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五十嵐隆のインタビューを読んだ
今月号の『音楽の人』に掲載されている五十嵐隆(syrup16g)のインタビューを読みました。
それについて、感想みたいなものを書きたくなってしまうような内容でした。
インタビューをもとに、私の人生観を絡めて五十嵐を分析していきますので、五十嵐隆ファンの方が望むような内容ではないことを先にお詫びしておきますね。
私はよくnoteで五十嵐隆の話をするけど、こういう時って五十嵐隆“さん”って書いた方が良いのかすごく悩みます。
こんな一ファンの戯言なんだから普段通り五十嵐呼びでも良いのかとか、でも昔マキリン(キタダさん)がTwitterで「五十嵐“さん”だろ」と言ってたことがあったなとか、がっちゃんじゃなんかフレンドリーかなとか。
でも今は、五十嵐さんって言いたい気分かもしれない。
五十嵐さんって今年で48歳なんだよね。私はちょうど干支二回り離れてるので24歳になるんですが、ほんとに両親の世代なんだよなって思うたび、不思議な気持ちになる。
音楽を聴くのに年齢なんて関係ないとは思うけど、とはいえ、24歳(女)が48歳(男)に陶酔するってなかなかかなって。
五十嵐さんと同世代だと、エルレの細美さんやナンバガの向井さんがいらっしゃるけど、そのお二人に陶酔するとはまた何か違うものかなと思う。
私はいつもシロップのコピーバンドメンバーやシロップのコピーバンドをしてる後輩と複数人でライブに行くけど、結構浮いてるなと感じる。あまり同世代のファンが見当たらない。
それもそうか、1996年に結成って、私たちまだ0歳ですもんね。
インタビューの内容をどれくらい書いていいのかわかりませんが、本文丸写しは論外として、要約くらいで触れていきます。
まず、「俺が言いたいことはもうネットに転がってるから、それをまた俺の言葉で歌詞にするのは…(以下略)」という話。
この言葉は矛盾してるなと感じました。
私はこの五十嵐さんと同じことを思って、その結果一つ前のnoteに書いたような(是非そちらも読んでいただけたら嬉しいです)今になってるんです。
私がこんなこと書いたってバズらないし、バズりたいかもわからないし、とにかく私と同じようなことを既に言ってる人はたくさんいて、しかもむしろそちらの方が話題になっていて…と考えているうちに、趣味でやってるはずのnoteでさえ気力が失われていく。
こんな何でもない私が世間の気持ちを書いて一体何が生まれるんだって言うんだ。
まさにそれが私の場合は五十嵐さんに対して思うことで、「俺の言葉で歌詞にするのは…(以下略)」という言葉すら、ほんとは世の中にもうありふれてる感情なんですよ。
だけどそれを五十嵐さんが五十嵐さんの言葉で言うことに価値がある。
ご本人はとても謙虚でいらっしゃるので自覚がないのか、自覚があっても認めたくないのかわかりませんが、
「何を言うかじゃなくて誰が言うか」というよくあるテーマにおいてあなたは「誰が言うか」で価値を生み出せる存在ですし、「何を言うか」でも価値を生み出せると思うんです。五十嵐さんにしかない独特の言葉選びで、そう。
だってそうじゃなきゃ私だって、頭を空っぽにして五十嵐さんの言葉を「うんうん」って聞くなんてできないです。
だけどやっぱり心惹かれてしまうのは、ありきたりなことを特別な言葉で切り取ってくれる天性の才能があるから。
私はiPhoneのホーム画面を『copy』のフライヤーにしていて、アイコンたちのちょうど真ん中を縫って「君に存在価値はあるのか」って見えるんですよ。
『生活』で好きなフレーズって、「心なんて一生不安さ」とか色々あると思う(むしろ全部パンチライン)のですが、こんな言葉誰が思いつく?
思春期を迎える頃に陥りがちな、「俺って生きてる意味あるのかなあ」「俺って誰かに必要とされてるのかなあ」というアイデンティティの確立に向けた悩みを、
こんな端的に嫌味なく爽やかに鋭く表現された言葉を私は他に知らない。
音楽も作れない分際で偉そうなことを言うと、リスナーが音楽に求めることって、例えば「愛してるをあなたのどんな言葉で歌ってくれるのか」だと思います。
ここで、ネットで有名なコピペを載せますので息抜きにでもご参照ください。
・会いたくて会いたくて震えるのが西野カナ
・会えないから会いたいのが沢田知可子
・会いたくて会えなくて長すぎる夜に光を探してるのがGLAY
・会いたくて会いたくて素直な自分でいつも いられないのがLINDBERG
・会いたくて会いたくて眠れぬ夜にあなたの ぬくもりを思い出すのが松田聖子
・会いたくて会いたくて言葉にできないのが 小田和正
・別に会う必要なんてないのが宇多田
そう、「会いたいけど会えない」、こんな、老若男女が心に抱えてるような寂しさを表現するだけでも、こんなにもアーティストによって表現方法が違う。
だからね、ありふれてる言葉だとしても、五十嵐さんの言葉で歌って欲しいなって思います。
シロップにおいて、会いたいけど会えないに当てはまる楽曲ってどれだろう。
『君待ち』?『翌日』?『月になって』?『thank you』?
