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苦さも痛みも伴わない甘い記憶などない

商店街のアーケードの総延長距離が国内有数と言われた地方都市で生まれ育った。管理維持費が確保できず、今やその大半が露天となったアーケード商店街のほとんどがオレの小学校の学区だった。

すでに何度も書いていますが、オレは生まれも育ちも悪い。コレはすなわち、オレのじいちゃんもオヤジも須らく育ちが悪いということ。

そうなると、オレのオヤジの文化レベルは世代的に見ても戦後のブルーカラー寄りにならざるを得ない。終戦時に5歳だからね。城の天守閣が米軍の空襲で崩落するのをリアルで見ていたそうな。すぐ上の兄と立ちションしながら。

その親であるジイちゃんは当然ながら生粋の遊び人の遊廓居続けの火宅の人で、そんな旦那に愛想つかせたバアちゃんは乳飲み子抱えて荷車ごと溜め池で入水自殺しようとして、見かねた陸軍の将校さんに諭されて断念したらしい。

そんな今の基準で言えば外道な祖父も父も、末子の長男であるオレには、何かしら思うところがあったのか、それこそ市井の町人の道楽の粋を教えたがるのは物の道理のようで、酒屋での角打ちのお伴やら、赤提灯、焼き鳥屋、おでん屋、大衆食堂という名の飲み屋には幼い頃から日常的に連れて行かれた。

それもあって、オレは職人さんの風体の人が昼飲みしている店にはまるで違和感がない。むしろ、その飲み方や食べ方、果ては初っ端の注文から勘定の払い方に至るまでの淀みなさや気っ風のよさには、憧れこそしても、見下すことはありませんでした。

欧米の食文化と日本の食文化の大きな違いは、欧米は食文化の大元に貴族文化があり、日本は、そこが町人文化にボリュームゾーンがあること。

日本は身分が上でも、必ずしも食べることに贅は尽くさない。

今や世界の注目の的の寿司も天麩羅も、始まりは屋台だしね?

閑話休題。

ウチの外食比率は、比較すると町中華に行くことが多かった記憶がある。

そうなるとまた、場所柄、必然的に同級生の親が切り盛りする店になってしまうんだな。

オレは未だに人生最高の中華系鶏の唐揚げは、今はなき中央公園裏手のアーケード入口にあった同級生女子のお父さんが鍋を振ってた店の物だと思っている。添えられたスパイス塩には、何かイケない薬でも入ってるんじゃないかと子供ながらに思うほど癖になる中毒性があった。

もう一度あの唐揚げが食べてみたい。

そして、最後に一言。

老化のスピードが遅い同級生女子は、紛うことなき正義!

ほんと、あの頃のオレの女性を見る目の無さに、もし目の前に当時のオレがいたら、膝詰めして小一時間は説教したくなる気分。

たとえ、残像効果が加味された思い出補正がかかりまくりでもね…。

https://benesse.jp/kosodate/202310/20231024-1.html


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