映画感想:「The Room Next Door」/ 第81回ベネチア国際映画祭 金獅子賞
ペドロ・アルモドバル監督初の長編英語映画
映画オタクの私にとってペドロ・アルモドバル監督はかなり好きな監督である。スペイン語の情熱的なセリフ、色鮮やかな映像美に肉体美、ちょっとアブノーマルな人が出てくる映画。
特に「オール・アバウト・マイ・マザー」なんか何度も見返したくなる出来だった。実際にアカデミー賞外国語映画賞を受賞している。
そのアルモドバル監督が初めて英語でアメリカ・ニューヨークを舞台に撮ったのが本作「The Room Next Door」だ。ステージが進んだガンに侵されたマーサ(ティルダ・スウィントン)は安楽死を望み最後の数日間を、親友のイングリッド(ジュリアン・ムーア)と過ごす。この2人の思い出や関係性、
人は最後に何を思いながら過ごすのか。「死」について描いた物語だ。
見終わった最初の印象は彼の作品にしては「静か」だと思った。もちろん死んでいく人を描くのであれば、そうなるかもしれないが、静かに見えるのは英語とスペイン語の違いだと思った。言語が違うだけでこんなに印象が違うのかとおもわされた。
ティルダ・スウィントンが役作りで痩せすぎて心配になる
死んでいく女性マーサを演じたのはティルダさん。病気でだんだんと痩せていくのがリアルで、最後は本当に心配になるほどだった。元々痩せているティルダさんがもっと痩せていたから。そんなマーサが最後の死場所として選んだのが貸別荘(おそらくエアビー)で、映画の設定ではウッドストック(NYの避暑地)ということらしい。まず、デザイナーズハウスがオシャレすぎる。映画をこれから見る人にはその家にも注目してもらいたい。やはり、アルモドバルの映画には必ずと言っていいほどオシャレな建物や色彩がある。彼の画作りにはきっと緻密なデザインのこだわりがあるはず。
そして、死んでいくもの(マーサ)と、山、森、花、鳥などの描写で描かれる生きているもの。その対比が美しかった。ニューヨークの都会で長年過ごしきたマーサは最期は自然に帰っていったのだ。
死を前にして 「後悔」は必ずあるものなのかもしれない
死を目前にして人は何を思うのか。それは死を目前にした人にしかわからないことかもしれない。全ての人に訪れる「死の目前」。人は生まれ、必ず死ぬ。それは平等。私自身は何を思うのだろうか。
一人の女性が死を目前にし、何を思うのかを丁寧に情緒的で叙情的に見せてくれたのがこの映画だ。
死を受け入れたマーサでも後悔があって、、、、その後悔は映画を見てもらいたいのでここでは書かないけど、誰にでも「後悔」はあるのだと感じた。
小さなものから。大きなものまで。
ああ最後に大好きな寿司を食べたかったな、とか。
疎遠だった家族の◯◯に会ってお別れを言いたかったな、とか。
なるべく後悔のないように生きたいと思うが、最後の後悔が寿司レベルであれば、それは後悔がなく生きたってことになるのかもしれない。
最後に、この映画ではどう死にたいかを考えさせられる。しかし、死ぬタイミングや「死に方」は私たちには選ぶことができない。
だからこそ「生き方」は選ぶことや変えることができるのだから、
生を楽しみ、人と出会い、喜びや悲しみを共感し、人生を謳歌するべきだと思う。