。やめとけ」って。でも失敗するかしないかなんてやってみなきゃ絶対に分からないし、やる前から諦めるのはもったいない。
 でもむやみやたらにやってりゃいいってものでもない。だから今は勉強をするんだ。横道を逸れる勉強ってやつをね。
 最近では転職が当たり前になった時代とか言われていて、転職する人も多い。歳をとったら就ける仕事の選択肢なんか狭まるんだから、わざわざ若いうちに選択肢を自ら狭くして転職しづらくする道理なんかどこにもないんだよね。夢を諦める気はないけど、もしかしたら失敗するかもしれない。だからその時のために、いろいろな分野の勉強をする必要がある。おれの学生生活はそのための時間だ。
 だけど実際、学校になんか行っても意味がない。学校のせいかも知れないけど、授業は高校の復習しているようなものだし。新しいことを学んでいる感じがしない。だからやりたい勉強は自ら進んでやる必要があるんだよね。
 海外の大学は、入試が簡単で、卒業するのが異様に難しい。日本とは逆だ。だから外国と日本の間には差がはっきりと存在しているのだ。
 日本の学生は「海外はすごいけど日本はだめだ。日本にはダメな会社ばかりだ」なんてたまにいうけど、そういうのを聞くと、思ってしまう。「じゃあお前らは学生の間に何かしたのかよ」って。
 この世界は確かに平等ではないけど公平ではあるんだよ。社会的地位とか、顔面のステータスとかは、まったくもって平等じゃない。当たり前だ。だけどチャンスは公平に与えられている。実際学生生活をどう過ごすかはそれぞれに委ねられているからね。
 大学の仲間たちと一緒に遊ぶのも楽しいし、嫌いじゃない。だけどそれだけじゃない。もっと楽しいことは世の中にいっぱいあって、おれはそのほとんどを知らない。
 今しかできないことを頑張れなければ。もっと、もっと。
 将来の夢はあるけど、未来のためだけに頑張っているわけじゃないんだ。おれは未来にも過去にも生きているんじゃなくて、「今」を生きているんだ。
 今、楽しいからこれをやる。今、興味があるからこの勉強をする。結局勉強っていうものは誰かに強制されてするもんじゃないんだよな。自分が楽しいと思えることを、自ら進んで学びに行って初めて勉強なんだ。
 どうせ未来なんて考えたってわからないんだから。考えるのが無駄なわけじゃないけど、そんな不確定なものを考えているより、好きなものを学んだりして今を楽しんだ方が得じゃない?
 楽しいからやっていると言っても辛い時がないわけじゃない。オリンピック選手だって一度は挫折するでしょう。でも今は、挫折から立ち直れる足腰を固める時期でもあるんだよ。だから辛くても楽しむんだ。おれは。

 Nの話を聞いて私は「彼は苦しみにもがきながら、生きていくのだろう」と思った。
 人生を歩んでいる内に、彼が満足することはないのだろう。それが彼の本質だと私は思うから。楽しいものをやっていてもどこかで感じる、満たされないという感覚が彼を辛くさせるのかもしれない。その心の空白を埋めるために別の楽しみを見つける。これをずっと繰り返していくのだ。だけど、それが人生を謳歌する生き方の一つかもしれないと考えさせられるのだった。