会いたくて誰かを待つテーマの歌詞さえもこんなにバリエーションがあって、それぞれ全く異なる印象で、だからね。
だけど、五十嵐さんなりの言葉選びで書いて欲しいの!って言ったってさ、
ほんとにこんなクオリティでいいのか?という葛藤はつきものなわけで。
それは自分に対してもそうだし(俺がやりたいことはこの完成度のものなのか?)、リスナーに対してもそう(このレベルの完成度でお届けしても良いのだろうか)。
やっぱりそういう葛藤の部分は、私たちリスナーでは察せないものだから。
私ね、もしかしたらすごくイタイファンだと思うんです。
年齢的にもリアルタイムでシロップを応援してこれていないから、必死になって後からインタビュー読みあさったりライブ音源観たりしてたんだけど、
アルバムの時期ごとにどんどん五十嵐さんは変化していってて、特に再結成後の五十嵐さんの変態は顕著だった。
それなのに、どの時期の五十嵐さんの言葉を読んでいても、「あぁ、私だな」「あぁ、あの頃の私だな」と思えてしまう。もっとも、「私って五十嵐隆なんじゃないかな」って本気で思うことだってよくある。
だから良いと思う。五十嵐さんが変わっても、私も変わっていくから。片方だけずっとその場から変化しないで置き去りにされていくっていうのはとても寂しいものだから。
だから、昔のシロップを求めるリスナーがいても当然だと思うし、私もHELL-SEE時代のシロップをまた観たいって思ったりもする。だからと言って、じゃあその頃の音楽を維持し続けて欲しいなんてリスナーはそんなに多くないのではないんじゃないかな。
あの頃の音楽はあの頃の音楽として素敵なまま。だけど今の五十嵐さんが作る音楽もきっと今のシロップとして愛されると思うし、待ち望んでるファンがたくさんいることを私は知っています。
「俺たちのライブに来てくれる人を、もう誰も脱落させない」「俺とリスナーは共依存」、まさかそんな言葉を聞けるなんて。
嬉しい、ありがとう。
あなたが私たちを必要としてくれて、本当に嬉しい。
だって昔は、お金を払って音楽を享受するなんてある意味ドライな関係って割り切ってらっしゃってたから。
もっとリスナーの優しさに甘えて欲しい。
誰もいなくなったりしない。みんな待っていてくれる。
だからアーティスト、五十嵐隆としてのプライドを捨てる必要は全くないと思うけど、「このライブの間だけは、一つの志を持って集まった運命共同体なんだ」って思ってくださるんだとしたら、私はもう何よりの幸せ者です。
尖ってた頃の自分の方が良かったのか、毒が抜けて丸くなった自分の方が良かったのか。
これは、こんな24歳の私でもかなりぶちあたる壁です。
大学時代、ありのままの自分で好き放題やっていた頃、「お前は本当に面白い奴だ」とそのクレイジーさを買ってもらい、コミュニティから求められていたけど、確かにそれは楽しかった。尖ってたし、私に敵なんかいねえのメンタルで自由奔放にやっていた。
だけど大学を卒業して、就職して、面白い奴ではいられなくなった。なるべくクセを隠して、当たり障りのない人間にならなきゃ。それはそれで心地が良かった。余計なフラストレーションに悩まされることもないし、他人と適度に距離感を保ちながら穏やかに過ごせていたと思う。
だけどたまに思う。「お前つまんなくなったな」って言われると、「そうだよね。お高く止まり過ぎてるよね。何の個性もないありきたりな存在になってる」という現実に向き合わなければならない瞬間が訪れる。
だから、あの頃の私に戻った方がいいのかとかたまに悩んだりする。誰が求めるわけでもないかもしれないけど、やっぱり自分としても面白い(funnyじゃなくてinteresting)人間でありたいと思うからだ。
だけどそれと同時に、その面白さは私なりの苦悩や苛立ちからくる感情の犠牲によって成り立つものだから、またその頃みたいに苦しみにいくのは御免だとも思ったりする。
五十嵐さんの葛藤って、それに近いものだという解釈をしてもいいのかな。
HELL-SEEの頃は確かに尖ってて、自分にも周りにも苛立ちを感じていて、自分を追い詰めることで良い作品が生まれていた。もっと言うと、自分を殺そうとすることで…
だけど再結成後はファンやメンバーに温かく見守られて、昔に比べたら穏やかな気持ちでライブを迎えられている。
だからこそ、当時のような音楽を作るのは難しい。当時のような気迫のあるライブをするのが難しい。それを求めてくれていたファンには申し訳なくなることもある。だけどこれが今の俺がお伝えできる俺であり俺の音楽だから、それを受け取ってくれたら嬉しい。
五十嵐さんが丸くなったことはファン歴の浅い私でもライブ映像やインタビューを観ていると伝わってくる。
今回のインタビューで少し意外だったのが、「五十嵐ってまだそれなりにイライラしてるんだ」って。
無観客生配信を当初は嫌がったり、セトリ公開後にもう一度そのライブをやることを嫌がるのは昔と変わってないんだなって微笑ましく思ったし、
なんかもう世の中のこと全部受け入れてちっぽけな自分を認めてしまって小さくなってるようなイメージがあったから、
初期衝動の欠片みたいなものは残したまま、自分の感情を上手くコントロールできるようになったのかなと思った。
あれもこれも「受け入れるしかない」ではなく「受け入れていこう」といった変化があったのではないでしょうか。
五十嵐さんって碇シンジくんみたいだなって思う瞬間がある。
本人はまだ自分の才能に気づききれてなくて、もっとは自由になってもいいのに、一部の利己的な意見に応えようとしてしまう。
これは私の勝手なイメージです、偏見にも程がある。
ということで、おそらく今後加筆するかとは思いますが、とても素敵なインタビューでした。