偶像崇拝アイコノクラズム
うっかりアイドルについて考察を進めてきてしまった。
何も小難しくアイドル論を展開したいわけではなく
前置きのようなものでそれをせずにアイドルを語るのが落ち着かないというだけなのだが。
アイドル
という言葉が面映いのは
その意味するところがidol 偶像 神をかたどったものからくる言葉であるからだろう。
ここでまた私の身の上話となるが
昨今話題?の宗教二世であり
20歳まで自身も熱心に信仰していた人間が私である。
今は完全にその洗脳(なんていう言い方もオウム以降なんだけどね)が解けているのでご安心を。
(色々ハードな体験もあるけどそれはまた気が向いた時にでも)
おかげで宗教とそれに類似した心理コントロール術に詳しくなってしまった。
実体験から言っても
信仰状態に相手を置いておきたい場合常に触れさせて
行動様式生活の基礎に自ら置くようにさせることが最も効果的な方法だ。
?
それって宗教じゃなくても…?
そう。誠に恐ろしいことにそれは全てそうなのだ。
語弊を恐れずに言うなら
全ての人はなんらかの信仰状態にある。
本当はもっともっともっとその話の続きをしたいのだけれど
アイドルについて書くつもりなのでまずはここで一旦話を置く。
子供の頃は全然漫画を読まなかった。
同じ厚さの小説の方が長い時間楽しめるとかいう理由で。
それが漫画を読むようになったのは20歳を越えてからで
この頃は前述した持病や(今はすっかり寛解している)
事故や入院やらなんやで心身ともに頼りなく
いわゆるサブカルと呼ばれる文化の方が居心地良かったのでガロ系中心に
後は妹が少年ジャンプファンだったこともあって
なんとなく手を出すようになっていた。
なのにきっかけがわからないのだが
なぜか「花のあすか組」というツッパリ?ヤンキー?漫画に夢中になっていた時期がある。
少女漫画なんだろうけど
荒唐無稽な設定が多く
例えば
裏番てなんやねん?とか
SSってヲイっとツッコミどころは沢山あるだろうが
心身弱りきっていたその頃の私にはこの漫画がとても効いた。
一人で立って生きるという当たり前のことをこの漫画から教えられた。
サブカルも逃げ場としては良かったのだけど
逃げてばかりもいられない。
と良い話し風に語ったが実はここでこの漫画を引用したい理由はそこではなく
アイドルの実態と仕掛ける側の意図するところ というのが
のように描かれており
つまりは「金儲け」だということだ。身も蓋もない。
ここで話を元に戻すと
アイドル
それは宗教であり
資本主義の行き着いたところのなんでも金儲けのタネにする世界の偶像崇拝
というまぁ誰しもわかってはいるが
それを言っちゃお終ぇよぉということ
を声高に言いたい
わけではなくて
そうだな。
前回にも書いたけど
誰かを美しいと感じるのは自分であるし
誰かを大切に思う気持ちも自分の脳の中の素敵な出来事だ。
それは誰も邪魔できない自分の王国で
翻せば誰も脳の中身を共有することはできないので真の孤独の美でもある。
古今東西
神話というものが何故あるのか?
日本には八百万の神(と言っても残念ながら現代ではその言葉だけ生きてるだけだが)
ギリシャ神話北欧神話
ギルガメシュ叙事詩
諸々
人がその人生に「物語」を求めて求めた結果が神話寓話英雄譚なのだと思う。
ロールモデルというものなのかも知れない。
でもそれだけじゃない。
神話を創ってきたのは
神話には登場しない人の営み
語り継いでいったのは
語り尽くせぬ思いのつながり。
自分が作る「物語」
とかくこの世は作られた価値観を隠し持った情報が押し寄せて息のしづらい生きにくさに溢れているが
己の「好き」にこそ「生きる」礎が見出せる。
アイドルを偶像にしてはいけない。
偶像として消費してはいけない。
アイドルは自分の「物語」に生きている。
物語は自分で作る。
誰のものでもなく自分の
自分だけの。
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