 Aは諦めた。

 ふと思い出す。なんで私はこんな人生を歩むことになってしまったのだろうと。
 自宅でスナック菓子を口に放り込み、テレビを見ながら水のように流れる時間を過ごす。
 季節はもう夏だ。もうずいぶんと成長したけど、私の中の時間はこれっぽっちも進んでいない。
 小学生のころは人前に立つのが好きだった。社会科見学とか移動教室ではいつもグループのリーダーをやったし、学級委員だって自ら進んでやった。人の目なんてお構いないし。私を見て。もっと私に注目して。
 目立つために勉強だって頑張った。負けたくない、目立ちたい、もてはやされたい。そのためには努力を惜しまない子供で、はたから見たら当時の私は頑張り屋さんのいい子だったのだろう。くそが。
 中学校は普通に地元のところへ行った。
 まだ名を知って間もない担任の先生がホームルームの時間に係や委員会を決めることになり
「学級委員やりたい人は?」
 そう尋ねられ、私は真っ先に手を上げた。ここでもきちんと仕事をしよう。そう思っていた。
 私は学級委員として恥じないようにまじめに勉強をしていたし、誰とでも仲良くなれるよういつも笑顔でいるようにしていた。ずっとにこにこしているのは大変だったけど、勉強と同じことだと思えば別に辛いことじゃなった。きっと誰かが見てくれているのだから、ちゃんと頑張らなくちゃ。でも今考えると、このときにはもう人の目を気にしていたのかもしれない。
 ある日、給食のあとにトイレにいった。女子トイレっていうのは怖いところで、女子たちがどんな話をしているかわかったものじゃない。
「Aちゃんってさ、めっちゃぶりっ子じゃない?」
「だよね。うちも思ってた。めっちゃ先生とか男子に媚びてるよね。まじで気持ち悪いんだけど」
「本当に吐き気がする」
 漫画みたいだけどそうじゃなかった。紛れもない現実。それからのことはよく思い出せない。授業は垂れ流しのラジオのようで、クラスメイトの話し声が気持ち悪くて、吐き気がした。
 どこを通って家に帰ったのかすら覚えていない。気がつけば自分の部屋の中にいた。この日から私は人の目を悪い方向に意識しだすようになった。
 私のことを笑っているんじゃないのか。陰口を言われてるんじゃないのか。
 人のことが信じられなくなって、終に私は学校へ行くことをやめた。きっとどこにでもある、だれにだってありうる出来事だ。そんな小さい出来事でも私は学校へ行くことをやめた。今まで体調が悪くて休むことも多々あったから学校を休むことに対して罪悪感はなかった。
 今日も明日も明後日も家で過ごす日々。楽しくはないけど辛くもない。思春期の女子が家にずっといると必然的に親と衝突することが多くなるけど、なんとか耐えることができた。こうして家のなかで過ごしていたら、もう三年生になっていた。
 自慢じゃないけど地頭はよかったから嫌々ながら高校には進学できた。親や先生達が言うように私自身も環境が変われば学校へまた行くことができるんじゃないかと思っていた。期待で胸を膨らませて高校に入学した。
 やっぱり無理だった。いけたのは四月の間だけでゴールデンウィークがおわるといけなくなっていた。
 もう疲れた。
 こうして私は学校へ行くことをあきらめた。
 これから私の人生は諦めの連続なのだろう。もうそれでいい。労力を使わず、省エネで生きていきたい。
 今の私に昔の面影はない。
 でも、こんな私でも、いつか普通の人生を歩んでいけたらいいなと思っている。目立つことがない「普通」が一番いい。

 話を聞き終わって、彼女のことをバカにする気持ちにはなれなかった。僕の中にも、彼女のように何もかもに諦めてしまう自分がいるから。けど、彼女は僕じゃない。僕の人生は僕の物であるのと同様に、彼女の人生もまた彼女の人生だ。自分の人生を重ねてしまうのはきっと失礼なんだと思う。
 Aは自らの人生を諦めの連続だと思っているようだが、言葉でいうほど「諦める」という行動は簡単なことではないのだ。人間はいつだって希望を持ってしまう生き物なのだと思う。諦めたと言い、仮初めの諦めを主張したところで事態は一向に変わらず幸せになることはできない。 もしも彼女が本当に何かを諦めるときが来たとするならば、諦めることを諦めたときであって欲しいと切実に願う。

 Uの恐怖とは。

 元来病弱な人間だった。小さい頃には心臓病を患ったり、身体の変なところに水がたまったり。一か月に一回は風邪をひき、気は小さくて泣き虫で、おまけにドジで見ているだけでイライラするような子供だった。今でも、ヤンキーみたいな人は怖いし、人の視線が怖い時もあったりする。
そんな私の一番古い記憶と言えば、ある日、幼稚園へ向かっていく途中の風景だ。母親の自転車の後ろの席に乗せてもらい、夏のセミが鳴いている道を駆け抜ける。
 それ以上昔のことは覚えていない。
 幼稚園生のころはなにも考えないで生きていた。世界が善いものと悪いものだけで成り立っていると思っていて、すべてが鮮やかに見えた。
 小学校に入学して、すこし友達が増えた。色んなやつがいた。足が速い奴。頭がいい奴。先生に媚びるやつ。授業をさぼるやつ。本当に色んな人間がいた。「学校めんどくさい」と言いながらもそこそこ楽しんでいた。
 そんな私に悲劇、というほどのことでもないけれど、当時の私にとっては衝撃的な出来事が起こる。小学三年の秋、病を患った。当初は風邪だと思われたが、なかなか熱が引かずピーク時で体温が四〇度になった。そのときのことは、意識が朦朧としていてあまり覚えていないのだが、寝室で横になっていると壁や天井がグニャリと歪み始め洗濯機の中で転がされているような気持ち悪さが常時襲っていた。
 大きな病院へ行くと、さっそく検査が始まった。何度もブスブスと、針を刺された。注射だ。脊髄に針を刺されたときには頭の中が凍り付いた。身体は燃えるように暑いのに、頭の中が固まる。人間は眠っているときでさえ夢の中で何かしら考えているものだ。しかし痛みで頭が真っ白になった。この苦痛が続くならいっそこのまま死んでしまいたかった。どれほど地獄が続いたのだろう。
 検査後の私の様子は親の顔もわからないほどだったという。
 検査結果を端的に言えば、手術が必要な病気だった。それから私の入院生活が始まる。
 病院のご飯は味が薄い、まずいなんていうけれど、全くそんなことはなく、ご飯はおいしく、ゲームも普段よりしている時間が長かった。
それに友達もできた。二回ほど病室や病院を移動したことがあったが、どこにいても友達ができた。今思えばあそこは楽園だったかもしれない。
しかし、そんな生活はあっという間で、とうとう来たのだ。
 手術前と手術後で世界が変わったかというとそんなことはない。なんで私がこんな目に合わなきゃいけないんだろう。なんか悪いことしたかな。これからちゃんといい子にするから、だから手術しないでも治りますように。なんてことを手術室へ運ばれていくストレッチャーの上で思っていた。
 そんな無駄なこと考えていて、気がつけばもう終わっていた。
 目を開けるとそこはいつもの病室で、同じ病室の友達がこちらを覗き込んでいた。お腹を見ると斬られた腹に、血が染みたテープのようなもので止血されていて、もう終わったことを悟らせた。
 手術で疲れた私に、友達は何度も笑わせてきた。笑わせるたびに、メスを入れられた傷が開きそうになって、とても痛かった。だけど思考が凍り付くような痛みじゃない。心が温かくなる痛みだ。
 手術が終わったから他の何物も怖くなくなった。そんなことない。手術が終わったって幽霊は怖いし、ゴキブリだって怖い。人から裏切られることだって怖い。怖いのだ。恐怖に慣れはない。怖いものはずっと怖い。だけどもし恐怖の先には、幸せだと感じる物事があると知っているのなら、恐怖に打ち勝てるのかもしれない。
 恐怖に挑んで乗り越えた先にはきっと楽しいことが待っている。そう思って暗い恐怖の海に飛び込んでみるのも悪くないかもしれない。
「いつか、怖いものとか、苦手なことでさえも楽しめる人間になりたいな」

 そんな彼女の話を聞いて僕は、強い人間なのだと思った。その強さは彼女の恐怖の積み重ねのおかげなのだ。いかに不幸な体験をしようともきっといつかは変容してしまうのだろう。だから落ち込むことはもうやめて前を向いて歩いていこうと思った次第だ。

 Kは水となった。

 手がかからない子だと言われた。兄とは違い、素直でまじめないい子だと。おれは褒められることが嬉しくっていい子で居続けようと思った。そんな俺のことが嫌いだったのか兄はいつもちょっかいを出してきた。そのたびに泣いている自分に少々腹が立つ。殴る蹴るなんて日常茶飯事で暴力的な兄が大嫌いだった。つまるところ俺のゲーム嫌いもこの理由が大きい。いつだってゲームに勝つのは兄で、敗者は自分だと相場が決まっていた。勝てる試合なんかして何が楽しいのだろうと心の中で悪態をつきながら表面上では兄の機嫌を損なわぬよう楽しいフリを続けた。
 俺の弱気なところを幼稚園や小学校でも責められた。責められるというよりバカにされるというか、いじられるって感じか。
 中学校に入って「いじり」はエスカレートしていった。自分が何かをするとことごとく馬鹿にされ「いじり」と呼べるものではなくなっていた。気がつけば「いじられキャラ」として思春期の子供がもつ社会に対してのストレスをぶつけるサンドバッグと化していた。このとき、ようやく俺はいじられてしまう体質なんだと悟った。
 こんなふざけた体質のせいでこの先ずっと悩み続けなければならないと思うと心は鉛のように固く重いものへと変わっていった。
 いっそのこと死んでしまおうか。死ぬ勇気なんかさらさらないけど、それでもこのまま生気続けているよりか幾分マシに思えた。まだまだ先があるっていうのに死ぬなんてもったいないとか大人は言うけど、きっと彼らは知らないんだ、「いじられる」ってことがどんなことか。尊厳を汚され、自尊心を傷つけられ生きている心地がしないということを。時には受験に落ちただけに死にたくなることだってあるし、夏休みがおわるだけで生きる価値を見出せなくなる者だって存在する。
 そもそも死ぬ理由に真っ当なものなんてありやしない。休みが終わって死ぬより、「いじめ」から逃げたくて死ぬことの方がよっぽど妥当ってものだ。
 ファーストクラスでは過ぎてくれなかった俺の中学時代は不満をため続け、吐き出すことなく終わった。
 高校になってもまたいじめられるのだろうか。もしそうなら本当に死んでしまおうか。
「Kって面白いわ」
 それが高校生活でできた友人からの言葉だった。
 それまでの世界が一変した。
 「いじられる」ことは「いじめられる」ことと同義だと思っていたがそれが違っていたんだと初めて理解できた。具体的に何が違うかは説明できないんだけど、それでも違うのだときっぱり言い張ることができる。本来「いじられる」ということには悪意が含まれていないのだろう。それまでに受けていたいじりは実は「いじめ」であって、これが本当の「いじり」なのだ。
 高校で出会った友達の「いじり」には悪意の欠片もなく、みんなが幸せになれるような笑いがそこにはあった。
 こうしてようやく兄や中学校の呪縛から解けて、自分をさらけだせるようになったんだ。
 自分を閉じ込めておくことは周囲の人々と円滑にコミュニケーションを行う一つの方法ではあるけれど、しかしやっぱりそれはたった一つの手段でしかない。悪いとは言わないけど、疲れるんだよね。
 だから逆に自分を受け入れさせることにした。自分をさらけ出して許してもらえるなら良し、そうでないなら関わりあうのはやめておく。
 現在は大学生になって、高校の友達とは少しだけ疎遠になってしまった。だけど高校での経験を活かして今でも楽しく学生生活を過ごせている。
 十年前の俺には想像もできなかった。がんばって生きてきてよかったと思える最高の友達たちと出会えるなんて。
 多分この先も辛いことなんていくらでもあると思う。だけど頑張って生きてりゃ大抵は何とかなっちゃうんだよな。
 保育士っていう夢にはまだほど遠いかもしれないけど、まあなんとなるでしょ。

 Kはきっとまじめに生き続け、高校で適当に生きることを学んだのだと思った。Kとは小学校以来の友人であるがやはり高校でがらりと変わったように思える。髪の毛を遊ばせるようになり、おしゃれにも敏感になった。まるで別人と言っても差し支えない。
 適当に生きることで自信をつけたのだ。適当とはまるで水のようなものだ。どこまでもやわらかく、生命を育むことができる。
 これは今の若者たちに必要な能力なのではないか。もし彼のように、心を縛るきつい鎖をゆるくできるのならば、楽に生きれるのだろう。

 Mは麻痺した身体で何を思うのだろう。

 私はおとなしい子でした。いいや、ごめんなさい。おとなしいっていうよりは気が小さいっていった方がいいですね。ものすっごく気が小さくていつも何かにおびえている。何かが起こればすぐにビービーと喚くような子供でした。
 小学校に上がってもそれは変わりませんでした。だけど私には友達が増えました。友達が増えたおかげで私は「安心」というものを覚えました。
私はそれまでおじいちゃんとおばあちゃんに育てられていたのですが、おばあちゃんがとてもダメな人間だったんです。
 具体的に言うと家事をまったくやらないんですよ。病気とかじゃなくて、ただめんどくさいから。それに母やおじいちゃんが稼いできたお金をパチンコで溶かしてくるんですよ。本当の話ですからね。こんなおばあちゃんのもとで育ったものですから、私は気が小さかったのかもしれません。おばあちゃんは私のことを嫌っていて、いつもいじめてきた記憶があります。何をされたか詳しいことは覚えていないですけど。
 とにかくおばあちゃんお世辞にもいい人だったとは言えなくて、私のことはなんでも全部おじいちゃんがやってくれていました。
 家ではこんな生活を送っていたので私は学校で「安心」を得ていました。当時はそんなこと微塵も思っていませんでしたが、持つべきものはやはり友達であると身に染みて感じていました。絵にかいたような友達ばかりでした。優しいし、楽しい人たちばかりだった。
 でも私が見ていた現実は本当の現実ではなかったんです。「こうであるはずだ」っていう捻じ曲げた現実だけを見ていたんです。
 こんなこと言うのは少々恥ずかしいですが、ある時クラスメイト男子が私に惚れていたときがあったんです。その子と遊んだことなんてないし、話した記憶さえもない。何がきっかけで彼が好意を持ったのかは本当に、今でも謎です。小学生ですからきちんとした告白があるわけではなく、いつのまにか消えていった話です。ですが当時は私にとっては少々問題がありました。その男子は私の友達が惚れていた男の子だったんです。面倒な三角関係です。私は友達との関係が崩れてしまうのが怖くて、何もしないことを選びました。きっとこれが私にとって最善の策だ。でもこの問題はどうしようもないものだったのでしょう。行動することを選択したとしても私は結局同じように陰で悪口を言われるようになっていたでしょう。
 私は裏でひそひそと悪口を言われるようになりました。いくら小学生だといってもやはり人間で、人間が集まればそこには社会が生まれる。小学校も立派な社会だったわけです。社会があるということは往々にしていじめが起こるのです。
「女って怖い」
 これが小学校で学んだことです。
 今おかしいと思いませんでした?
 なぜ気が小さく泣き虫な私が泣きも喚きもしなかったのか不思議じゃありませんでしたか?
 実はいじめを受ける前にもう一つ私を変えた出来事があったんです。
 朝だったか、昼だったか忘れてしまったんですけど、おじいちゃんが死んだんです。
 ああ、ごめんなさい昼のことでした。昼というか、夕方ですかね。いつものように学校から帰ってきたんです。
 また家に帰らなきゃいけないのかなんて溜息混じりに玄関のドアを開けたんですよ。
「ただいま」
 誰の返事も帰って来ませんでした。返事がない時もままありましたから不思議には思いませんでした。
 居間にランドセルを置いて、寝室に向かったんです。宿題しなきゃいけなかったけどゴロゴロしたかったので。
 首を吊っていました。
 おじいちゃんが首を吊っていたんです。
 その光景を見た後の行動は意外と冷静で、隣の家の人に助けを求めました。隣人は私の拙い言葉を理解してくれて、救急車とか呼んでくれたりしたんですけど間に合いませんでした。後のことはよく覚えていません。
 何が彼をそうさせたのかはわかりません。遺書みたいなものも特になかったし。おばあちゃんのせいかもしれないし、私のせいかもしれません。
 おじいちゃんは寝室で首を吊って亡くなり、私はそれを見てしまった。このこと以上に怖いことに出会ったことは未だありません。
 それから中学、高校と歳を重ねていきましたが、登校しなかったり、問題を起こしたりで散々な生き方をしています。
 ですが寂しい時には職場の先輩が話を聞いてくれるし、誰かに好かれ愛情を受けられるようになり、そこそこ幸せな生活を送っています。
 自分でいうのもなんですが、辛いことは数えきれないほどありました。でも大半が乗り越えれば楽なことばかりでした。
 最後に十年後の自分へ言葉を残して終わろうと思います。
「大好きな人を忘れないで、仕事頑張っていいひと見つけろ、辛くなったらリスカは許す」

 Mは麻痺したのではないか。今回話してくれたこと以外にも苦しみを味わってきたのだろう。身体の痛みなど慣れてしまうなんてセリフを訊いたことがあるが、心の痛みが慣れないなんて誰が決めたのだろう。Mは苦しみというトゲに何回も刺さるうちに、刺さったことにさえ気づかなくなってしまったんじゃないか。痛みに鈍感になってしまったのではないか。だから乗り越えた苦しみを楽だといったのではないか。そう思うとゾッとしたがよく考えてみるとそう不思議なことではなく、むしろ当たり前のような気がしてきた。
 私たちは大人になっていくにつれて、分かってしまうことが増えていく。
 魔法などないということ。特撮テレビ番組のように絶対な正義などないということ。夢は必ず叶うわけではないこと。努力が報われないときもあるということ。普通に生きていくことは意外にも難しいということ
 そんな辛い現実に叩き潰されないように、これ以上情報を入れないため必死になって目を瞑り、耳を塞ぐようになり思考を放棄するということが世間一般でいう成長というものの実態なのではないか。もしそうなら成長したくない、大人になりたくないと思ってしまったのはもうすでに大人になってしまったということだろうか。
 いずれにせよMはもう少しで成人してしまう。Mもまた空っぽな大人になってしまうのだろうか。

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